3の18「クレーマーと悪事の綻び」



 それから二日後。



「いってらっしゃいっス」



 宿の寝室で、リホが見送りの言葉を口にした。



「いってきま」



「きま」



 ヨークとミツキがリホに答えた。



 そして宿を出て行った。



 いつものように、迷宮に向かうためだ。



 リホは、作業台に向かった。



 台の上には、六つの大きな魔石が有った。



 ヨークたちが取ってきたものだ。



 これらを素材にして、新しい魔導器を作るつもりだった。



 既に、図面は完成している。



 特別なフレームも必要が無い。



 刻印さえ済ませれば、ほぼ完成だった。



 リホは、カッティングが済んだ魔石を、刻印用の顕微鏡にセットした。



 そして、針と定規を持ち、刻印を始めた。



 ……リホは黙々と、休むことなく刻印を続けた。



 やがて、夕方になった。



「ふぅ……。一区切りっス」



 作業に区切りがついたリホは、椅子の背もたれに、体重を預けた。



 そして、体を休めながら、考えた。



(あさっては、


 新型のフレームを見に行く日っスね。


 楽しみっス)



 ぼんやりとした思考が、リホの頭脳を癒やしていく。



 そのとき……。



 ドンドンと、部屋の扉が叩かれた。



「は~いっス」



 リホはノックに返事をした。



 そして、椅子から立ち上がった。



 少し気だるさが有る。



 だが、ノックを無視するわけにはいかなかった。



 彼女は作業台を離れ、出入り口へと向かった。



 そして、扉を開けた。



「えっ?」



 リホは、戸惑いの声を上げた。



 扉の向こうに有るのは、見知った顔に違いない。



 彼女はそう考えていた。



 だが、実際は違った。



 部屋の外。



 共用スペースである廊下。



 そこに、見知らぬ男たちの姿が見えた。



 当然だが、全員がリホよりも大きい。



 みんな、例外なく、厳しい顔をしていた。



 そんな彼らの立ち姿は、リホを不安にさせた。



「あの……?」



 リホは縮こまりながら、短く疑問を口にした。



 すると、男たちの一人が口を開いた。



「あんただな?


 計算箱を作って売ってるのは」



「そうっスけど……何か?」



「何かだと?


 分かってて言ってるのか?」



「この計算箱とかいうやつ、


 全然じゃないか!」



 男たちが、口々にリホを責めた。



「えっ……? えっ……?」



 理由がわからない。



 リホにはただ、困惑することしかできなかった。



「うちは、計算箱を使って、


 仕事の書類を作った。


 そしたら、


 後で数字が間違ってたことが分かったんだ」



「俺は途中で気付けたから良いが……


 よくこんな不良品を売りつけてくれたな?」



「商売で損した分、弁償してくれ」



「あ……あぅ……?」



 リホは心の平静を失った。



 思考力すらも。



 魔導器の出来には、絶対の自信が有った。



 それが今、責められている。



 足場が崩れていくような、強い恐怖が有った。



 リホの脈拍が、早まっていた。



 何も言えず、ただ呼吸を乱した。



「何を黙ってるんだ! 何とか言ったらどうなんだ!」



 リホは何も答えられなかった。



 そんな彼女の肩を、男の一人が掴んだ。



 彼の表情には、明確な怒りが有った。



「ひうっ……!」



 心の弱いリホが、男の怒気を前に、立ち向かえるはずも無かった。



 涙ぐみ、震えることしか出来なかった。



「ぁ……ぁぁ……ぁ……」



「お待ち下さい」



 いつの間にか、男の隣に、宿の主であるサトーズの姿が有った。



「お客様への乱暴狼藉は、


 ご遠慮ねがいたいものです」



 サトーズは、男の手首を掴んだ。



 そして、ギリギリとしめつけた。



「ぐっ……!?」



 男は表情を、苦痛に歪めた。



 彼は痛みに耐えかねて、リホから手をはなした。



「どうかお引取りを」



「騒がせたのは悪かった。だが……!」



「サトーズさん?」



 階段の方から、ヨークの声が聞こえた。



 迷宮から、帰還したようだ。



「お客様」



 サトーズは、ヨークの方へと振り向いた。



 ヨークの瞳に、見慣れない男たちの姿が映っていた。



 何事かと思い、ヨークはサトーズに尋ねた。



「いったいどうしたんだ?」



「…………」



 ミツキは何も言わず、男たちを観察した。



「事情は分かりませんが、


 穏やかでは無いご様子でした」



 サトーズがヨークに答えた。



「それで、お引取り願おうかと思ったのですが……」



「おまえら……」



 ヨークはリホの前へと歩いた。



 そして、彼女を守るように立った。



「うちのリホに、何してくれてんだ?」



 ヨークは男たちを睨みつけた。



 ヨークは強者だ。



 その眼光には、迫力が有った。



 男たちは、気圧された様子を見せた。



 だがそれでも、退くつもりは無いようだった。



 男の一人が、ヨークの圧に耐え、口を開いた。



「あ、あんたらが、不良品を売りつけるからだろ!?」



 彼は責めるように言った。



「不良品?」



 ヨークが疑問符を浮かべた。



「こいつを売ってるのは、


 アンタたちだろう!?


 違うとは言わせないぞ!」



 別の男が、小箱を見せてそう言った。



「ちょっとそれ、見せてもらって良いですか?」



 静観していたミツキが、男たちに近付いた。



「あ……? どうするんだよ?」



「証拠隠滅しようってんじゃ無いだろうな?」



 男たちは、ミツキに疑いの視線を向けた。



「見せていただけないと、


 話を先に進められませんが」



「分かったよ。ほら」



 小箱を持っていた男は、それをミツキに手渡した。



 ミツキはそれを、ほんの数秒の間、観察した。



「なるほど……」



 ミツキは得心した様子で、男たちに顔を向けた。



「単刀直入に言いましょう。


 これは、私たちが売っている計算箱では、


 ありません」



「本当か?」



「テキトー言ってるんじゃないだろうな?」



「証拠は有るのか?」



「……そうですね」



 ミツキはスキルを用い、リホの計算箱を取り出した。



「これをお見せするのが、


 手っ取り早いでしょうか」



 手に乗せた箱を、ミツキは男たちに突きつけた。



「ッ!? いきなり箱が出たぞ!?」



 ミツキのスキルに対し、男の一人が動揺した様子を見せた。



 だが、彼以外は冷静だった。



「落ち着け。


 ただの『収納』スキルだ」



「あ、あぁ……」



「計算箱に見えるが、


 それが何なんだ?」



 さきほどリホに掴みかかった男が、ミツキに問うた。



 その物腰は、理性的だった。



 毅然としたミツキの対応を見て、平静さを取り戻した様子だった。



「これはそちらの偽者とは違う、


 私たちが売っている、


 本当の計算箱です。


 違いは、一目瞭然だと思いますが?」



「これは……!?」



 男の一人が、驚きの声を上げた。



「どうした?」



 理由が分からず、別の男が尋ねた。



「どうしたってお前、


 これ、魔光銀だぞ!?」



「本当か?


 魔導器のフレームに


 使うようなモンじゃ無いだろ?」



「俺が金属を間違えるわけが無いだろ」



 男はどうやら、ひとかどの商人らしい。



 きっぱりとそう断言した。



「分かっていただけましたか。


 ……ご覧の通り、


 うちの計算箱には、


 最高級の素材が使用されています。


 最近出回っている偽物との違いは、


 明白かと思われますが」



「俺には、魔光銀の見分けなんかつかん」



「それでしたら……」



 ミツキはスキルを用い、天秤を取り出した。



「この天秤に、


 二つの計算箱を


 載せてみるとしましょう」



 ミツキは天秤の両皿に、それぞれの計算箱を載せた。



 天秤には、あきらかな傾きが見られた。



「見ての通り、


 粗悪な計算箱は重く、


 うちの計算箱は、


 軽く出来ています。


 全く別の商品であるということは、


 理解していただけましたか?」



「それは分かった……」



 男たちは、ミツキの言い分に納得したらしい。



 リホを借金地獄に叩き落とした魔光銀が、意外な御利益を発揮したようだ。



「だが……」



 男は言葉を続けた。



「粗悪な計算箱を作ってるのが、


 アンタたちじゃ無いって


 決まったわけじゃないだろう?」



「確かに、


 そこまでの証拠を見せるのは、


 難しいですね。


 ですが、私たちには、


 誠実な商売をしてきたという


 自負が有ります。


 こちらが悪だと言うのであれば、


 そちら側が、


 相応の証拠を提示して下さい」



「それは……。


 その通りだ。だが……。


 あんたらじゃ無いなら……いったい誰が……」



「それは分かりません。ですが……。


 それを明らかにする義務が有るのは、


 私たちではありません。


 その粗悪品を、


 あなた方に売った者の


 責任では無いのですか?」



「……そうだな。


 脅すようなことをして、すまなかった」



 そう言って、男はリホに頭を下げた。



「……っス」



 リホも、ぺこりと頭を下げた。



 顔色が良くなっていた。



 ヨークが隣に居ることで、心の平穏を取り戻してきた様子だった。



「お詫びと言ってはなんだが、


 本物の計算箱、


 買わせてもらって良いか?」



「少々高くつきますよ?


 なにせ、本物ですから」



「構わない」



「お買い上げ、ありがとうございます」



 その日、計算箱の在庫が、三つ減った。




 ……。




 宿屋の騒動の後。



 クレーマーたちは、雑貨屋へ向かった。



 大挙して、店の主人を問い詰めた。



「さあ、話してもらおうか。


 あんたが本当は、


 どこから計算箱を仕入れたのかを」



「っ……仕入れ先のことを話すわけには……」



「俺たちは、クズ商品を掴まされたんだぞ!


 それに……。


 あんな若い子たちに罪をなすりつけて、


 いまさら何を言ってるんだ……!


 もし話さないなら、


 今後俺たちと、この店の取引は、


 全て白紙にさせてもらう」



「そんな……!」



「被害者ぶるなよ?


 こっちには恥をかいたり、


 大損こいたのも居るんだ。


 話すか、


 俺たちと縁を切るか、選べ」




 ……。




 翌朝。



 ドミニ魔導器工房の社長室。



 営業部長のザブンが、血相を変えて入室してきた。



「社長!」



「どうした慌てて」



「慌てもします!」



「計算箱か?」



「……御存知でしたか」



「いや。


 今、私の会社が抱えている、


 大きな弱みは二つ。


 その内の一つを、口にしてみたまでだ」



「そこまで分かっていながら、どうして……」



「どうなった?」



「粗悪な計算箱の製造元が、


 うちだという事がバレました。


 損害を受けたお客様が、


 大勢押しかけています」



「人の口に、戸は立てられんか……」



「他人事のように言わないで下さい!


 あなたのせいで、


 工房全体の信頼が、


 問われる事態になっているのですよ!?」



「従っただろう。


 おまえたちは。


 顧客を裏切ると分かっていながら、


 私という暴君に、


 逆らう意志を見せなかった。


 ズクールだけだ。


 俺をぶん殴ってみせたのは。


 いまさら、被害者ぶるなよ」



「……そうですね」



 ザブンは苦悶の表情を浮かべた。



 イジューを盲信していた。



 その自覚はあった。



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