2の12「継ぐ者と継がぬ者」




 戦うべきか。



 ミツキを危険に晒してまで、あの兄弟に立ち向かうべきなのか。



 ヨークは一瞬悩んだ。



 現実はヨークに、深く思考する時間を、与えてはくれなかった。



「ふん」



「っ……!」



 ゼンスはミツキを殴った。



 そして少し待つと、もう1発拳を叩き込んだ。



「あぐっ……!」



「次は20秒待つ」



「あ……」



 ヨークはうめき声を漏らした。



 ミツキの頬が、痛々しく腫れていた。



 自分のせいだ。



 ヨークにはそうとしか思えなかった。



 俺のせいで。



 俺なんかのせいで。



 ミツキもきっと、俺に愛想が尽きただろう。



 去っていく。



 当然だ。



 それだけの事をしてしまった。



 そう思った瞬間、ヨークの体から、がっくりと力が抜けた。



 今まで漲っていた戦意が、幻のように消えて無くなってしまった。



「…………」



 からり。



 気がつけば、ヨークは剣を取り落としていた。



 赤い剣が、地面を転がった。



「ヨーク!?」



 ミツキは驚愕の声を上げた。



 どうして戦いを放棄するのか。



 自分を無視して戦い続ける。



 それが最適解であることは、明らかなのに。



「……良し」



 ヨークが武装を放棄したのを見ると、ゼンスはシュウに声をかけた。



「シュウ、そいつを斬れ」



「…………分かった」



 シュウは無事な左手で、ゆっくりと、自分の剣を拾い上げた。



 そして、ヨークの前に立った。



「…………」



 黙って斬られるつもりなのか。



 ヨークは、抵抗する素振りを見せなかった。



「意外だな」



 シュウはヨークに話しかけた。



「……何がだよ?」



「何が起きても、


 命尽きるまで戦い抜く。


 そういう反骨心を感じていた」



「俺一人なら、そうしたさ。


 けど……。


 ミツキは、俺のヘマに巻き込まれただけだ。


 俺の意地とか覚悟に、


 あいつを巻き込んじゃいけないんだ。


 これ以上ミツキを傷つけないと、


 全てに誓え。


 ……ミツキを守ってくれ」



 ヨークはユーリたちのことを、信用してはいなかった。



 剣を合わせたシュウだけは、少し話が出来る人間だと思っていた。



 だから彼にすがった。



「それは……」



 シュウは迷った。



 この場の主導権を握っているのは、シュウでは無い。



 それに、シュウには仕える主が居る。



 迂闊な誓いなど、出来るものでは無かった。



「もし誓えないのなら、


 素手でもお前を殺す」



 短くも濃い懊悩が、シュウの中に生じた。



 そして……。



「……誓おう」



「聞いたぞ。


 ミツキを……頼む」



 ヨークは頭を下げた。



 その姿は、首を差し出しているようにも見えた。



「……因果なものだ。


 世のため人のため、


 君のような若者が


 生き残るべきだろうに。


 ……お家のため、君を斬る」



「つまんねー生き方」



 ヨークは頭を下げたまま、枯れた笑い声を吐き出した。



「つまらない男なのさ。


 俺自身が。


 剣に愛されず、


 そんな自分を愛せなかった」



「……とっととやれよ」



「そうさせてもらおう」



 シュウは剣を振り上げた。



「ご主人様ッ!!!」



 ミツキが叫んだ。



 そして、呻いた。



「グッ……!」



「ミツキ……?」



「…………」



 ヨークはミツキの方を見てしまった。


 そして……。



「ぐ……ぅ……」



「え……?」



 ミツキの口から、血が零れ落ちるのが見えた。



 血はボトボトと地面を汚した。



「っ……!?」



 崩れそうになるミツキを、ゼンスが支えた。



 ミツキに何が起きたのか、ヨークには分からなかった。



 ただ、ミツキが傷ついたということだけは分かった。



「何しやがったっ!!!」



 ヨークの怒声が、ゼンスの気を揺らした。



「違う……!


 こいつまさか……舌を……!?」



「てめえらああああああああぁぁっ!」



 ヨークは地面を蹴った。



 そうしてミツキに駆け寄ろうとした。



「ッ……!」



 一瞬迷い、シュウは剣を振った。



 シュウの剣が、ヨークの右肩を裂いた。



「ぐっ……!?」



 ヨークは倒れた。



 肩から、どくどくと血が流れ出した。



 ヨークは思わずポケットに手を入れた。



 ヨークはいつも、ポケットに回復薬を入れていた。



(ポーション……)



 ヨークはポケットを漁った。



 ポケットの中に、薬瓶の感触は無かった。



(無い……か……)



 その無駄な行動は、ヨークに致命的な隙を生んでいた。



「…………」



 シュウは、ヨークを殺しやすい位置に移動した。



「残念だ」



 シュウは剣を振り下ろした。



 そして……。



「…………!」



 火花が散った。



 シュウの目が見開かれた。



 彼の剣が、魔剣によって弾かれていた。



 弾いたのは、ヨークの剣では無かった。



「…………」



 黒髪の少女が、魔剣を手に、そこに立っていた。



「デレーナ……!?」



 シュウの口から、少女の名が漏れた。



「お姉様!」



 フルーレは、安堵の笑みを浮かべた。



 その笑みは、喜びと信頼に満ちていた。



 自分たちの勝利を、確信した笑みだった。



 シュウの顔が、一瞬で青ざめた。



「見下げ果てましたわ。


 叔父様。


 人質を取り、


 無抵抗の相手を斬るなど……。


 迷宮伯家の恥さらしです」



「言葉も無い。


 だが……。


 剣を捨てた君が、それを言うのか」



「……………………」




 ……。




 それは、デレーナが16歳の時だった。



「父上……!


 私はもう……剣を持ちたくはありません……!」



 ブゴウ=メイルブーケの執務室で、デレーナは父にそう訴えかけた。



「何を言っている?」



 困惑と共に、ブゴウは口を開いた。



「お前の剣才は、


 誰よりも優れている。


 もはや、完成形ですら無い。


 誰一人、


 お前の剣を受け継ぐことすら


 出来ないだろう。


 だというのに、何を悩む?」



「私はただ……普通の女子になりたいのです。


 ドレスを着て、


 舞踏会に出て、


 素敵な殿方と出会って……恋をする。


 そんな普通の生き方が良いのです」



「……理解出来ん。


 迷宮伯家は、領地を持たん。


 故に、


 迷宮伯が迷宮伯たる根拠は、


 その力だ。


 力を以って


 国家の鼎となるが、


 迷宮伯の務め。


 ……そして誇りだ。


 俺は凡才だ。弟も。


 だが……お前を育てることは出来た。


 お前の剣才を、


 何よりも誇らしいと思っていた。


 ……お前は違ったのだな。デレーナ」



「……申し訳有りません。父上。


 ですが……私は女なのです」



「……母親に似たか。


 柔弱だが美しく、


 俺はあいつの、


 そんなところを好いた。


 長くは生きられなかったが……。


 お前は……母のようになりたいのだな?」



「はい」



「そうか……。


 だが……当代のメイルブーケに、


 男子は居ない。


 たとえ女子でも、


 この家を継いでもらわねばならん。


 ……武門の家をだ」



「わかって……います……。


 私が言っているのが……


 ただのわがままだということ……。


 ……わかっていたのです」



「……………………」



「失礼します」



 デレーナは部屋を出た。



 ブゴウは少しの間、デレーナが退出した扉を眺めていた。



 するとまた、扉が開いた。



 少女が一人、入ってきた。



 フルーレだった。



 フルーレは真剣な顔をして、口を開いた。



「お父様!」



「どうした?」



「メイルブーケの家は、


 私が継ぎます!」



「聞いていたのか?」



「はい。


 ……いけませんか?」



「軟弱だ。


 盗み聞きというのはな」



「申し訳有りません」



「それで、家督の話だったか」



「はい」



「お前も女だ」



「はい」



「我が家に男児が居ないのは、


 俺の不手際だ。


 その気なら、


 後妻を娶り、


 子を産ませることも出来た。


 ……そうしなかった。


 する必要性すら感じなかった。


 ……デレーナの才が眩しかった。


 あの子がメイルブーケを継ぐことが、


 確定された未来だと考えていた。


 卓越した剣技は、


 天からの祝福なのだと……。


 …………フルーレ」



「はい」



「家を継ぐことに、不服は無いか?」



「はい!」



 フルーレは、迷い無く答えた。



「お姉様の力になりたいと思います。


 それに……。


 お姉様の美しい剣は、


 私の憧れですから」



「…………。


 言葉を濁さずに言うが……。


 おまえに、剣の才能は無い」



「っ……」



「デレーナは卓越している。


 存在の次元が異なっている。


 十度生まれ直しても、


 お前がデレーナの域に達することは無い。


 お前の凡庸な剣才は、


 歴史の波に押し流され、


 後世に残ることは無い。


 ……それでも構わないと言うのか?」



「嫌ですね」



「む?」



「お姉様に追いつけるよう、努力をします」



「報われん」



「そうかもしれません。


 ……ですが、分かったつもりになって諦めることは、


 したくありません。


 歩むからには、


 頂を目指す。


 それが、道を志すという事だと思います」



「そうか。


 お前に家督を譲ること、


 考えても良い」



「ありがとうございます」



「ただし、一つ条件が有る」



「何でしょう?」



「…………。


 たまには着飾れ。


 良いな?」



 らしくない事を言ったと、ブゴウは思った。



 実に軟弱だ。



 ふっと笑ってしまった。



 それを見て、フルーレもにこりと笑ったのだった。




 ……。




 そして今。



 デレーナは、捨てたはずの剣を、再び手に取っていた。



 赤く煌めく、メイルブーケの魔剣だ。



 彼女の瞳は、まっすぐにシュウを見据えていた。



「確かに……。


 私は剣の道を外れ、


 妹に押し付けて逃げました。


 ですが……。


 人の道まで外れた覚えは、


 ありませんわよ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る