ラブコメは神秘的~ひとりぼっちな彼女と一緒にラブコメを作ることになったひとりぼっちな彼の日常《ラブコメ》~

青井かいか

彼の日常

 中原なかはら依人よりとは、現実に必要以上の干渉をしない。


 朝起きて、ひとりで朝食を取り、ひとりで学校に行き、授業を受け、休み時間にはひとりで本を読み、ひとりで昼食を取り、放課後は直帰、もしくは本屋やスーパーに寄ったりしたあとに帰宅し、バイトがある日はそれからバイトに行き、ない日は本を読み、ひとりで夕食を取り、風呂に入って歯を磨いて、眠りに就く。

 それこそが依人のありふれた一日であり、そんな穏やかな日々に彼は満足している。


 故に依人は、学校にいる時、誰かに話しかけられたとしても穏便にそれを拒絶する。


 例えば、依人が朝ヶ丘あさがおか高校に入学した四月のこと。


 クラスメイトたちが自己紹介を交わし、連絡先を交わし、これから過ごす日々をより良いモノにせんと気の合う仲間をつくっている横で、依人はひとり本を読んでいた。


 しかし入学直後で気が軽くなっていることもあってか、俺に話しかけないでくださいオーラを遺憾なく振りまいている依人に対しても、気さくに話しかける者たちはいた。


「ねぇ、中原くんってよく本読んでるよね、好きなの?」「中原くんって何か部活は入る感じ?」「中原ってどこ中?」「ねねっ、今日の放課後クラスのみんなでカラオケいくんだけど、依人くんも来れないかなっ!?」


 だが依人は、なるべく角を立てない最低限の温和な応答で以って、周囲との一線を明確に引く。

 俺は俺で、お前らはお前らなのだ――と。


「本は好きだよ」「部活は入らないかな」「北中」「ごめん、今日は都合悪いから」


 連絡先などの交換を求められたら断りこそしないが、自ら連絡を取ることはあり得ず、仮に向こうからメッセージが送られてきても最低限の返事で済ませることに変わりはない。


 そうして依人の人柄を掴み始めたクラスメイトたちは、あぁ中原依人はそういうヤツなのかと納得して、依人に無理に関わろうとはせず、適度に距離を置く。


 人には人それぞれの価値観があるのだと知っている者たちは、一度中原依人という人間の一端に触れさえすれば、特別な関心でも抱いていない限り、それ以上強引に依人の日常を掻き回そうとはしないのである。


 だから――。

 己のために、周りのために、朝ヶ丘高校第一学年Dクラスの教室は、お互いがお互いのことを知るにつれて段々と、〝その日常〟に収束していく。


 いつのまにか形成される彼らと彼女らのありふれた毎日。

 その日常の中で、依人の周りに他者はいない。依人はひとりでひとりの時間を過ごす。


 再び静かになった己の日常を肌で感じて、依人はこれで良いと、これが良いと、そう思う。




 一年生の夏休みが明けた九月のこと、依人のクラスに転校生がやって来た。

 神秘的な空気を引き連れた、綺麗な少女だった。


 儚げに透き通る白い肌。うっすらと朱に彩られた頬。あどけない可憐さをも秘める端麗な面立ちと、少しだけ吊り上がった形の良い眉。

 ほっそりとした腰にまで届きそうな艶めく黒髪が窓から差し込む陽光を受けて、湖畔のさざ波のようにキラキラ、さらさらと揺れている。


 線は細く小柄の部類だが、ピンと背筋を伸ばした佇まいからは厳かさすら感じられた。

 壮麗と怜悧と気品を併せたような雰囲気をしなやかな肢体に湛える彼女は、しかしその顔に一切の表情を載せず、淡々と抑揚に欠ける声で言う。


「――空野ほとり、です」


 凛と涼やかに耳朶へ染みた。

 例えるなら、ガラスでつくられた鈴を壊さないようにとひた願って、そぉっと転がした時のような――そんな声音。


「よろしくお願いします」


 単調にありふれた台詞を紡ぐ血色の良い唇に、丁寧に頭を下げた所作と髪の流れに、長いまつげを揺らすささやかな瞬きに、誰もが魅入っていた。


 数拍を置いて我に返ったクラスメイトたちが騒めき始める。

 おとぎ話の世界から飛び出してきたような少女が転校してきた事実に、これからの日常がどこかの青春映画のようにキラキラと彩られる期待を寄せる。


 このあと、休み時間にでもなれば途端に空野ほとりは皆に囲まれるだろう。

 多くの者が、彼女と距離を詰めようとするだろう。


 ――だが、中原依人は思う。


 あの空野ほとりという少女と、自分が関わる未来はまず間違いなく訪れない。

 期待もしなければ、望みもしない。


 依人から関わりに行く気は微塵もなければ、もし仮に万が一、彼女から接触を試みてきても、依人は他のクラスメイトに向けるものと何なら変わらない対応をするだろう。


 なぜなら依人は、ひとりで過ごすこの日常こそが、最も己の身の丈にあっていると確信しているからだ。



 さて――。

 前置きとして最後にもうひとつ、中原依人について紹介を添えておこう。


 依人は確かにひとりで過ごす己の日々に満足しており、そんな穏やかな日常を心から愛している。

 それは強がりでもなんでもなく、単なる事実としてそこにある。


 だがしかし、彼がそれ以上の〝ナニカ〟に一切の憧れを抱いていない――と言ってしまえば、それはまたウソになるのである。



 ―――きっと誰の心の中にだって、そういう矛盾めいた神秘的な想いは、狂おしいくらいどうしようもなく秘められている。

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