500年後の教科書シリーズ

@nilcof

「誰だー、ふざけたアバター使ってるやつは。学校には規定範囲内のアバターで来いっていつも言ってるだろ。強制排出して欠席扱いにするぞー」


そう言うアバターも、猫が青と緑のストライプのタキシードを着ている。


(あれ、最近流行ってるゲームのステージクリアボーナスだな)


その容姿や服装でさえ、おそらく2000年代前半の人間から見ると、到底まともには見えないんだろうな、とシズキは思った。教科書をパラパラとめくりながら、西暦1000年代の移り変わりを流し見る。物理的な接触が主な交流手段だった当時は、実際に着用する衣服に相当こだわりがあったようだが、デザインも人間が着ることを前提にしているため、こだわりがあった割に変わり映えがないようにも見える。


「こら、AKS。教科書は652ページだ」


教科書が強制スクロールされる。

AKS。シズキのエイリアスだ。学校ですら本名で呼ばれることはない。エイリアスは国際法で10歳の時に決めることになっており、一度決めると変えるために司法手続きが必要になるが、手続きは簡単なため、ノリと勢いでつけてしまう人も多い。現に、シズキの隣の席は「暁月の暁光」というかなりイケてるネーミングセンスの持ち主だ。


(漢字が多いな。母国はアジア系なんだろうか)


シズキたちが本名はおろか、国籍と性別を互いに知ることは殆どない。さらに。国際的に定められた若年教育期間の16歳を過ぎると、年齢すら、知る機会を失う。現にシズキも、物理的な人間を知っているのは、両親と祖父母くらいで、特殊な家庭では親戚で物理的に集まることもあるらしが、ごく一般家庭に育ったシズキは、大勢の人がそうであるように、仮想空間で対面するのみだった。


(そういえば、500年くらい前までは、同じ教室にいた幼馴染ってやつと結婚までしちゃう人もいたって、教師が言ってたことがあったな・・・。まぁ・・・俺には到底できそうにないけどな)


交友関係でさえ、学校や職場で出会う以外は、グローバルマッチングシステムで、性格や興味のむき先によって、ある程度振り落とされる。学校や職場も、グローバルマッチングシステムである程度振り分けられていることを考えると、何の共通点もない、強いていうならば、近くに住んでるくらいの共通点で知り合うことになる。


(恐ろしすぎるわ。ってか、目の前にいないと出会えないって、そりゃ出生率も落ちるわな・・・)


シズキはぼぅっと考え事をしながら、教師の話を聞き流していた。教師はAIと人間が入り混じって担当しているが、授業を受ける生徒にも、保護者にも、どの教師がAIで、どの教師が人間かは知らされることはない。2300年代に起きたAI差別による大規模な紛争によって、多くのAIが破壊された一方、AIによって強制的に知性のみを剥奪された人間もいた。凄惨な歴史を繰り返さないために、特に仮想空間では、AIと人間との区別がつかないようになっていたし、シズキの世代では、AIとの結婚も法整備が進んでいたため、シズキ自身が違和感を覚えたことはなかった。


「AKS。654ページから読んで」


考え事をしていると、すぐに見抜かれる。教師には生徒の脳波が閲覧できるようになっているからだ。


(数百年前は教師が、言ってしまえば勘とか当てずっぽうで生徒を指導してたって聞いたことがあるけど、間違ってたらどうすんだよ。裁判したら絶対勝てないだろ)


不貞腐れながらも、教科書を読み始める。合成音声。シズキ自らの肉声ではない。2100年代に声紋認証が発達したが、それに伴い、声紋を使った犯罪が横行。冤罪も多く起きた。そのため、仮想空間では合成音声を用いることが一般的だ。当初は、性別や言葉の訛りによる身バレを防ぐ目的で利用されていたものだったが、今では利用していない人の方が少ない。


「乗り物とエネルギーの歴史。古くは移動手段として動物を使役していた時代から、乗り物の発展が目覚ましくなったのは1900年代からで、この時代に今の物理的移動手段の基礎となった飛行機や車の原型が作られた。当時は化石燃料と呼ばれる天然資源を動力として用いていたが、これらは地球環境に甚大な影響をもたらした。その後、クリーンエネルギーという名目で、電気のみで動く飛行機や車が開発されたものの、電気を生成するために化石燃料を利用するという矛盾が生じていた。その後、2300年代に入り、エネルギー革命が起きる。この革命により、現代にも利用されている様々なエネルギーが生み出される。今日、最も多くの分野で利用されている大気エネルギーは、エネルギー革命よりも以前の2000年代序盤にその考え方や実証が行われており、工業分野を中心に実用化が進められていた。

一方、乗り物自体も、2200年代中盤から目覚ましい発展を遂げる。2200年以前には、大型の航空機で大勢の人を運ぶ手段が常套とされていたが、2200年代に入り、各国での法整備や協定が整ったこともあり、個人向けの小型航空機が主流になる。また、この時代に移送速度も急激に速まり、中国・アメリカ間で10時間かかっていた移動時間が、2300年代に入ると約30分にまで短縮される。2400年代に入ると、光速での移動が可能になり、2400年代中盤に現代のライトパイプが完成する。そうした発展の中、2000年代序盤に大いに活躍していた車と呼ばれる乗り物は徐々に姿を消すことになる。1900年代後半には、車を操作する人を特に運転手やドライバーと呼び、特殊な免許を要する職業として活躍していた。しかし、車は航空機をベースとした乗り物と統合され、今ではテーマパークのアトラクションや、スポーツ競技として残されているのみになる。タイヤと呼ばれるゴム製の円形の輪がついた初期型の車に至っては、2200年代前半に多くの先進国で公道での走行が禁止されることになる。2100年代後半から各国で建設が進められた超電導装置の製造設備から安定した供給が可能になったことが主な要因ではあるが、摩擦によって劣化した道路の整備コストが膨大であったことや、ゴムの大量廃棄が環境問題として取り沙汰されていたことが、根本原因として考えられている。」


シズキが1節を読み終えると、教師がすかさず解説を始める。


(車か・・・)


シズキは幼い頃にカーサーキット場で一度だけ車の運転をしたことがあった。と言っても、それも仮想空間での話だ。物理的な環境で車を走らせることができるのは、スピードの出ないオモチャか、プロの選手だけだ。


(動くだけで道路が摩耗するって、どんだけ物理世界なんだよ)


仮想空間で乗った車の形状を思い出し、げんなりした。乗車前の説明では、メンテナンスする箇所もかなり多く、毎年交換しないといけない部品があったり、燃料に至っては数日に置きに補充が必要で、補充する場合も専門店でないと補充できなかったとか。


(物理世界が主体の世界って面倒そうだな、よく生きてられたよな)


シズキはまた、教科書を眺めながら、ぼんやりと考えていた。


(俺だったら3日と経たずに死んでしまいそうだな)


自分を嘲笑って、仮想空間を仰いだ。黒い空間に星がきらめている。教室のレイアウトは、担当教員によって変わる。教師の趣味らしい。先月、水星まで旅行に行った時に見た星はもっと綺麗だったな。なんて思いながら。つまらない授業が終わるのを、空想の時間で潰しながら、やり過ごすことにした。

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