第40話、決意

 翌日――。

 

 今日一日の授業を終えた放課後、俺はソフィアと二人で姫奈のいる生徒会室の前に立っていた。


 昨日の夜、俺は自分の進むべき道をハッキリと決め、ソフィアと二人で歩んでいく事を誓った。お互いが想いを伝え合い、そして同じ未来を望んだのだ。


 だからこそ俺はその決意を姫奈へと告げる為にここへ来た。


 隣に立つソフィアへと視線を向けると、彼女はぎゅっと俺の服の袖を掴みながらこちらを見上げていた。


『き、緊張するわね……。ヒナさん、何て言うかしら……?』

『俺に任せてくれ。俺達はもう答えを見つけたんだ。きっと上手く行くさ』


 ソフィアを安心させるように笑いかける。すると彼女の強張っていた顔が少しだけ和らいで、小さく『うん、分かった』と言ってくれた。


 俺は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、それから意を決して扉をノックする。


 扉の向こうから凛とした声が聞こえてきた。


 どうぞ、という声を確認してから緊張で汗の滲んだ手でドアノブを回した。


 ゆっくりと開いた扉の先に見えたのは机に向かって書類整理をしている姫奈と早乙女の姿だった。


 二人は俺達に気付くと一瞬驚いたような顔をしてから、ゆっくりと立ち上がって俺とソフィアに近付いてくる。


「連、ソフィアさんと一緒にそちらから来てくれたのですね。この書類の整理が終わったら私と早乙女さんの二人でそちらに出向き、副会長の件についてのお話をしようと思っていたところでした」

「生徒会長選はもうすぐだからな。なるべく早く姫奈も答えを聞きたかっただろ?」


 俺がそう言って笑うと姫奈はクスリと笑って口を開く。


「その通りですね。では早速本題に移りましょう。連、ソフィアさん、ではこちらの席に」


 俺達が案内された椅子に座ると、姫奈と早乙女の二人はテーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰掛けた。


 俺の隣に座るソフィアはぎゅっと俺の制服の裾を掴んだまま、心配そうな瞳でこちらを見つめている。


『レン、大丈夫……?』

『大丈夫、何の問題もないよ。ここは俺に任せて欲しい』


 俺は彼女を安心させたくて、そう言いながらソフィーの頭を優しく撫でた。彼女は目を細めて嬉しそうに微笑むと、こくりと首を縦に振ってからそっと手を離す。


『信じてるね、レン。あなたならきっとうまくやれるって』

『ああ、ソフィーは良い子にしててくれよ』


 俺の言葉を聞いて安心したのか、ソフィアは柔らかく微笑みながら俺の手に自分の手を重ねた。

 

 彼女の柔らかい手の温もりを感じながら俺は姫奈と早乙女に向き合う。


 これから伝えるのは俺とソフィアが導き出した答えだ。


 それを聞いた二人がどんな反応をするかは分からない。でも、それでも、今はただ自分の想いを真っ直ぐに伝えるだけだ。


「それじゃあ本題に入ろうか。昨日姫奈と早乙女から言われた副会長の件だ」

「分かりました。連がどのような答えを出したのかをお聞かせください」


 俺は向かい合って座る姫奈を真っ直ぐに見て、はっきりとした口調でその想いを口にしていく。ソフィアは固唾を飲んで俺の事を見守っていた。


「――悪いけど、その話は断らせてもらう。俺は副会長にならない、生徒会での活動よりもやりたい事を見つけたんだ」


 その答えに現副会長である早乙女は驚きで目を見開き、そして椅子から立ち上がって机に身を乗り出した。俺の答えは彼女にとって意外なものだったようだ。


「ど、どういう事ですか! あなたは黒陽さんの幼い頃からの友人で、生徒会に入らずともあたし達の手伝いをしていたと――それなのにどうして!?」


 早乙女は焦った様子で俺に詰め寄る。だが、ここで気圧されるわけにはいかない。


 俺は彼女に向けて自らの意思を伝える為に言葉を紡いでいく。


「確かに俺は今まで姫奈の力になりたいと思って手伝いはしてきたし、それはこれからも続けるつもりだ。でも俺が今一番大切に思う事を優先するなら生徒会に入るわけにはいかない。だからごめん、早乙女さん。俺は副会長になる事は出来ないんだ」


 俺は深々と頭を下げた。そして数秒経ってから頭を上げると、早乙女はまだ納得がいっていないような表情を浮かべて俺を睨み続けている。けれどその一方で姫奈の方は穏やかな表情を浮かべていて、まるでこうなる事を予想していたかのような落ち着いた声音で早乙女に語りかけていた。


「早乙女さん、落ち着いて。連の話をしっかりと聞いてあげましょう」

「……っ、はい」

 

 早乙女が着席するのを見て、姫奈は一度小さく息を吐いてから俺へと問いかけてくる。


「連、あなたの言う一番大切に思う事。それはソフィアさんの為ですか?」

「……そうだな、ソフィーの為だ。この子の為にも、俺自身も後悔しない生き方を選ぶ為にも、そう決めた」


「なるほどですね。ソフィアさんをこうして生徒会室に連れてきた姿を見て、もしかしてとは思っていたのですが――そうでしたか、連はソフィアさんの為に」

「すまないな。もう決めたんだ、これから何をしていきたいのか。そしてそれを実現させる為にも俺は生徒会には入らない。姫奈の事はまた別の形でフォローしていきたいって思ってる」


 俺の言葉に姫奈はくすりと笑うと、緊張して小さくなっているソフィアの方を見つめた。それから穏やかな表情と優しい声で告げる。


「初めて連とソフィアさんの会話に参加した時、お二人は本当に仲が良いと思ったのです。連はソフィアさんを大切に想っていて、ソフィアさんもまた連に対して深い親しみを感じている事がひと目見て分かりました。そんな二人が力を合わせて何かを成し遂げたいと、その為に勇気を出してここまで来てくれたのですね」

『わ、わたしがお願いしたの、ヒナさん。わたしにはやりたい事があって、レンはわたしのその夢を叶えてくれるって約束してくれて……だから今こうしてレンと二人であなたの前にやってきました』


 ソフィアはそう言って俺の制服の袖を掴んで身を寄せてきた。そんな彼女の言葉を通訳しながら伝えると、姫奈はうんうんと相槌を打ちながら笑みを深めていく。


「ふふ、ソフィアさんの夢を叶えてくれるですか。連なら出来ると思いますよ、だって彼はやりたい事を見つけるとそれに向かって一直線ですから。昔からそうだったのです」

「そうか……俺の性格は姫奈が一番良く分かってるもんな」

「伊達に幼馴染みをやっていませんからね。連とは本当に長い付き合いですから」


 姫奈はそう言いながら懐かしそうに目を細める。子供の頃から変わらない俺の姿を思い出しているに違いない。


 確かに俺は彼女の言う通りの人間だった。好きな事を見つけると他の事は視界に入らなくなる。それだけを考えて突き進んでいく性格だった。


 Vtuberアリスと出会ったあの時もそうだ、彼女を応援したい、画面の向こうで画面の向こうで輝く彼女を推し続けたい。そう思ったあの日から俺は一直線にアリスの事だけを考えて人生を捧げてきた。


 それは今も同じだ。俺はソフィアを応援したい、俺の隣で輝くような笑顔を浮かべる彼女を見ていたい。昨日の夜にそう誓った、だから俺はソフィアの事だけを考えて突き進みたい。


 その想いはきっとソフィアにも伝わっていた。


 だから彼女は俺の手を握って、俺の目を見つめながらこくりと首を縦に振る。そして柔らかな微笑みを浮かべる彼女に向けて、俺もその小さな手をぎゅっと握り返した。


 そして二人で微笑み合いながら姫奈に向き直り、そして抱いた想いを言葉にして紡いでいく。


「頼む、姫奈。俺はソフィアを支えていきたい。だから副会長の件は忘れてくれ」

『お願い、ヒナさん。わたしにレンの力を貸してほしいの。わたしはレンと二人で夢を叶えたいの……」


 俺達の想いを聞いた姫奈はどこか嬉しそうな表情で俺とソフィアを見据えていた。そして一呼吸置いてから口を開く。


 その口調はいつもより少しだけ大人びていて、けれどその表情は今までに見たことがないくらいに穏やかで、柔らかな笑みを浮かべたままゆっくりと首を縦に振った。


「本当に二人の想いは通じ合っているのですね。しっかりと受け取りました。大切な友人二人の想いを蔑ろには出来ません、副会長の件は考えを改めさせて頂きましょう。あなた方の行く末を見守りたいと思います」


 姫奈が俺達の事を祝福するように優しく告げる。その返事を聞いて俺とソフィアは顔を見合わせて笑い合った。


 けれどその話を聞いた早乙女だけは不安げな面持ちで俺と姫奈を交互に見つめていた。


「こ、黒陽さん……。あたしとしては生徒会長である黒陽さんの意思を尊重したいと思っています……。ですが……どうしましょう、あたしの後任が決まらなければ来期の生徒会長選が……」


 早乙女はしどろもどろになりながらもそう告げると、姫奈は彼女を安心させるように優しく語りかけた。


「ベストは確かに連が副会長になる事でしたが、こうなる事は予想出来ていましたからね。代案はちゃんと用意してあります。それに副会長にならずとも別の形でフォローしてくださるとも話してくれました。彼がそう告げた以上、来期の生徒会活動も滞りなく進められるかと思います」


「代案を用意していたなんて流石は黒陽さん! あたしの知らない所で色々と手回しをされていたのですね……!」


「万全を期すのが生徒会長ですから。それよりも早乙女さんには最後の一仕事として私の用意したその代案を進めてもらいたいと思います、よろしいですね?」

「は、はい! 分かりました!」


 姫奈の言葉を受けて早乙女が姿勢を正して返事をする。その様子を眺めながら俺は胸を撫で下ろした。


 これで俺達は前に進める、自分達の道を歩いていける。そう思うと肩の荷がおりて全身の力が抜けて、俺と同じように隣に座るソフィアもほっと息をついていた。


 そんな俺達の様子を見て姫奈は楽しげに笑うと、ゆっくりと席を立って窓辺へと歩み寄っていく。


 窓から差し込む夕日を浴びながら彼女は振り返ると、俺達に穏やかな眼差しを向けながら優しい声音で話しかけてきた。


「二人が叶えたい夢、私はそれを応援したいと思います。だから頑張ってくださいね、連、ソフィアさん。あ、でも連。私達のお手伝いも忘れずに」

「分かってる、姫奈。手伝いも今まで通り任せとけ」


 俺がそう言うと姫奈は眩いばかりの笑顔を見せた。その笑顔を見て俺はふっと頬を緩ませる。


 こうして姫奈に認められた俺とソフィアは、新しい一歩を踏み出す事が出来た。これからどんな困難が立ち塞がろうとも二人で力を合わせれば乗り越えられるはずだ。


 そう信じながら俺は隣に座るソフィアの手を握る。するとソフィアも俺の手を握り返して、満面の笑みを浮かべてくれる。


 俺はずっとアリスという素敵なVtuberを陰から支え続けてきた。


 けれど今はそれだけじゃない、俺の隣で輝くソフィアと共に歩んでいくという新たな夢を抱いた。その夢はきっと俺の中でかけがえのない大切なものになってくれる。


 そしてその想いを胸に抱きながら、俺とソフィアは共に前を向いて歩き始めたのであった。

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