第36話、諦めない
生徒会室は今日も姫奈以外の役員の姿はなかった。
窓際に佇んでいた姫奈は俺がやってきた事に気付くと、いつものようにカーテンを閉め切って生徒会長の椅子へと座る。俺もそんな彼女の様子を確認した後に生徒会室の鍵を内側から閉めた。
「んっ」
座っている姫奈からはいつもの高貴な生徒会長オーラが消え去り、ゆるゆるの表情で俺に向かって手招きしてくる。どうやら早速、姫奈の本当の姿であるぐーたらお嬢様が顔を出しているようだ。
その様子に苦笑いしながら俺は姫奈の隣に立って、先日購入したラノベが入った紙袋と一緒に頼まれていたポテチとコーラの入ったビニール袋を手渡す。
すると彼女はそれを嬉しそうに受け取って、頬を緩ませながらラノベを取り出した。それから封を開けたポテチとコーラで至福の時間を堪能し始める。
「んん~っ。やっと初めてのラノベが読める~。待ち遠しかったぁ」
「今週は何だか働き詰めだったみたいだな、姫奈。昨日の放課後も随分遅くまで残ってたみたいだし」
「先週、連に手伝ってもらった時程じゃないけどね。来期の生徒会長選に向けて色々と準備しないといけないからさ。ま、私なら余裕だろうけどね~」
「余裕じゃなかったらラノベを読んでる暇はないわな。次の選挙も勝てそうな感じか」
「当然だよっ。何と言っても私は《美少女》で《高嶺の花》で《才女》で《優等生》だからねー」
「おいおい、《ぐーたら》で《ポンコツ》な《ニート予備軍》が抜けてるぞ」
「ふふんっ、バレなきゃおっけーだもん。どうせ連以外は知らない事だし選挙には関係ないもんね~」
そう言いながら俺の渡したコーラを飲みつつポテチを頬張り、ラノベのページを開く姫奈。そんな彼女を見ながら俺は肩をすくめた。
確かに姫奈の言う通り、彼女が生徒会長を決める選挙で負ける事はないだろう。
去年の選挙も対立候補と比べ二倍以上の票を獲得し、生徒会長として選ばれた後も生徒達の期待に応えて姫奈はいくつもの功績を残してきた。
彼女のお陰でこの美谷川高校は以前よりも格段に住み心地の良い場所になった。
校則が緩和され、部活動が盛んになり、文化祭などの行事では他校からも大勢の生徒が見学に来るようになった。今年はその噂を聞きつけた入学希望者で溢れ、倍率が上がった事で学校側も非常に喜んでいる。
来期も姫奈に生徒会長を任せたいという声がそこら中から聞こえてくるし、俺自身も姫奈以外に適任者はいないと思っている。だけど――。
「――あとは連が副会長として立候補してくれたら来期の生徒会も安泰なのになぁ」
読んでいるラノベから視線を外し、ちらりと俺を見る姫奈。そんな彼女に向かって俺は呆れたように溜息を吐いた。
「本当に姫奈は懲りないよな。俺は生徒会に入るつもりも副会長をやる気も一切ないってのに」
「連はそう言うけど私の中じゃもう決定事項だもん。この前のショッピングモールでのお買い物の時、私とソフィアちゃんを陰ながら守ろうとしてくれてる連の姿を見て、あ~もう絶対に連を副会長にする~って決めたんだも~ん」
ふへへ、とだらしない笑みを浮かべながらコーラを飲む姫奈。どうやらあの時の俺の姿を想像しているようで彼女の緩んだ頬はほんのりと赤く染まっていた。
買い物を楽しむソフィアと姫奈の二人をこっそりと守っていた俺の姿は彼女にとってかなりの好印象だったらしく、あの事もあって彼女は俺を副会長として生徒会に引き入れたいという気持ちを更に強くしたのかもしれない。
こうなるのはあの時も十分に予想出来た。それもあってあの時は目立たないようにしていたのだが、バレてしまっていたのならそれはもう後の祭りだ。
「そうやって俺を評価してくれる気持ちはありがたいんだけどな。俺にも色々と用事があって生徒会の仕事をしてる時間がないんだ。副会長ともなれば尚更な」
「ふーん……。でも私、連がなんて言おうと諦めないもんね~」
「はいはい。でも期待はすんなよ。今は本当に忙しいんだから」
俺は今、ソフィアと二人で新しい試みに挑戦している。アリスという素晴らしいVtuberを日本に広める為に、彼女が新しい場所で活躍してその翼を羽ばたけるようサポートする事が今の俺の最優先事項だ。
その為に俺が出来る事は何でもするし、時間が足りないのであれば睡眠時間を削ってでも作業に必要な時間を捻出する必要がある。なので生徒会の仕事をしている時間は本当のないのだ。
「そろそろ教室に戻るぞ。ソフィーがずっと弁当にも手を付けないで待ってるからさ」
「んー。ソフィアちゃんにもよろしく言っておいてね~、あの子とはまたお話ししたいもん」
「了解。ソフィーも姫奈とはもっと仲良くしたいだろうしな、伝えておくよ」
俺は姫奈に別れを告げてから生徒会室を出る。
その時、姫奈はラノベのページをめくりながら小さく呟いていた。
「私、まだ諦めてないもんね……」
俺はその声が聞こえないふりをして教室に戻るのだが――その小さな呟きに凄まじい熱意が込められていた事を、この時の俺は知る由もなかった。
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