第4話、彼女の秘密
ただ迷子の少女を元いた場所に送り届けるつもりだった。
けれど何故か俺は今、その迷子の少女と一緒に喫茶店のテーブルで向かい合っている。
彼女は頬杖をつきながら、じーっと碧い瞳でこちらを見つめていて、その鋭い視線に俺は顔を強張らせていた。
『え、えーっと。ソフィアさんは何飲む? コーヒー? オレンジジュース? コーラなんかもあるみたいだけど――』
『ソフィーでいいわ。身バレした相手に丁寧な言葉遣いされるの、なんだかしっくり来ないのよね』
『しっくり来ないって……』
『ついでに飲み物はコーヒーでお願いね。砂糖とミルクたっぷりで、温かいのだと助かるわ』
そう言いながらむすっと膨れているソフィア。
その態度はまるで拗ねている子供のようで、ついさっきまで見せていた優しげで可愛げのある雰囲気は微塵も無い。
こうなってしまった理由は身バレ、アリス・ホワイトヴェールという超人気Vtuberの中の人が誰であるかを俺が突き止めてしまったからだ。
Vtuberは基本的に演者が誰であるかの情報を明らかにしない。アリスも例に漏れず、顔出しはなく、年齢不詳、本名も謎。前世バレ、つまりVtuberになる前は何をしていたのかも分かっておらず、その正体は一切の謎に包まれていた。
アリスがデビューしてからの一年、それを突き止めようと動いた人間も数多く居たようだが情報は掴めず、結局のところアリスの正体は誰にも分からないままだった。
そんな中でのまさかの身バレだ。
ソフィアがショックを受けるのは無理もない事だろう。
今まで隠してきたアリスの素性を、今日出会ったばかりの俺にいとも容易く言い当てられてしまったのだから。
『ほんっと油断してたわ……明日から日本での高校生活が始まるから気が緩んでたのかしら。日本に来たら絶対にバレる事ないって、これからのびのびやっていけるんだって、そう思ってたのに……それにしてもよく分かったわね?』
『四六時中、アリスちゃんの声を聞いてるからかな。初めてソフィーの声を聞いた時も、懐かしいなって聞き覚えのあるアリスちゃんの声にしか思えなかった』
『不思議よね……イギリスから遠く離れた日本に住んでるレンに、声だけでバレちゃうなんて』
『まあ、アリスちゃんの場合は世界中にファンがいるからな。俺みたいにアリスちゃんの事が好きすぎて、英語を勉強するようになって、こうやって普通に会話出来るレベルまでなっちゃう奴もいるわけだし』
『え……その話ってもしかして。それじゃあレンがさっき言ってた、必死に英語を勉強した理由って……わたしの配信を見る為だったの?』
『ああ。アリスちゃんの配信をリアルタイムで視聴する為さ。やっぱ翻訳済みの動画を後から見たりするより、そっちの方が推しの存在を近くで感じられるだろ』
俺の言葉を聞いたソフィアは、口をぽかんと開けてから信じられないものを見るような目を向けてくる。
『推しの為に英語が喋れるようになるなんて、どれだけアリスの事が好きなのよ……』
『そりゃアリスちゃんの為に生きているようなもんだからな。朝は早起きしてアリスちゃんの配信をリアルタイム視聴、昼休みはアーカイブだったり切り抜き動画でアリスちゃんの良さを再確認し、夜寝る時はアリスちゃんの囁きASMRで就寝だ』
『さ、囁きASMRって……あなた、もしかしてアレ買ったわけ……!?』
『買うに決まってるだろ、アリスちゃんとの添い寝シチュを体験出来るんだぞ! 甘々ボイスで囁かれて気持ちよくて耳が溶けちまう!!』
興奮気味にそう語ると、ソフィアは頭を抱えながら深くため息をついた。
『恥ずかしすぎて死にそうだわ……リプライとかコメントで感想を目にする事は何度もあったけど、直接言われるのはキツいわね……』
『まあ仕方ないな。アリスちゃんの声は天使のような可愛らしさと、悪魔のように妖艶な魅力を併せ持ってる。俺にアリスちゃんの良さを語らせようとするなら日が暮れても終わらないかもな』
『い、いいから。これ以上は本気で死ぬから、もう勘弁して……』
そう言うソフィアは本当に恥ずかしがっているようで顔を隠すように手で覆っていた。
俺は少しだけやり過ぎたかと思いつつ、店員さんを呼び止めてコーヒーを二つ注文する。もちろん片方はソフィアが頼んでいた通り、ミルクと砂糖をたっぷりだ。
それから運ばれてきたコーヒーに口を付けて、ほっとした様子のソフィアに俺は再び話しかける。
『それで? アリスについて熱く語らせたいわけじゃないなら、どうして俺を喫茶店なんかに連れ込んだんだ? 大通りに出た後、元いた場所にも帰れそうだったんだろ?』
『決まってるじゃない、口止めの為よ。わたしがアリスだって事はあなたにバレた、でも事務所の人以外でその事実を知ってるのはあなただけ。この事が世間にバレたらアリス・ホワイトヴェールはおしまいなの』
『どうしてだ? 正直言ってソフィーはめちゃくちゃに可愛いし、顔バレしたらむしろファンが増えると思うけどな。イメージ通りっていうかイメージ以上だ、アリスちゃんも可愛いのに中の人まで綺麗で可愛いって凄すぎないか?』
『……っ。そういう事をサラッと言うのはずるいでしょ』
頬を赤く染めながら目線を逸らすソフィア。それから深呼吸をして、素性をなぜ隠すのかを語り始めた。
『……わたしは目立つことが苦手なの。人前に出るのも本当は嫌。でもアリスとして配信をする時だけは別なの。あの子になっている時だけは自分の中にある理想の姿を表現出来る。見てくれる人と笑い合って、時には歌を聴いてもらったり、色んな話をみんなと一緒にするの。そんな時間が大好きだから、わたしは頑張れる。でもソフィアとしては無理なの……アリスじゃなきゃダメなのよ』
言葉にするにつれて段々と声が小さくなっていく。
彼女は多くの人を笑顔にして、そして魅了する才能も持っている。けれど周囲から目立つのが苦手という大きな問題を抱えていた。
だからこそVtuberという職業は彼女にとって天職だった。自分の素性を隠し、Vtuberという仮面を被る事でその才能を発揮する事が出来る。アリスの後ろに隠れれば、決してソフィアという人間が表に立つ事はないのだから。
『なるほどな。ソフィアとしての自分をファンの人に知られたら、本当の自分がちらついて、アリスちゃんという理想の存在を表現出来なくなるわけか』
『そうよ。あなた一人にバレちゃっただけなら、わたし何とか我慢出来る。でもファンの人全員にバレたらおしまいよ、だから絶対に秘密にして』
そう言ってソフィアは真っ直ぐに俺を見つめた。
決してアリスを辞めたくないと、これからもずっと続けたいという強い意志が碧い瞳の中で輝いている。
『タダとは言わないわ……もちろん交換条件も用意する、どう?』
『交換条件……? それは一体?』
『電話を繋げて、レンだけの、スペシャルASMRを聴かせてあげる。あなたの名前を呼んで、優しく囁いて、極上の眠りに誘ってあげるわ』
『マジか、それマジで言っているのか……? つまりアリスちゃんが俺だけに囁いてくれるって……そういう意味だよな?』
『そうなるわね。特別に録音も許してあげる、何度もリピートして聴く事を許可するわ』
『――っ!!??』
それは願ってもない最高の交換条件だった。
大好きで仕方のないあのアリスが、俺だけに向けてあの甘い声で囁いてくれる、夢の中に誘ってくれる。ファン全員に向けたものではなく、俺ただ一人の為に優しく言葉を紡いでくれる。
こんな素晴らしい条件を提示されて断る理由なんてない。
俺は全力で首を縦に振り、彼女の提案を受け入れる事にした。
『分かった、絶対に秘密は守る。いや守らせてください。誓います』
そもそも俺がアリスの素性をバラす可能性は全くのゼロなのだ。
俺が秘密をバラせばアリスはきっとVtuberを引退するだろう。アリスは俺にとって生きる希望で、アリスがいるから頑張れる。俺が秘密をバラす事でアリスがいなくなってしまうのなら、そんな事は絶対にやらないし、したくない。
それに加えてアリスと一対一で録音可能な俺だけのスペシャルなASMRの確約までもらえるのだ。これはアリスを推し続けてきた俺にとってメリットしかない最高すぎる取引だった。
俺の返事を聞いて、彼女はほっと胸を撫で下ろしてから笑顔を見せてくれた。
『良かった……そう言ってもらえて本当に安心したわ。あの時、もう終わったって……そう思ったもの』
『でも今までよくバレなかったな。アリスちゃんの話題が出た時のソフィー、めちゃくちゃ分かりやすかったぞ』
『そ、それはあなたの勘が鋭すぎるだけよ。アリスの配信を見た事のある友達だっていたけど、わたしがアリスだって事に気付いた人はいなかったもの』
『うーん、そこだけは理解出来ないな……よく一年も隠し通せたなって不思議だよ』
あんなに分かりやすい反応をするソフィアがどうしてイギリスにいた頃は身バレを防ぎ続けてこれたのか、それだけはさっぱり見当がつかない。
アリスを知る友人が近くにいたのなら普通は気付くだろう。それなのに誰もアリスの中の人にたどり着けなかったのは一体どうしてなのか、それを疑問に思っているとソフィアは何かを閃いたように手を叩いた。
『あー、そっか。そうなのかも。レンはアリスの事しか知らないからよ。わたしの性格とか全く抜きにして、わたしを声だけでアリスだって判断したから、それで気付けたのね』
『ん、それってつまりどういう事だ?』
『ねえねえ。レンが思っているアリスの性格、ちょっと言ってみて?』
『アリスちゃんの性格? えーっと清らかで優しくて努力家で、わがまま一つ言わずどんな事にでも一生懸命で、それに他のVtuberともめちゃくちゃ仲良いな。誰とでも仲良くなれる広い心を持ってて、どんな人にも別け隔てなく接する天使みたいな女の子、だと思う』
俺がそう答えるとソフィアはうんうんと満足そうに何度も首を縦に振る。
それから彼女は満面の笑みを浮かべて言った。天使のような微笑みのはずなのに、何故か背筋に悪寒が走るのを感じた。
『あは、やっぱりそう! あのね、真逆なの! わたしって超が付くほどのワガママだし、友達を作る時もめちゃくちゃ人を選ぶわ。嫌いになったら速攻で縁を切るタイプよ!』
『え、あ、え? それってどういう……?』
『要するにね、イギリスに居た頃はわたしの性格を知っている子しか周りにいなくて、アリスっていう理想の存在と、わたしっていう現実を結びつける事が出来なかったの。でもあなたは初対面でわたしの事を全く知らなかったわけでしょ、だから優しくて天使みたいなアリスとわたしのギャップに気付かなかったって事なのよ!』
自信たっぷりな表情で語るソフィアを見て、俺は持っていたコーヒーカップを落としそうになる。慌ててテーブルにカップを戻して、それから恐る恐るソフィアへと尋ねた。
もしかしたら聞き間違いかもしれない。
俺の勘違いかもしれない。ちゃんと聞いていたはずはなのに、どうしてか確認せずにはいられなかった。
『つまりソフィーはアリスちゃんと似ても似つかない性格だと、そう言っているわけか?』
俺の質問に対してソフィアはあっけらかんとした態度でこう答えた。
『ええそうよ。ほら喋り方も全然違うじゃない? アリスの時はもっと物腰が柔らかくて優しそうで、あの子に比べたらわたしって全然違うでしょ?』
『確かに喋り方はちょっと違うけど……それ以外はほとんど一緒だって。だって、さっき公園で会った時のソフィーって、すごく優しそうで臆病な感じもして、つい守りたくなるような小動物感があって、それこそアリスちゃんっぽさが滲み出てたじゃないか』
『初対面の相手にいきなり性格悪いとこ見せられないでしょ? あれはいわゆる猫被ってたってやつね、わたしの理想はアリスだからそういうとこで似ちゃうのは仕方ないわ』
『っ~~!?』
『それにあなたの言う通り、アリスは常に努力家でやる気に満ち溢れててしっかり者って感じよね。でもそこも正反対、わたしはめんどくさがりだし努力とは無縁の生活を送ってるの』
『う、嘘だろ……? あのがんばり屋で真面目なアリスちゃんが……めんどくさがりで、努力とは無縁の生活……?』
『アリスじゃないわ、ソフィアはそうよって話。って何だかややこしいわね。ともかく、もうそこまで知っちゃったんだから絶対に逃さないから。今日の事は墓場まで持っていく覚悟でいなさいね?』
そう言ってソフィアは笑っていたが、その碧い瞳は獲物を狙う肉食獣のようにギラついていた。
今日この日、俺は夢を見ているんじゃないかと本気で思った。
無垢の天使を彷彿とさせる俺の推しアリス・ホワイトヴェールの中の人が、そんな彼女とは真逆のような性格だったなんて、信じられない。
そしてそれを知ってしまったその日から、俺は彼女に振り回される日々を送る事になったのだ――。
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