第9話 そして決勝戦。
中堅の二年の高田さんが畳みに上がる。頼むから、ケガだけはしないでくれ。
俺は、祈るような気持ちで見ていた。
「始め」
審判の声と同時に、試合が始まった。ここでも、相手に捕まると、いいように振り回されてばかりだ。
負けるのも時間の問題だ。もう、見ちゃいられなくて、俺は、目をつぶった。
「ナギちゃん、ちゃんと見てなきゃダメでしょ。あの子、がんばってるわよ」
隣の春美に言われて、そっと目を開けた。すると、そこに飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
後輩の二年の高田さんは、組まれながらも相手の力を利用して倒すと、下からその腕に絡みついている。
必死の形相だ。相手が振りほどこうとしても、決してその手は離さない。
「がんばれ」
俺は、自分でもわからないうちに、声を飛ばしていた。
応援席からは、声を枯らしての声援が続く。
「それまで」
審判が試合を止めた。二年の高田さんが離れる。しかし、相手は、蹲っていた。
「絞め技、一本」
なんと、勝ってしまった。後輩の二年生が、相手を助け起こす。観客席から拍手が起こった。
それより何より、まさかの三連勝で、準決勝進出が決まった。これでベスト4だ。
控えに返って来た高田さんになんて声をかけていいかわからない。
もう、この時点で感無量だ。
「がんばったわね」
「ハイ、刑事さんに教えてもらった、脇固めが決まりました」
息を切らしながら言った。それって、プロレスの関節技だろ。もう、柔道じゃない。
「次、副将前に」
「ハイ」
この波に乗って、四人目も勝とう。いや、絶対勝てる。俺は、もう、信じることにした。負けるとか、ケガをするなとか、そんなことを言ったら、がんばっている後輩たちに失礼だ。
俺たちについてきた後輩たちのこれまでの戦いを見れば、どれほど強くなっているのか明白だ。
俺は、気持ちを切り替えて、試合を見ることにした。
「始め」
試合が始まった。相手は、すでに負けが決まっている。ここまでまさかの連敗だ。
意地でも勝ちに来るはずだ。なのに、二年の坂口さんは、相手が掴みかかってくるのを紙一重で避けている。
しかも、相手の出方をきちんと見極めている。そして、相手の隙をついて、足を引っ掛けた。
相手が倒れる。しかし、すぐに起き上がって、攻める手を緩めない。
二年の坂口さんは、二歩、三歩と後ろに引いた。相手が追ってくる。すると、両手を畳について相撲のような姿勢をとる。そして、一気に突っ込んだ。
しかも、相手の股の下に向かって、姿勢を低くして頭から突っ込むと、そのまま立ち上がった。体が持ち上がると同時に、背中から畳みに落ちた。
「一本、それまで」
ウソのような試合だった。こんなことがあるのか……
こんな柔道は、今まで見たことない。
「すごいわ、なんて技?」
「アルフォンヌ先生に教わった、股潜りです」
だから、なにを教えてるんだ。相撲じゃなくて、柔道を教えろ。
でも、勝ったんだから文句は言えない。
初心者ならではの試合の仕方だ。白帯の二年生たちは、柔道をしたら、確実に負ける。
だったら、柔道をやらなきゃいい。他の格闘技の技で勝負する。
そういう戦い方もあるのか。俺は、感心仕切りだった。もしかしたら、俺の足りないところは、そういう応用が利かないところなのかもしれない。
さぁ、次は、龍子だ。大将として、申し分がない実力者だ。
堂々と柔道をやって、勝ってくれるはずだ。
相手は、龍子と同じように力技の得意な選手だ。これぞ、柔道という試合を見せてもらおう。
「始め」
がっちり組み合った。お互い力は同じだ。力を抜いた方が負ける。
二人は、組み合ったまま動かない。負けるな龍子。独眼龍子と呼ばれるお前が、こんなところで負けるな。
時間が刻々と過ぎていく。二人は、まだ、組み合ったままだった。
そして、試合が動いた。相手が龍子の腕を強引に払って、投げを打った。
龍子は、体を向き直したが、間に合わず畳みに顔から倒れた。
「技あり」
危なかった。ギリギリのところで、免れた。俺は、ホッと息をついた。
ところが、立ち上がったときの龍子を見て、俺は、ドキッとした。
顔から落ちたことで、額を擦りむいたのか、赤い血が顔を伝っていた。
それだけではなかった。失明した左目を隠している眼帯が外れてしまった。
会場は、水を打ったように静まり返った。失明している左目が見えてしまった。
「龍子!」
いたたまれず、正宗が叫んだ。正宗の気持ちは、痛いほどわかる。
片目をなくした原因は、正宗自身だ。その無くした片目を隠している眼帯を、大勢の観客の前で晒すことがどんなにつらいか……
しかし、龍子は、落ち着いていた。
控えで心配している俺たちに向かって、笑って手を振ると、道着の袖で顔の血を拭いた。
そして、足元に転がっている眼帯を拾うと、何もなかったかのように、左目に付け直した。
審判が心配してなにか話している。しかし、龍子は、手を振って、試合再開を告げた。
「さぁ、来い」
龍子が構えた。もはや、相手は戦意喪失だった。龍子が相手と組み合うと、
あっさり投げ飛ばした。
「一本、それまで」
審判の声に、会場中が大歓声に包まれた。互いに礼をして、控えに戻ってきた龍子を女子はもちろん、男子たちが取り囲んだ。
「主将、カッコよかったです」
「まだ、血が出てるわ。今、バンソーコーを持ってきます」
そう言って、二年生の女子が救護室に走る。
「姐さん、感動しました」
バカ兄弟が、号泣しながら龍子の腕を掴んでいる。
「龍子先輩、大丈夫ですか?」
男子たちも傷を心配している。
「もう、大袈裟にしないでよ。あたしは、大丈夫だから。ちょっと擦りむいただけよ」
龍子は、笑って言った。
「龍子、お前……」
正宗も感無量のようで、言葉が出てこない。
「さぁ、次は、準決勝よ。次も勝とうね」
「おおぉぅ!」
チームワークは最骨頂だった。雰囲気は、抜群だ。この調子なら、絶対に優勝できる。俺は、そう確信していた。最高の仲間に囲まれて、俺は、もしかしたら、すごい幸せなのかもしれない。
今までは、一人でやってきた。団体戦なんて出たことがない。
常に個人戦で、自分のことだけを考えて勝ってきた。それが、初めての団体戦を体験して、なんだか気持ちよくなってきた。
柔道は、個人競技だというが、そうとはいえないかもしれない。
全員で勝って行く。つらい練習も仲間たちがいたからやってこれた。
その仲間たちと戦う。そんな団体戦もいいかもしれない。
「おい、見てみろ」
正宗に肩を叩かれた。顔を上げると、これまで相手にしてこなかった会場の観客たちが、俺たちに拍手と歓声を上げている。一回戦、二回戦と、俺たちに負けた部員たちまでが俺たちを応援している。こんな寄せ集めで、無名の俺たちを応援しているのだ。信じられなかった。
「優勝しろよ」
「次も勝てよ」
「強いぞ、お前ら」
アチコチから声をかけられた。大声援は、俺たちの応援団だけじゃなくなった。俺は、唖然として、周りを見ていることしか出来なかった。
「いいか、次も勝って、絶対、決勝に行くぞ」
「ハイ」
全員が一つにまとまった瞬間だった。
準決勝までの短い休憩の間に、正宗が龍子の傷を心配して話し掛けていた。
「傷は、大丈夫か? 痛くないか」
「こんなのへっちゃらよ」
龍子は、そう言って笑った。
「ごめん、龍子の左目を見せちゃったな」
「別に、恥ずかしくないから、気にしないで」
「しかし……」
「正宗くん、あたしの左目は、もうないけど、ちゃんとあなたのこと見えてるのよ」
「龍子……」
「まだ、右目もあるんだから、あたしは大丈夫。次も勝つわよ」
そんなやり取りを見て、感動してたのは、双子の兄弟だけではない。
「みんな、龍子さんと正宗さんのためにも、絶対優勝しようね」
春美が大きな声で言った。
「ハイ!」
全員の声が揃った。言うまでもない。俺だって、そうだ。この大会は、絶対に勝つ。自分のためじゃない。正宗と龍子のためだ。そのためなら、なにが何でも勝って見せるつもりだ。
そして、準決勝のときがきた。会場は、全員が俺たちに声援を送っていた。
母さんや刑事たちの野太い声もかき消されそうだ。
まずは、男子からだ。
「兄ちゃん、がんばって」
「おぅ。親分と姐さんのために、勝ってくるから、銀次もよく見とけ」
任侠映画のような双子の兄弟の会話も、今となっては心強い。
先鋒の金次は、胸を張って、畳に足を踏み出した。
準決勝の相手は、去年の優勝校だ。いくら金次でも、簡単には勝たせてもらえないだろう。しかし、今の金次に勝てるやつはいない。
試合が始まった。相手の気迫は、すごかった。だが、金次は、それ以上だった。相手が掴みかかる腕を難なく払いのけると、相手の襟首を掴むと同時足払いで倒した。
「有効」
相手も強い。ギリギリのところで、一本を免れた。
しかし、金次は、攻撃の手を緩めなかった。すぐに相手を掴みに行く。
掴んだ腕を離さない。そして、力いっぱい相手を投げた。
相手は、受身を取る暇もなく、畳に叩きつけられた。
「一本、それまで」
金次の勝ちだ。手ごわい相手だったが、金次は負けなかった。
肩で息をしながら戻ってきた金次は、Vサインを出した。
次は、銀次だ。負けるな。俺は、祈るような気持ちだった。
互いに礼をして、試合が始まった。準決勝ともなると、相手も強い。
銀次も防戦一方だ。何度も投げられそうになる。寝技に持ち込まれても、相手を押しのける。手に汗握る熱戦だった。
「銀次、負けたら、承知しないぞ」
兄の金次の声がする。銀次は、兄の声援で力を呼び戻した。
「うりぁーっ!」
相手の襟首を掴むと、後ろに倒した。
「技あり」
審判の声が飛ぶ。そのまま銀次は、押さえ込みに入った。
必死の形相が見える。あの銀次でも、簡単には勝たせてもらえない。
時間が迫る。もう少しだ。がんばれ、銀次。
「それまで」
審判の判定は、優勢勝ちだった。危なかった。もう少しで、銀次が負けるところだった。
戻ってきた銀次は、肩で息をしていた。
「銀次、よくやった」
「兄ちゃん……」
兄の金次が弟の銀次を明るく出迎えた。これで二勝だ。あと一勝で、決勝だ。
「中堅、前に」
審判の掛け声で、二年の近藤くんが畳みに上がった。
「始め」
相手が気合を入れるように叫んだ。すると、会場全体が、俺たちを応援する声がかき消した。
どういうわけか、今まで俺たちなど相手にしなかった奴らまでが、俺たちを応援していた。無名の俺たちに声援を送るなんて、俺は、信じられなかった。
柔道の大会では、自分たちの代表の選手を応援することはあっても、対戦相手や負けた相手を応援するなんてありえないことだ。俺は、会場を見回して、不思議な感情を感じた。
「ナギちゃん、どこ見てんのよ。ちゃんと、見てなきゃダメでしょ」
隣の春美に言われて、ハッとした。俺は、前に視線を送った。
相手が二年の近藤くんに掴みかかってきたところだった。すると、近藤くんは、相手の腕を肩に回しもう片方の腕で相手の股に手を入れると、勢いよく投げた。
相手は、受身を取る暇もなく、畳に背中から落ちた。
「一本、それまで」
マジかよ! 三勝したぞ。会場が大きな歓声と拍手に覆われた。
まるで、優勝したような雰囲気だ。
ホントに、三人で決めた。汗だくで返って来た近藤くんを、俺たちは、拍手で迎えた。
「うまくやれました。ボディスラムです」
それって、ホントにプロレス技だろ。柔道の試合じゃないのか……
いったい、そんなのどこで覚えたんだ。まさか、また、刑事とかアルフォンヌが教えたのか?
さり気なく聞くと、後輩の高田くんは、笑いながら言った。
「渚先輩のお父さんに教えてもらいました」
と言った。親父までが、そんなことをしてたのか。知らなかった。
でも、それって、反則じゃないのか?
でも、審判は、俺たちの勝ちと言った。てことは、ホントに勝ったのか。
それにしても、俺たちの回りにいる大人たちは、ホントに余計なことをしてくれる。だけど、それは、とてもうれしいことだ。俺は、素敵な大人たちに恵まれている。
次は、副将の番だ。果たして、次は勝てるのか?
そんなまぐれみたいなことは、そんなに何度も通じるはずがない。
それが、俺の柔道の常識だ。柔道には、柔道の技がある。技と技のぶつかり合いなのだ。
その間逆なことが、現実として、俺の目の前で起きているのだ。
「始め」
審判の声で、俺は、我に返った。俺の中で、柔道の常識と言うのが崩れ去った。
試合が始まった。相手は、がむしゃらに向かってきた。猪突猛進というやつだ。
まるで、ラグビーかアメフトのタックルさながらだ。こんなのをまともに食らったら、失神どころか、大怪我する。そのときだった。二年の沖田くんが、突然、声を上げて、上を指差した。
「あーっ!」
するとどうだ。一瞬、沖田くんを見失った相手は、そのまま大会役員たちが座っているテーブル目掛けて頭から突っ込んだ。そして、そのまま、二度と起き上がることはなかった。
「棄権により、一本」
なんという判定だ。泡を吹いて失神している相手は、担架で運ばれていく。
二年の沖田くんは、頭をかきながら、汗一つかかず、息も切らしていないで、戻ってきた。
「勝っちゃいました。まさか、この手が通じるとは、思いませんでした」
そう言って、照れ笑いを浮かべている。
「それ、自分で考えたの?」
俺は、興味深々で聞いた。すると、沖田くんは、照れながら言った。
「渚先輩のお母さんに、教わったんです。突っ込んでくる相手の視線を反らせば、自滅するって」
今度は、母さんか…… なんてこった。
「渚先輩のお母さんのおかげで勝てました。ありがとうございました」
そう言って、頭を下げる後輩を俺は、呆れて見ているしかなかった。
柔道なんてまったく知らない母さんのアドバイスで勝てるとは思わなかった。
体中から力が抜けていく気がしてきた。
さぁ、次は、大将戦だ。正宗の出番だ。決勝進出は、決まっているが、ここはきっちり勝たなきゃ示しがつかない。
正宗は、すでに、気合充分だった。助っ人の双子の兄弟と後輩の二年生が、しっかり結果を残した。ここで勝たなきゃ、男じゃないぞ。しっかりしろと、俺は、心の中で正宗に声をかけた。
しかし、相手の大将も、気合満点だ。顔が真っ赤だ。やる気充分と言う感じだ。
相手は、次の三位決定戦に向けて、気を取り直している感じだ。
「始め」
試合が始まった。大将戦だけあって、白熱した試合だった。
どちらも譲らず、時間だけが過ぎていく。正宗は、次の個人戦もあるんだ。
ここで疲れてはまずい。早く終わらせて、休まないといけないのだ。
決勝までは、少し時間がある。三位決定戦もあるため、休息時間は30分以上ある。
体を休ませないといけないのに、時間をかけているのは不利だ。
体力を消耗してしまうので、早く終わらせないといけない。
なんとなく、イライラしながら見ていると、ストレスがたまる。
だが、それは、相手も同じだった。持久戦に持ち込まれるのを嫌がって、執拗に攻めてくる。
それを交わすのが正宗だった。交わしてないで、受けて立ってやればいい。
相手は、イライラが募ってきたらしく、かなり強引に投げようとする。
それを正宗は、押しつぶすようにして、寝技に持ち込んだ。
体の大きな正宗に上から押さえつけられると逃げられない。
「押さえ込み」
審判の声で時計が動く。このままいけば勝てる。投げ技ではないが、寝技でも勝ちは勝ちだ。
「それまで、押さえ込み、一本」
審判の掛け声で、試合が終わった。
「よしっ、やったー」
双子の兄弟が拳を突き上げて叫んだ。
正宗は、息を弾ませて戻ってきた。それをみんなが取り囲む。
「親分、いよいよ決勝ですよ」
「主将、優勝しましょう」
しかし、息を吐きながらも正宗は、気を緩ませることはなかった。
「優勝するまで、気を抜くな。女子の試合をしっかり見てろ」
こんな時でも、一人落ち着いている正宗を見ていると、なぜだか安心する。
よし、次は、俺の出番だ。勝って、決勝にいくぞ。
俺は、心の中で、闘志が沸き立つのがわかった。
「先鋒前に」
呼ばれた俺は、やる気をみなぎらせて畳みに上がった。
正宗率いる、男子チームは、いろいろあったが、ここまで全勝したんだ。
俺たち女子チームも花を添えてやらなきゃ、バチが当たる。
もっとも、俺は、女子ではないが……
「始め」
気合一閃、相手が俺に組み合ってきた。組んだだけでわかる。
相手は、ものすごく強い。しかも、柔道の基本が出来てる。地味な練習を毎日、繰り返しやっている。
それだけに、柔道がなにかということがわかっている相手だけに、俺のような柔道を一直線に向き合っているだけに、やりやすかった。
襟首をつかまれ、袖を引かれて、力任せに引きつけられ、振り回されて、俺は、うれしくなった。
柔道が出来る。それが楽しかった。龍子とは違う、基本に忠実な柔道をする相手にめぐり合えた事が俺は、たまらなくうれしかった。柔道をやっていてよかったと思う瞬間だ。
自分でもわかるくらい、顔が笑っていた。俺は、自分の顔を相手の瞳に映るのを見て、顔を引き締めた。
そして、相手の技が炸裂した。足を払ってきた。俺は、それを避けながら、体重を相手に乗せた。
バランスを崩した相手は、うつ伏せに倒れた。俺は、すかさず寝技に持ち込んだ。だが、そこは、遠慮するしかない。ホントを言えば、俺は、男で相手は女子だ。この秘密を知っているのは、仲間の内の極一部だけだ。
しかし、大勢の見ている前で男の俺が、女子を寝技に持ち込むのは、俺の男としての理性が許せなかった。
俺は立って、相手が立ち上がるのを待った。相手は、なぜ、寝技で攻めてこないのか、不思議そうな顔をしている。
心の中で、ごめんと手を合わせながら、構えて見せた。
相手は、気を取り直して、再び攻めてきた。だが、今度は、そうはいかない。
今度は、俺の方からいかせてもらう。俺は、相手の襟を掴み、袖を掴みながら、足を払う。
相手の体が浮いたところで、背中に乗せて、基本どおりの背負い投げを見舞った。
「一本それまで」
審判の声で、試合が終わった。お互いに礼をして、俺は控えに戻った。
「やるじゃん、ナギちゃん」
「バカ、春美も負けないでよ」
俺は、こんな時でも緊張もしないで、軽口を言ってくる春美にそう言った。
次の春美の相手は、いわゆるテクニシャン系で、多彩な技を持つ相手だ。
しかし、それは、春美にとっても得意な相手だ。
試合が始まっても、お互いに技の応酬だった。まさに、いい試合だ。
もしかしたら、この大会のベストかもしれない。
それくらい、息詰まる熱戦だった。それでも、春美のが一枚上手だった。
複雑な技をいくつも出してくる相手を交わすと、華麗に投げて見せた。
「一本」
これで、二勝目だ。この調子で行け。もう、後輩女子たちを格下とは見ていない。柔道ができないなら、出来ないなりに考えて、技を繰り出す。
それでも勝てばいいのだ。
中堅の試合が始まった。今度は、どんな技で相手を倒すのか、俺は楽しみになっていた。
相変わらず、相手のペースで試合が進んでいく。振り回されるのは、これまでと同じだ。
しかし、二年の高田さんは、焦っている様子はなかった。チャンスを窺っているのだ。
「焦るな」
気がつくと、そう呟いていた。
相手が倒そうと技を仕掛けてきたところを逆に相手の体に絡みついた。
そのまま自分の体重で倒す。そして、腕で相手の片手を組み付き、両手で顔を締め付けた。これって、なんて技なのか、俺にはサッパリわからない。
でも、寝技には違いない。
柔道技ではないが、これはこれで、押さえ込みなのだ。
すると、空いていた相手の片手が畳を何度も叩いた。
「一本、それまで」
なんと、勝ってしまった。これで、三連勝で、決勝進出だ。
会場は、割れんばかりの歓声が上がって、屋根が吹っ飛びそうだ。
互いに礼をして、控えに戻ってきた二年生に聞いてみた。
「今のって、なんて技なの?」
「チキンフェースヘッドロックです。昨日、プロレスの動画を見て、覚えました」
えっと、チキン…… なんて技なのか、まったくわからない。
しかし、ネットの動画を見て覚えるとは、何で勝つかわからない。
とにかく、これで、決勝にいけるのだ。結果オーライってことにする。
これで、気合が入ったのか、次の副将の坂口さんも、やる気充分だった。
「がんばってね」
「ハイ」
俺が声をかけると、明るく返事をした。もう、昨日までの、弱い後輩女子ではなかった。
試合が始まった。すでに決勝進出は決まっているのに、応援の声は、俺たちのが多くなっていた。
無名の俺たちが、全勝で勝ってきたのは、それほど珍しいことだった。
誰も名前を知らない、副将の二年生に大声援が送られる。これで、奮起しないわけがない。
すでに負けが決まっている相手だが、決して、力を抜くようなことはしない。
普通に柔道をやれば、ウチが負けるのはわかってる。だが、今では、今度はどんなことをして勝つのかそれを見ている人は、それを期待している。熱気がそれを伝わってきた。
相手は、執拗に手を出してくる。しかし、坂口さんは、まるで空手かカンフーのようにその手を交わしている。道着を掴むことができない相手は、次第に手数が増えていく。
それだけイライラしている証拠だ。すると、坂口さんは、掴みかかる手を掴むと
その反動を生かして、軽く捻って見せた。相手は、簡単にひっくり返った。
「技あり」
審判の声が上がった。背中から落ちなかったのは、相手の受身が巧かったからだ。顔を真っ赤にして立ち上がる相手は、またしても手を細かく出してくる。
それをすんでのところで交わすと、またしても相手の腕を掴むと捻った。
相手は、またしても簡単にひっくり返った。
「有効」
なんだ、この技は? 全然見たことがない。どんな技なんだ…… どうして、こんなことが出来るんだ?
俺は、目が点になった。意味がわからない。誰が教えたんだ?
アルフォンヌか、刑事たちか、それとも俺の親父か? どこの誰に教わったんだ。
「一本、それまで」
後輩女子の優勢勝ちだった。これで、四連勝だぞ。おれは、夢を見ているような気分だった。
会場中から大歓声が起きた。もはや、俺たちの応援団の声など、聞こえてこない。
「すごいわね。誰に教わったの?」
「ハイ、兄のマンガを見て、やって見ました。まさか、ホントに出来るなんて、思いませんでした」
今度は、マンガを見て、覚えたとは、開いた口が塞がらない。
どこに柔道の教科書があるかわからない。マンガを見て勝てるなら、練習なんて必要ない。今度のそのマンガを貸してもらおう。ちなみに、そのマンガとは
『空手バカ一代』というのは、後で知った。
そして、大将は、龍子だ。気合満点の表情をしている。こんな龍子を見るのは、身近で見るのは、初めてだ。
「主将、がんばって下さい」
「龍子さん、負けるなぁ~」
試合を終えた男子も女子も、声を飛ばしている。全員の声援を背中に受けた
龍子が、負けるはずがない。
「始め」
審判の合図で試合が始まった。龍子は、積極的に相手を攻めた。
相手のが防戦一方だ。そのまま場外まで押しやった。中央に戻って、試合が再開する。
今度は、相手が攻撃を仕掛けてきた。足と腕が交互に細かく動く。
まるで、ダンスでもしているようだ。
それでも龍子は、確実にそれを交わしながら、前に進む。相手の息遣いのが荒くなってきた。
攻め疲れて来た相手を倒すのは呆気なかった。龍子は、得意の寝技に持ち込んだ。龍子にがっちり押さえ込まれたら、相手は動くことも出来ない。
「押さえ込み、一本」
「やったーっ!」
控えの後輩たちから声が上がるが、客席からは割れんばかりの拍手と歓声が上がった。戻ってきた龍子を俺たちは、拍手で迎えた。
「お疲れ様です」
「すごいです、主将」
出迎えられた龍子は、静かに笑って言った。
「次は、いよいよ決勝よ。気を抜かないでよ」
「ハイ」
「いい、絶対、優勝だからね」
龍子の言葉に、俺たちは、勇気をもらった。ここまで来て、負けの二文字は俺たちにはない。
俺は、なぜかわからないが、今まで味わったことがない、晴れやかな気分だった。今まで、何度も勝ってきた。優勝もしてきた。そのときの実感とは、まったく違うものだった。
この勝利は、一人で勝ち取ったものではない。みんなで掴み取った勝利だ。
きっと、それが、今までとは違うものなんだろう。
団体戦も、悪くないじゃないか。俺は、決勝の舞台を見ていた。
決勝戦までは、少し時間がある。休憩と三位決定戦の後なので、少し休めるのがうれしい。
これで、個人戦に出る俺たちは、体を休ませることが出来る。
俺たちは、一度控え室に戻って、タオルで汗を拭いていた。
そこに、アルフォンヌと妹がやってきた。
「あなたたち、よくやったのだ。次は、決勝戦なのだ。キミたちなら、勝てるのだ。キミたちは、強くなったのだ」
アルフォンヌの一言は、俺たちにとって、何よりの力だ。
「もう、言うことはないのだ。しっかりやってくるのだ」
「ハイ」
みんながそれにはっきり答えた。
「おにい…… じゃなくて、お姉ちゃん。がんばってね」
こんなときに言い間違えるんじゃない。
「お父さんなんて、もう、大泣きしてるのよ」
なんだそれ。まったく、親父は、あんな顔して年々涙腺が緩くなってくるようだ。
「お母さんなんて、応援団長みたいで、刑事さんたちが、熱くなって止めるの大変よ」
そんなことを言ってる妹も、すでに目が赤くなっている。感動屋なのは、父親譲りのようだ。
「いいから、あんたは、黙って見てなさい。ちゃんと優勝してくるから」
「うん、がんばってね。みんなも、がんばって下さい」
妹が、一人ひとり、手を取って励ましてくれた。
「雪姉さんのために、必ず優勝します」
相変わらずバカ兄弟は、調子がいい。いいから、その手を離せ。
「正宗さん、優勝して下さい」
「ありがとう」
「龍子さん……」
それきり、妹は、言葉にならなかった。顔に傷をつけて、眼帯で隠している左目まで晒しても
がんばっている龍子に感激したらしい。
「雪ちゃん、あなたにもずいぶん助けてもらったからね。勝ってくるわ」
「龍子さん……」
だから、泣くのは早いって。まだ、優勝してないんだぞ。泣くのは、優勝してからだろ。
アルフォンヌは、すすり泣いている妹を連れて、観客席に戻っていった。
「さぁ、泣いても笑っても、次で最後だ。全員、気合入れていくぞ」
「おおぉ!」
正宗の言葉に全員が一つにまとまる。
「これが最後の試合になる人もいるから、悔いがないように、試合をしましょう」
「ハイ!」
龍子の言葉は、胸に刺さる。後輩の二年生は、これが最後の試合になる。
最後は、勝って終わりたいに決まってる。有終の美を飾るんだ。
最初は、勝って俺たちのことを学校に認めさせたいと思って始めたことだが
今では、そんなことは、もう、どうでもよかった。勝っても、俺たちのことは、記録には残らない。
しかし、記憶には残るだろう。それだけで充分だ。それ以上は、求めない。
俺たちは、勝つことだけで満足なのだ。
会場では、三位決定戦が始まっていた。これが終われば、いよいよ俺たちの出番だ。
「よし、みんな、行くぞ」
正宗が気合を入れていった。
「ちょ、ちょっと待つのだ」
そこに、アルフォンヌが慌ててやってきた。
なんだ、この大事なときに。監督が水を刺してどうする。空気を読め。
俺は、心の中で呟いた。
「優勝したら、正宗くん、龍子くん、ナギくん以外は、急いで着替えて客席に戻るのだ。わかったのだ。いつまでも、控えにいないで、すぐに引っ込むのだ」
「わかってますよ」
春美が言いながら、アルフォンヌを手で追いやった。
「逃げる準備は、もうしてあります」
双子の兄弟も言った。すべては、万全じゃないか。後は、優勝するだけだ。
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