俺は、女の子!

山本田口

第1話 俺は、男なのに……

オレの名前は、早乙女渚。立派な男だ。最初に言っておくが、決して女ではない。

18歳の高校三年生の男子だ。まずは、そこを忘れないで欲しい。

 最初に、オレの家族を紹介する。父親は、警察官で、暴力団と毎日戦ったり、凶悪犯罪を主に扱う有名な鬼刑事だ。

母親は、CAのチーフパーサーで、毎日、世界中を飛び回っている。

結婚する前は、モデルをしていたらしく、有名人だった。

高校生の子供がいるのに、見た目が美人で若い。

滅多に家に帰らず、今日は、フランスにいるらしい。仕事柄仕方がないが、

たまには、子供の顔くらい見て欲しい。

一歳下に妹がいる。名前は雪。母親似で、兄の俺から見ても、可愛い美少女だ。

特に、父親が溺愛している。しかし、肝心の妹の方は、母親の性格の遺伝なのか、見掛けに反して男っぽくて、女子からのが人気がある。

口が悪くて、いつも兄の俺をイジってくる。

 そんな俺たち家族に、ある日、事件が起きた。

俺たちは、地方の田舎で生活していた。ところが、親父のこれまでの事件解決のことが、伝わったのか東京の警視庁に移動となった。

その結果、俺たち一家は、全員で東京に引っ越すことになった。

 母さんは『成田に近いから便利』と喜んでいるし、妹も『憧れの東京暮らし』と、ワクワクしている。

親父も『天下の警視庁で腕が振るえるとやる気満々』なのだ。

しかし、俺は、まったくテンションが上がらなかった。

だいたい、高校生活をあと一年残して、友だちと別れるのが、淋しかった。

彼女はいないが、友だちはたくさんいた。そんなやつらと別れるのが、つらかったのだ。

 そうは言っても、俺だけ残るわけにもいかず、結局、家族全員で東京で暮らすことになった。

荷物を運び入れ、近所にも挨拶回りを済ませて、家族総出で新居の掃除もした。

 今度のウチは、警視庁が用意してくれたので、新しい一軒家を借りることになった。

一軒家なので、両親も妹も大喜びだ。これまでは、古くて狭いマンションだった。俺たちは、一人ずつ、部屋も持てたし、リビングも広い。

ただ、ウチは、両親揃って、仕事の都合で滅多に帰ってこない。

親父は、事件の捜査で忙しい。母さんは、国際線のフライトで滅多に帰ってこない。よって、俺と妹の二人暮らしである。高校生の子供二人では、一軒家は、

広すぎる。

 そんな家庭の事情で、家事一切は、俺と妹が毎日交代でやるようにしている。

今夜は、妹の担当の日だ。だが、家の中がまだ整理できてないので、食事を作るどころではない。

しょうがないので、出前を頼むことにしたわけだが、俺も妹も、食事よりも問題があるのだ。

 それは、明日から、学校に行かないといけないのだ。

転校するわけで、明日が、初日なのだ。たまたま、それが四月だったので、

転校生という身分の俺たちには余り緊張しなくてもいい気がする。

ところが、肝心の制服が、まだ、届いてない。

「どうすんのよ、お兄ちゃん。明日、着て行く制服がないよ」

「俺に言っても、しょうがないだろ」

 明日が転校初日を迎えるのに、両親揃って家にいない。肝心なときに親がいないって、どういうことだ。

そんなことは、慣れっこだから、いまさら俺も妹も文句を言う気はない。

しかし、制服は、どうすんだ??

 そんなとき、玄関のチャイムが鳴った。妹が玄関に走った。

てっきり、出前が届いたと思ったらしい。

「お兄ちゃん、宅急便だよ」

「中身はなんだ? 開けてみろ」

 もちろん、俺たちが頼んだ覚えはない。妹が小さめの箱を開けた。

「お兄ちゃん、明日着て行く制服だよ」

 きちんと畳まれて、ビニールに包まれた制服が出てきた。

「見てみて、やっぱり、東京の学校の制服は、違うわね。可愛いじゃない」

 自分の体に当てて笑っている妹だった。ちなみに、女子の制服は、グレーの

スカートにチェック柄で白のブラウスに赤いネクタイとグリーンのブレザーだった。

男子は、グレーのズボンに白いワイシャツに赤いネクタイ、グリーンのブレザーは女子と同じだ。

「間に合って、よかったわね」

 妹は、うれしそうに早速、ビニールを破いて、ハンガーにかけている。

そして、俺は、自分の制服を箱から出してみる。

しかし、男子の制服が入ってない。

同じ、女子の制服が二着ずつ、合計四着しか入っていない。

「おい、男子の制服がないぞ」

「そんなわけないじゃん。よく見てみなよ」

 箱を開けてみたが、男子の制服は入ってなかった。

「どういうことだ!」

 俺は、いっしょに入っていた書類を見てみた。すると、そこには、驚くようなことが書いてあった。

『女子用・制服。Mサイズ二着。Lサイズ二着』

 俺は、それを見たとき、目眩がして紙を落としてしまった。

それを拾った妹は、それを読むと、大声で笑い出した。

「アハハ…… また、やられたね」

「うるさい、笑いこっちゃない!」

 そうなのだ。これで何度目だろう…… 俺の名前が『渚』というだけに、

女と間違えられるのだ。

子供の頃から数え切れないくらいだ。こればかりは、慣れるわけにいかない。

「どうすんだよ。明日、学校だぞ」

「しょうがないじゃん。それを着ていったら」

「バカか、お前。俺は、男だぞ」

「だって、男子の制服ないじゃん」

「交換しろ、交換」

「ああ~、それ、無理」

「なんで?」

「あたしのカンが当たってたら、きっと、お兄ちゃんは、今度の学校では、女子として登録されてるのよ。だから、女子の制服が送ってきたのよ」

「ふざけんな」

 俺は、女子の制服を床に叩きつけた。

「ちょっと、もったいないことしないでよ。明日から、自分が着るんでしょ。大事にしないと罰が当たるよ」

「バカか、お前は…… なんで、男の俺が、スカートを履いて、学校に行かなきゃならんのだよ」

「だって、お兄ちゃんは、女の子だもん」

「ちがう!! 俺は、男だ」

 俺は、自分の携帯電話で、親父に電話をした。文句を言って、制服を交換してもらうためだ。

ところが、出ない。きっと、事件の捜査で忙しいのだろう。

次は、母さんに電話してみる。当然、出るわけがなかった。

こうなると、お手上げだ。

「諦めて、お兄ちゃんは、スカートを履いて学校に行くのよ」

「絶対、やだ。俺は、明日、休む」

「えぇ~…… ずる休みは、ダメだよ。明日は、初日なんだよ」

「どこの世界で、スカートを履いて学校に行く、男がいるんだよ。俺は、そんな趣味はない」

「だからさ、ちょっとの辛抱じゃない。事情を話せば、先生たちもわかってくれるって」

「だったら、それまで、俺は、学校に行かない。登校拒否する」

「あっそ。それじゃ、登校拒否してるって、お父さんにメールするから」

「あっ、それは、ちょっとタンマ」

 ホントにメールを打とうとしている妹の携帯を慌てて奪った。

「ちょっと、なにすんのよ。返してよ」

「親父には、言うな」

 ウチの家族は、親父が一番強くて偉い。間違っても、登校拒否なんてことを

知ったら、実の息子であってもただじゃすまない。よくて、半殺し。悪ければ、ボコボコにされて勘当される。

「だったら、学校に行く?」

「せめて、ジャージとかじゃダメかな?」

「学校指定のジャージって、まだ、届いてないじゃん」

「だから、ウチにあるもので……」

「そんなの校則違反に決まってるじゃん。転校初日から、そんなことしたら、怒られるわよ」

 そう言われると、俺も返す言葉がない。

親父も母さんも、子供の教育には、熱心なのだ。

おかげで、俺も妹も、成績はいい。

オマケに、俺は、子供の頃から親父から、柔道を仕込まれている。

学業もスポーツも、俺は、優等生なのだ。ついでに、ケンカも……

 俺は、もはや、選択肢はなかった。屈辱だが、女子の制服を着て行くしかない。

自慢じゃないが、子供の頃から親父に仕込まれた柔道のおかげで、中学時代は

敵なしだった。そして、高校に入学してからも、一年、二年とインターハイで堂々の一位だ。だから、転校先でも、迷わず柔道部に入ると決めていた。

 その俺が、よりによって、女子の制服を着るとは、屈辱以外の何物でもない。

「ねぇ、ちょっと、着てみたら」

「殴るぞ」

「妹を殴ったら、お父さんに言うからね。ちょっとでいいのよ。明日のための練習よ」

 妹は、女子の制服のビニールを破いて、俺に突きつけた。

「ほらほら、早く。あたしが教えてあげるから」

「やかましい。制服くらい、一人で着れるわ」

 とは言ったものの、まずは、ブラウスのボタンが、男子と女子とは逆についていて、ボタンを嵌めるのもうまく出来ない。

隣で、妹が腹を抱えて笑っている。本気で、ぶっ飛ばそうと思ったけど、そんなことをしたら、100倍になって親父に殴られるからやめる。

 やっと、ブラウスを着てはみたものの、スカートの履き方がわからない。

「腰のホックをはずして、チャックを下ろさないと履けないじゃん」

 いちいち妹に教えてもらわないと履けないのが、情けなくて泣けてくる。

「すごいじゃん。サイズもピッタリよ」

 俺は、柔道をやっているが、体格は、いたって普通だ。

いわゆる、軽量級に分類される。

しかし、親父仕込みの柔道のおかげで、俺より大きくて、体重が重い相手でも、投げる自信があった。

そんな普通体型なので、Lサイズなら女物でも着ることができる。

「ネクタイくらいは、自分で出来るでしょ」

 と、妹に言われて、何とか結んでみる。そして、ブレザー着てから、鏡で自分の姿を見る。

「あらぁ~、よく似合うわよ。お姉ちゃん」

 妹が笑いをこらえながら言った。そこに映った自分は、どっからどう見ても、女子だった。

ちょっと背が高い、女子高生なのだ。というのも、俺も妹も、顔が母親に

そっくりなのだ。

妹はまだしも、俺は男なので、女顔をしているので、睨みつけても迫力がない。

せめて、顔くらいは、鬼のような顔をした親父に似たかった。

 これなら、女子高生と言っても、充分通用する自分の姿に、もはや言葉が出なかった。

柔道をやっているので、普通は、髪の毛は、短くして、坊主頭が当たり前だが

母さんが『坊主はイヤ」と、言うので、俺は普通に伸ばしている。

なので、ショートヘアーの女子高生なのだ。

「これなら、誰も、お兄ちゃんが男なんて思わないわよ。この際、卒業まで、それでいったら」

「冗談じゃない。これは、明日一日だけだからな」

 俺は、そう言って、着ている女子の制服を乱暴に脱ぎ捨てた。

本当に、これっきりのはずだった。なんで男の俺が、女子の制服を着なきゃならんのか、意味がわからん。

間違えたやつ、出てこい。責任者、謝れ。俺は、心の中で、そう絶叫していた。


 そして、問題の転校初日を迎えた。記念すべき、俺の屈辱の学校生活が始まった。全然記念じゃないけど……

「ほら、お兄ちゃん、なにしてんのよ。学校遅れちゃうよ。転校初日から、遅刻なんてシャレじゃすまないわよ」

「やっぱり、行かない……」

「もう、男のクセに、なに、ウジウジしてんのよ」

 妹に強引に家から出された。俺の姿は、言うまでもなく、女子の制服を着ている。

「ほら、行くわよ」

 仕方なく、俺は、妹の後に続いた。

「ちょっと、ちょっと。お兄ちゃんは、女子なんだから、そんなに大股で歩かないの。昨日、教えたでしょ。もっと、内股で、ゆっくり歩かないと、スカートが短いんだから、パンツ見えちゃうでしょ」

 そういわれても、俺は男だから、いつも通りにしか歩けない。

てゆーか、その前に、スカートがヒラヒラして気になるし、下半身が涼しい。

女は、どうして、こんな短いスカートを履けるんだ?

下半身を気にならないのか……

 ウチから学校までは、歩いて10分程度だ。学校までの道のり、同じ制服を着た生徒が行き交う。

俺は、晒し者のような気分だった。そして、学校の前に着いた。

「とりあえず、職員室に行くから。それと、学校では、お兄ちゃんのこと、お姉ちゃんと呼ぶからね」

「な、な、なんだと!」

「だって、スカートを履いてるお兄ちゃんなんて友だちに知れたら、ヘンタイ扱いされるじゃん。そんなのあたし、イヤだもん」

「俺だって、イヤだ」

「だから、俺じゃなくて、あたしよ、あたし」

 屈辱だ。これ以上ない辱めだ。何で、この俺が、こんな目に合うんだ。

俺は、インターハイで日本一になった男だぞ。

「おはようございます」

 妹は、校門のところにいる先生に挨拶する。

「今日から、転校してきた、早乙女雪と兄……じゃなくて、姉の渚です。これからよろしくお願いします」

「そうか。転校初日だから、緊張すると思うけど、がんばれ」

「ハイ、ありがとうございます」

 妹は、卒なく挨拶をする。

「ほら、お姉ちゃんも挨拶、挨拶」

 妹が、俺の脇を肘でついてくる。

「あっ、えっと、俺は……、イッタ!」

 妹が俺の足を思い切り踏んづけた。

「あたしは、姉の渚です。よろしくお願いします」

「よろしく。姉妹揃って、美人だな」

 俺は、姉妹といわれて、吐きそうになった。ふざけんな、言うなら、兄と妹だろ。

「職員室は、どこですか? 挨拶に行きたいんですけど」

 そう言って、場所を教えてもらった。

俺たちは、職員室に向かうことになった。

「もう、お兄ちゃんは、女だってこと、忘れないでよ」

「しょうがないだろ。俺は、男なんだから」

「ほら、その言葉遣い。女の子なんだから、そんな声じゃダメだよ」

 こうなりゃ、ヤケクソだ。

「それは、すみませんでしたね」

 俺は、一オクターブ高い裏声で言ってみた。

「そうそう、その調子。がんばってね」

 帰ったら、真っ先に、ぶっ飛ばす。こいつ、兄貴の俺をなんだと思ってるんだ。絶対、おもしろがってる。

俺たちは、職員室に入ると、校長先生に呼ばれた。

そして、それぞれの担任を紹介された。

妹は、二年一組で、若い男の先生だった。そして、俺は、三年三組で担任が、若い女の先生だった。

「よろしくね、早乙女渚さん。私が担任の神谷ゆり子です。一年間だけど、いっしょに勉強しましょうね」

「ハ、ハイ、よろしくお願いします」

 俺は、裏声で女声で返事をした。なんか、疲れる……

「あの子のお姉さんでしょ。二人揃って、可愛いわね。それに、そっくりなのね」

 どこをどう見たら、そっくりに見えるんだ。俺は、心の中で叫んだ。

「あの、あたしは、その、女子じゃなくて……」

「えっ? なに、なにか言うことがあるなら、今のうちに言って」

 くっそ、どうしても、声が小さくなる。こんな状況で、カミングアウトは出来ない。

「それじゃ、教室に行きましょう。みんなに紹介するから」

 そう言って、俺は、先生の後についていくことになった。

廊下に出ると、妹が寄ってきて、そっと耳打ちした。

「あのさ、それとなく、先生に聞いたんだけど、やっぱり、お姉ちゃんは、女子で登録されてるらしいよ。早乙女渚って男子は、存在してないから、そのつもりでがんばってね」

 そう言って、担任の後に走っていった。俺は、妹の後姿を見送りながら、悪夢を見た思いだった。


 俺は、少しの間廊下で待たされた。そして、先生に呼ばれて教室に入った。

「今日から、皆さんといっしょに勉強することになった、新しいお友達です。仲良くして下さいね。転校してきたばかりだからいろいろ教えてあげて下さい。それじゃ、自己紹介をして」

 いよいよきた。一番の難関だ。クラス全員が、俺を見ている。このまま逃げ出したい。消えてなくなりたい。

「初めまして、今日から、転校してきた、早乙女渚です。よろしくお願いします」

 俺は、昨夜、しつこいくらいに妹に教わったとおり、女声で自己紹介した。

もちろん、満面の笑顔は欠かせない。

すると、クラス全員の男子といっていいくらいの視線が、俺に集中した。

男から見詰められると、気持ち悪くなるんだが、ここは、グッとこらえた。

「それじゃ、あなたの席は、一番後ろの空いてる席に座って。教科書とかは、まだ、用意してないと思うから隣の人に見せてもらって下さいね」

 そう言って、席に着いて隣を見ると、可愛い女の子がニッコリ笑っていた。

俺は、心の中でガッツポーズを決めた。隣が可愛い女の子なんて、転校早々ラッキーだ。が、俺は、女子だということを、思い出して気持ちがあっという間に萎んだ。

「初めまして、あたしは、木村裕美。よろしくね」

「こちらこそ、よろしく」

 そう言って、机をくっつけてきた。こんな可愛い女の子の隣なのに、何で俺は、女子なんだ……

転校してきて、初めての授業は、一時間目は数学だった。

数学は、俺は得意だった。前の学校でも、テストの成績は、いつも90点以上だ。

それなりに自信はあった。ところが、いざ、授業が始まると、余りついていけない。

この学校は、進学校だということを忘れていた。所詮、田舎の高校だけに、授業内容のレベルが違う。

しかし、先生の話を聞いているうちに、少しは理解できるようになってきた。

「早乙女さんて、頭いいのね」

「そんなことないわよ」

「だって、転校初日から、授業についていけるんだもん。あたしは、イマイチって感じなのよ」

 確かに、授業内容は、難しいといえた。しかし、計算方法とか書式を使えば、解けないことはない。

柔道以外にも、母さんが家庭教師の代わりとして、ウチにいるときは、厳しくされたことが、役に立った。

それでも、初めてだけに、ついていくのが精一杯だった。授業が終わると、どっと疲れがきた。

しかし、疲れるのは、そこからだった。

二時間目の間の短い休憩時間の間は、男子や女子からの質問攻めにあったのだ。


「どこの学校からきたの?」

「これから仲良くしてね」

「彼氏とかいるの?」

「どこの部活に入るの?」

「ウチは近所なの?」

 とにかく、転校生の俺は、女子ということもあって、チヤホヤされた。

男子も女子も関係なく、俺の周りに集まってくる。

やっぱり、顔なんだろうな……

実は、男だとも知らずに、集まってくるクラスメートに心の中で手を合わせて謝るしかなかった。

 何とか休憩時間が終わると、次の授業が始まる。二時間目は、国語だった。

一時間目と同じように、隣の木村さんに教科書を見せてもらいながら授業を受けた。

 こうして、何とか午前の授業が終わった。心からホッとした。

だが、戦いは、まだ終わってなかった。昼休みがあったのだ。

この学校は、昼食は、給食ではなく、弁当持参なのだ。

今日は、妹が当番なので、あいつが作った弁当を机に広げる。

「いっしょに食べよう」

 隣の木村さんに言われて、机をくっつけあった。転校生の身分で、今日一日

世話になるから拒否するわけにはいかない。

しかし、女子と机を並べて弁当を食べるなど、これまで一度もやったことが

ないので、緊張する。

そのウチ、他の仲良しグループも混じって、結局、四人で食べることになった。

とりあえず、ボロが出ないように、おとなしくするしかない。

「アラ、早乙女さんのお弁当って、大きいのね」

「ホント、男子みたい」

 そりゃ、そうだ。中身は、男だ。女子の弁当の量じゃ足りない。

「食べることが好きなのよ」

 俺は、女声で言った。しかし、正直言って、自分で言ってて気持ち悪い。

弁当を食べている間も、いろいろ話しかけられた。

「兄弟はいるの?」

「妹が一人」

「へぇ、妹さんがいるんだ」

「もしかして、モデルとかしてない?」

「してない、してない」

「その割には、可愛いもん。こりゃ、男子たちが放っておかないから、注意した方がいいわよ」

「そうなの? 」

 この顔は、生まれつきで、母親似だからしょうがない。しかも、女子の制服を着てるから、女子に見えても仕方がない。

母さんは、俺が物心つくまで、女の子の服を着せていたらしい。

子供の頃の写真を見ると、リボンをつけていたり、フリルのスカートを履いているのを見たことがある。

 もちろん、次第に俺は、男であることを自覚するようになって、そういうことはやめた。

また、妹が生まれたことで、母さんの目が妹に向いたのがよかった。

しかし、顔だけは変えることが出来ない。一時は、本気で整形しようと思ったこともある。

 その反動で、俺は、柔道という男臭いスポーツに打ち込んだとも言える。

だが、強くなればなるほど、見かけと中身のバランスの悪さが目立つようになった。

 どうにか、昼休みを切り抜けることが出来た。が、ホッとしたのも束の間、

今度は、男子たちからの質問攻めが始まった。

「好きな人とかいるの?」

「好きな女のタイプってどんな人?」

「ぼくが学校を案内してあげる」

 正直、うんざりだ。俺は、引きつった笑顔で、やんわりと断る。

昨日の夜に、妹からレクチャーを受けておいてよかった。

妹は、こうなることを見越して、しつこく教えてくれた。今となっては、ありがたかった。

 そんな時、俺を呼ぶ声が聞こえた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

 俺の耳は、もう、お兄ちゃんではなく、お姉ちゃんで反応するようになっていたようだ。

振り向くと、出口のところで手を振っている妹を見つけた。

 俺は、立ち上がって、妹の方に行く。クラス全員の視線が俺の背中に突き刺さる。

「なんだよ」

「様子を見に来たのよ」

「もう、いいから、自分の教室に帰れ」

「なによ、心配して見に来たのに……」

 他人の目からは、美人姉妹の楽しい会話に見えたに違いない。

でも、実は、兄と妹なのだ。それを知ってるのは、俺たちだけなのだ。

 すると、突然、妹は俺から目を反らすと、俺の後ろに向かって、満面の笑みを浮かべて手を振って、お辞儀をした。

俺は、何事かと思って、振り向くと、妹はクラスの生徒たちに挨拶をしているのだった。

余計なことをしやがってと、内心思いながらも、顔には出さない。

「それじゃ、お姉ちゃん、また、後でね。いっしょに帰ろうね」

 外面だけはいいのが、妹だった。だから、女というのは、信用できない。

母さんといい妹といい、俺の家族は、女が強い。極道も裸足で逃げるという、

鬼刑事の親父も母さんの前ではデレデレして、借りてきたネコのようにおとなしくなる。俺も親父の事はいえないが……

 席に戻ると、質問攻めが再開した。第二ラウンドのゴングが鳴った。

「あれ、妹ちゃん」

「そうよ」

「可愛いよねぇ。二年何組なの?」

「一組よ」

「名前は?」

「雪って言うの」

「可愛い名前ね」

「渚ってのも、可愛いと思うわ」

 顔の次は、名前だ。だいたい、渚なんて、女の名前だ。何で、男の俺につけたのか、意味がわからない。

だから、名前だけ聞くと、必ず女と間違えられた。そして、この顔だ。

結婚したら、苗字よりも名前を変えたい。

「美人姉妹って感じね」

 なにが美人姉妹だ。俺は、男だって…… 今すぐにでも、大声で言いたかった。出来ないけど。

それより何より、俺は、柔道部のことを知りたかった。

「渚ちゃんは、どのクラブに入るのか、決めてるの?」

「柔道部に入りたいんだけど、この学校にはあるの?」

 俺は、当たり前のことをいっただけなのに、この一言で、クラス中がシーンとなった。

なんか、悪い事を聞いたのか? それとも、柔道部は、この学校にはないのか?

「柔道部に入るの?」

「そのつもりなんだけど」

「渚ちゃんは、柔道が出来るの?」

「少しね」

 全然少しじゃないけど、空気を読んで、そう答えた。

「一応あるけど、たぶん、新入部員は、募集してないと思うよ」

「えっ! そうなの? どうして……」

「新しい校長先生の意向で、運動部は、廃部か縮小してるのよ」

 なんだって! そんな話、聞いてないぞ。冗談じゃないぞ。それじゃ、何のためにこの学校に着たんだ。柔道部が廃止って、ふざけんなだ。

「渚ちゃん、違うクラブに入ったほうがいいんじゃないかしら」

「例えば、演劇部とか、合唱部とか……」

「そうそう、俺は、文芸部だけど、ウチに来ない?」

「それなら、漫画研究部に入らないか?」

「あたし、ダンス部に入ってるんだけど、渚ちゃんは、可愛いからダンスやったら、人気が出るわよ」

 こいつら、まとめて、ぶっ飛ばしてやろうと思った。俺から柔道を取ったら、何が残るって言うんだ。

俺は、柔道をやりにきたんだ。高校の一年、二年とインターハイで優勝して、今年もそのつもりだ。

高校の三年連続日本一が俺の夢であり、目標だ。その俺が、合唱部だと。

文芸部だのダンス部など話にもならない。こっちから、願い下げだ。

柔道が出来ないなら、この学校にいる必要はない。

すぐに、親父に言って、転校の手続きを取ってもらう。

「でも、柔道部は、あるんでしょ」

 俺は、確認しないではいられず、そう聞いてみた。たぶん、声が引きつっていると思う。

「あるにはあるけど、部員の数が少なくて、廃部寸前らしいわよ」

 部員が少ない? 廃部寸前? それは、聞き捨てならない。

とにかく、この目で見てみるまでは、信じられない。

 午後の授業は、まるで耳に入ってこなかった。早く放課後になって、柔道部を見に行きたい。それしか考えていなかった。

「そうそう、渚ちゃん、お手洗いの場所とか更衣室とかわかってる?」

「えっ?」

「ほら、わかってないと、大変だよ。あたしが案内してあげるから、付いてきて」

 急に話が脱線して、俺は、現実に引き戻された。

俺は、手を引かれて教室を出て行った。その前に、俺は、名前も知らない女子に手を握られているじゃないか。

向こうは、俺のことを女子と思っているから、抵抗なく自然に握っているかもしれないが、俺は、そんな簡単に思えない。でも、ここで、無理に手を振りほどいたら、怪しまれる。

「ハイ、ここが、女子トイレね」

「あ、ありがと」

 ちょっと待て。俺は、女子トイレを使うのか? 俺は、男だぞ。小便するときは、立ってするんだ。

座ってするときは、ウ○コのときだ。なのに、俺は、手を引かれて、女子トイレの中に連れ込まれた。

初めて見る、女子トイレだった。当たり前だが、すべてが個室になっている。

 鏡の前で手を洗っていたり、髪型を直していたり、トイレから出てきたばかりでスカートを直していたり俺は、目のやり場に困って、頭がパニック状態になった。

「わかったから、もう、大丈夫だから」

 俺は、もごもご言いながら、女子トイレから出て行った。心臓がバクバクいってる。破裂寸前だ。

でも、これも、昨夜妹から耳にタコが出来るくらい、女子トイレのやり方を教わったので、この程度で済んだ。もし、レクチャーされてなかったら、爆発して、女子トイレから飛び出していた。

 胸がない胸に手をやって、何とか落ち着きを取り戻す。

当たり前だが、俺にオッパイはない。

「どうしたの? 大丈夫……」

「う、うん、平気よ」

 俺は、何気ない顔でいった。

「それで、隣が女子更衣室ね」

 トイレの隣が、更衣室だった。当たり前のように、俺は、手を引かれて中に入った。

すると、次の時間が体育の生徒たちが、体操着に着替えているところに出くわした。

「うおっ……」

 俺は、思わず声が漏れたので、慌てて両手で口を押さえた。

次に、目を塞いだ。目の前で、花の女子高生が、下着姿を露わにして、体操着の生着替えの真っ最中だ。頭がくらくらしてきた。このままじゃ、鼻血が出る前に、ぶっ倒れる。

 もちろん、俺も男だから、異性には興味がある。思春期真っ只中の高校三年なのだ。女に興味がないといったらウソになるが、いくらなんでも、いきなり生着替えを見せ付けられるとは思わなかった。

自慢じゃないが、彼女なんていたこともない。片思いは経験はあるが、告白する勇気がなく付き合ったり、デートしたり、一度もない。俺の彼女は、柔道と決めているのだ。

彼女だとか、デートだとかは、二の次だ。俺は、そう決めていたのだ。

 それなのに、いきなり目の前で着替えている女を見て、堅い決意がグラついて来る。

「えっとね、ここが空いてるから、渚ちゃん使っていいよ」

「う、うん、ありがとう」

 俺は、なるべく、着替えている女子たちを見ないように返事をした。

見ようと思えば見えるが、それじゃ、本物のヘンタイだ。まして、事情を知らない他人から見たら女装をして、女子更衣室に忍び込んだ、痴漢といわれても否定できない状況だ。

「わかったから、もう、いこう」

 俺は、上ずった声で更衣室を出た。そして、大きく深呼吸を何度か繰り返した。このままじゃ、呼吸困難で死んでしまいそうだった。

転校初日から、刺激が強すぎる。

しかし、この学校では、俺は、女子なのだ。当たり前に普通にしないと、

余計怪しまれる。ボロが出たら、場合によっては、変質者扱いにされて、退学になるかもしれない。

そんなことにでもなったら、俺は、家族から捨てられるだろう。

それだけは、なんとしても避けないといけない。

 いろんな意味で、女子ということを思い知った。転校初日から疲れる。

ほとんど、息も絶え絶えで教室に戻って、自分の席に座ると、そのまま机に突っ伏した。

「どうしたの、渚ちゃん?」

 心配した隣の席の木村さんが声をかけてきた。

「なんでもないわ」

 そう言うしかなかった。まさか、ホントのことは言えない。今も目を閉じると、更衣室の生着替えの光景が目に浮かぶ。

俺は、それを打ち消すように、首を激しく横に振った。

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