団長と美麗姫のハッピーバレンマイン

長岡更紗

最強夫婦のバレンマイン

「世の中はバレンマイン一色だな……」


 アンゼルード帝国の帝都正騎士団。その団長であるエルドレッドは街を見回し、そう呟いた。

 今日はバレンマインデー。

元は異国の祭りのようなものであるが、アンゼルードに流れてきた時にはその意味は変わり、女性から男性にチョコレートを渡す日となっている。そのチョコには義理チョコと本命チョコがあり、本命チョコは告白付きであることも多い。

 アンゼルード帝国でバレンマインデーが始まったのは数年前であるが、現在ではチョコレートをあげるだのあげないだの貰うだの貰えないだの、男女共に大騒ぎだ。


「エルドレッド団長、これ……っ」


 帝都の見回りをしていたエルドレッドは、その言葉に振り向いた。見ると妙齢の一般女性がラッピングされたなにかを差し出してくれている。聞くまでもなく、チョコレートだろうが。


「そういうのは受け取れないんだ。すまん」


 エルドレッドが断りを入れると、その女性は眉を下げる。


「騎士の規則、ですか?」

「そういうわけじゃないが俺にはキアがいるし、受け取りたくないと言った方が正しいかもな」


 いらぬ波風を立たせないように、という気持ちはもちろんある。それと同時に、キアリカ以外の女性に貰っても虚しいだけというのあるのだ。欲しいのはただ一人。本命からによる本命チョコなのだから。


「失礼、しました……っ」


 その女性は涙を浮かべながら走り去ってしまった。

 エルドレッドが同じ騎士であるキアリカと結婚しているということを、この帝都で知らぬものはいないはずなのに。どうしてそれでもチョコレートを渡そうとしてくるのか、エルドレッドには理解できない。


 見回りが終わり城に戻ると、どこか甘ったるい香りがする気がした。

 騎士団にも女性騎士はいる。義理チョコと言って全員に配っている者もいれば、本命チョコを手渡している者もいるのだろう。


 これは……騎士団内でのチョコレートのやり取りは、禁止した方がいいんじゃないか?


 元々こういうことには寛容なエルドレッドだが、城内で浮かれられては困るのだ。ここは皇帝の住まう城。たかがバレンマインデーで浮き足立っていては目も当てられない。


「少しキアに相談してみるか」


 来年からのバレンマインデーをどうするか、相談するために彼女の執務室へと入る。その瞬間、むわっとしたチョコレートの匂いがエルドレッドの鼻を直撃してきた。部屋の中がチョコレートの香りで充満していたのだ。


「あら、エルドさん。どうかしたの?」


 キアリカは見ていた書類から顔を上げ、相変わらずの美しい顔で見上げてくる。『強勇の美麗姫』という二つ名の通り、強く勇ましく美しいエルドレッドの妻だ。


「どうしたもこうしたも……どうしたんだ? これは……」

「チョコレートよ。貰ったの」

「いや、まぁそうだろうな……」


 エルドレッドは飽きれ気味に視線を上げる。ラッピングされたチョコレートが、部屋の各所に山積みされていた。

 去年も一昨年も貰っていたようだが、こんな量ではなかった。最近の彼女の目覚ましい活躍によるものに違いないだろうが。

 エルドレッドでさえ、今日断ったチョコレートはさっきので十個目だ。なのにキアリカときたら、女だというのにこんなにも。


「いくつあるんだ、これ……」

「さあ? 二、三百個ってところじゃないかしら?」


 こんなに貰える者は、男でもそうはいないだろう。さすがキアリカと言いたいところだが、ほんの少しだけ面白くない。


「誰がくれたんだ?」

「部下もくれたし、城で働いている掃除夫や料理人にも貰ったわ。あとは巡回中に一般の人とか」


 部下? とエルドレッドは眉を顰めた。キアリカが勧誘し始めてから帝都騎士団の女性騎士は格段に増えたが、それでもまだまだ男性騎士の方が多い。掃除夫も料理人も男ばかりだ。

 エルドレッドは思わず目の前のチョコレートを手に取って見てみる。そこに挟まれたカードには、やはりというべきか男の名前もちらほらと見受けられた。


 俺はバレンマインのチョコレート、ひとつも受け取ってないんだけどな。


 全てを受け取っているであろうキアリカを見て、ひとつ息をこぼした。

 もちろん彼女を責めるつもりはない。どちらかと言えば、責めたいのは、男のくせにキアリカ既婚者にチョコレートを渡す者どもだ。


「あなたはいくつ貰ったの?」

「受け取ってないよ。全部断った」

「あら、貰ってあげれば良かったじゃない。可哀想だわ」

「キアリカはいいのか? 俺が他の子からのチョコレートを受け取っても」

「え? なにが?」


 キアリカはエルドレッドがなぜチョコレートを受け取っていないのかを理解できなかったようで、キョトンとこっちを向いている。


 こういう女だよな。


 エルドレッドはそんな男らしいキアリカが愛おしくてクスっと笑った。

 彼女はエルドレッドがたくさんの女性からチョコレートを貰おうと、まったく気にしないタイプなのだ。むしろ受け取った方が度量のある男として、彼女のエルドレッドに対する評価は上がるに違いない。

 だが、それがわかった今でも、他の女からのチョコレートを受け取る気はさらさらなかった。

 エルドレッドはキアリカに対し、常に誠実でいるべきだと考えている。たとえ彼女が気にしなくとも、エルドレッド自身が許せないのだ。


「なぁ、来年から騎士団内でのバレンマインチョコは禁止にした方がいいと思うんだが」

「あら、どうして?」

「俺たちは騎士だ」

「理由になってないわ」

「隊務が疎かになっては困るだろ?」

「一日くらい、いいじゃない。それに有事の際には誰もが騎士の顔に戻るわ。ここにいる団員は全員が精鋭よ。その辺の貴族のボンクラ騎士とは違う。それくらい、あなたならわかってるでしょう?」


 キアリカにそう言われては、「ま、その通りだな」と答えるしかなかった。

 彼女にはきっと伝わっていないだろう。隊務が疎かに、なんていうのは最早もはや言い訳でしかなく、キアリカに誰のチョコレートも受け取ってほしくないだけということは。

 しかし器の小さな男だとは思われたくなく、「邪魔したな」と苦笑いしながらキアリカの執務室を去った。


 キアリカは団長補佐という立場であるが、現在は女性を中心としたキアリカ隊を作るために奔走している。今までは皇女の護衛にも男の騎士が付いていたが、キアリカが出張るようになってから、女性騎士に護衛してほしいと皇女自身が訴えたためだ。

 それを言ったのは第三皇女だが、第四皇女も第五皇女も次々に女性騎士の方がいいと言い出した。やはり男だと細かい気配りができないからかもしれない。

 そんなわけでキアリカは、団長であるエルドレッドよりも忙しくしていることがあるのだ。

 おそらく、貰うばかりでチョコレートの用意などしていないに違いない。


 ちょっと、欲しかったな……

 いや、ちょっとじゃなく、かなり……だな。


 去年も一昨年も、今までキアリカがチョコレートを用意してくれていたことはない。いつも忙しくしていたから、当然と言えば当然なのだが。

 きっと今年も無いに違いないとわかっていても、心のどこかで期待してしまうのが男のさがである。

 エルドレッドは家に帰った後で貰えるかもしれないと思いながら、自分の執務室で仕事をこなしていると。


「エルドレッド団長。メイスイ様がいらっしゃいました」


 そんな部下の声がした。

 メイスイというのは、この帝都でも有名な紋章デザイナーだ。実はキアリカ隊結成時のために、騎士服に施す刺繍のデザインをお願いしていたのである。

 エルドレッドが入るように促すも、メイスイは扉の向こうでこちらの様子を伺っていた。


「メイスイ? どうしたんだ、入ってくれ」


 物陰からチラチラと見ていたメイスイは、ピュンッと中へ入ると一枚の紙をエルドレッドに渡してまたピュンと物陰へと隠れてしまった。

 デザインを頼みに行った時はそうでもなかったのだが、自分のテリトリーでないところでは人見知りしてしまう人物のようだ。場所見知りに近いかもしれない。


「キアリカ様をイメージしたデザインです……お気に召さなければ、また考え直します」


 エルドレッドは手の中のデザインを見た。そして見た瞬間、惹きつけられた。

 ベースには心臓を意味するハート。左上には守るべき対象、王家の象徴である王冠。キアリカのたなびく金色の髪がイメージされ、女性隊と分かりやすい薔薇も描かれてある。トゲで守られているハートの中には、覚悟の剣。

 まさにキアリカをイメージしたデザインである。これ以上の物は、どんな名デザイナーでも創れはしまい。


「すごいな……素晴らしいデザインだ。これでいい」

「あ、ありがとうございます! ではこれで」

「え、ちょ、ま……っ!?」


 エルドレッドが止める暇もなく、メイスイは走り帰ってしまった。開けっ放しのドアを見て、エルドレッドは頭を擦る。


「報酬を渡そうと思ったんだが……仕方ない。あとで誰かに届けさせるか」


 少し変わった人物ではあるが、腕は確かだ。エルドレッドは何度もその紙を眺めては、頬を緩めるのだった。



 二人が仕事を終えて帰ってきた時には、夜八時を回っていた。

 食事を済ませて少しのんびりをした時間を作る。チョコレートをくれるなら今だろうなと思っていたが、キアリカにそんな様子はまったく見られなかった。わかっていたこととはいえ、期待がどこかにあった分、テンションが下がる。

 キアリカはそんなエルドレッドをよそに、自分宛のチョコレートをひとつ開けるとモグモグと食べ始めた。


「それ、全部一人で食べるつもりなのか?」

「ええ。せっかく貰ったんだもの。食べないと失礼でしょう」

「それはそうだが、多過ぎるだろう……」

「ちょっとずつ食べれば、来年までには食べきれるわよ。」

「変な味したらやめとくようにな」

「なるべく早く食べるようにするわ。チョコレートは好きなのよ」


 キアリカはあっという間にひとつ目を食べ終え、ふたつ目に手を伸ばそうとしている。しかしそれをエルドレッドは止めた。


「なに、エルドさん」

「チョコレートもいいんだが、ちょっと聞いてほしいことがある」

「聞いてほしいこと?」


 エルドレッドは懐からあの紙を取り出し、ペラリとキアリカに向けた。

 彼女の瞳はそれだけを映し出し、キラキラと星が入ったように輝き始める。


「これは……なに?! すごく素敵なデザインだわ!!」

「紋章デザイナーのメイスイに創ってもらったデザインだ。これを、今度できるキアリカ隊のマークにしたらどうかと思って、頼んでおい……わっ!」


 エルドレッドが最後まで言う前に、キアリカが飛びついてきた。唇と唇が勢いよく当たり、そのまま頬をくっつけ合う。


「すごい!! 素敵ッ!! ありがとうエルドさん! 最高のバレンマインだわ!!」

「普通、バレンマインは女から男にあげるものだけどな」


 暗にチョコレートをくれと言ってみたが、キアリカはエルドレッドと距離を少し取り、クスッと端麗な顔を真っ直ぐに向けて来た。


「知らない? アンゼルードでは女性が男性にチョコレートをあげるイベントになっているけど、元々は違うのよ」

「いや、聞いたことはあるが……詳しくは知らないな」

「発祥はフロランス聖女国らしいわ。初代の聖女フローレンに、バレンマインという男が生まれた時に握りしめていた金のエンブレムを捧げたことが由来なのよ。だからフロランス聖女国では、大切な女性に男性から貴金属をプレゼントする日になってるみたいね」

「へぇ、そうだったのか。初めて聞いた」

「ふふ。知らなくてもバレンマインデーにプレゼントをくれて、嬉しかったわ! ありがとう!」


 今日、これをプレゼントできたのは本当に偶然なのだが、せっかくだし……とエルドレッドは口の端を上げて要求する。


「キア、俺にもなにかくれないか?」

「いいわよ、なにが欲しいの?」

「えーと、まぁ、アンゼルード帝国でいうバレンマインの贈り物で構わないんだが……」

「ええ!? エルドさん、チョコレートが欲しかったの?!」


 キアリカの驚きように、こちらの方がびっくりだ。なぜ彼女は自分の夫にはいらないと思い込んでいたのだろう。


「そりゃ欲しいに決まってる。キアがくれるものならなんだって欲しい」

「でも、チョコ嫌いなんじゃなかったの?」

「大好きってわけじゃないけど、普通に食べられる。どうしてそう思った?」

「だって、誰のチョコレートも受け取らないって言ってたから……てっきりチョコレートが嫌いなんだとばかり」


 キアリカの理由を聞いて、エルドレッドは呆れながらもそっと肩を抱き寄せる。


「まったく、俺の嫁は……」


 この誰より美しく、男顔負けの度量を持った嫁は、ちっとも男心を理解してくれていなかった。


「ちょ、エル……ッ」

「お仕置き」


 エルドレッドはベッドの上で、来年はチョコレートの用意することを約束させたのだった。




 後日、結成されたキアリカ隊の騎士服。その左腕の部分には、キアリカ隊所属を意味するデザインがなされていた。


『薔薇の覚悟』


 キアリカ隊のマークはいつしかそんな風に呼ばれ、精鋭中の精鋭の女性だけに許される、特別なものとなっていったのだった。



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