第40話 調査結果

 続々と料理が運ばれてくる。梨花はご機嫌で男性社員にお酌をしに行くと、これまで遠巻きに見るだけだった女性先輩社員たちが私の横に来て、「月島さん本当にお疲れ様だったね」とビールを注いでくれた。


 見た目が小さいからお酒が弱そうに見えるらしいけど、別に弱くはない。なので、いただいた分は有り難く頂戴する。何人かに連絡先を聞かれたので、交換した。有り難いことだな、そう思えた。


 社長は梨花が嫌っている年配の業務部長の隣に行き、居心地悪そうに静かに飲んでいる。


「――月島さん! 遅くなってごめん!」


 秋川さんだ。額に汗を浮かばせながら駆け足でやって来ると、私の隣に座った。


「お疲れ様です。忙しいのにすみません」

「月島さんは何も悪くないだろ。悪いのは勝手にやる奴を放置してる会社側だ」


 憎々しげに社長に一瞥をくれつつきっぱりと言った秋川さんに、社長が目を剥く。


 秋川さんはそれを横目に空のグラスを持つと、手酌でビールを入れて「お疲れ様!」と私のグラスと合わせた。


 カチンと鳴ったグラスの音がやけに力強く感じる。


 ゴクゴクと一気に飲み干す秋川さんの勢いも、いつもと違い妙に荒々しかった。


「あ、注ぎます」


 ビール瓶を持ち秋川さんのグラスに近付けると、秋川さんが声を落とす。


「ありがと。あのさ、考えたんだけど、やっぱり僕――」


 だけどその続きは、梨花の嬌声に掻き消された。


「けんちゃん、ここだよお!」


 その言葉に、はっとして背後を振り返る。店の入り口の方でこちらを見て立っていたのは、スーツ姿の大川さんだった。私を見つけると、何かを言いたそうに唇を少し開く。


 最後に会ったのは、『ピート』で梨花が暴れてマスターが二人を店から追い出したあの日だ。


 梨花の腕を掴み去る後ろ姿を見て、大川さんが梨花に対し恋愛感情などないことを知っていても、胸が締め付けられる想いを拭えなかった。


「座って座って! 皆さんごめんなさい、けんちゃんがどうしても来たいって言うから! マリモの知り合いだし、ねっ!」


 職場で散々大声で語っていた「けんちゃん」の登場に、皆がざわつく。


「けんちゃん、マリモの隣に座ってよお!」


 梨花が大川さんの腕を掴み、引っ張った。大川さんはそれを乱暴に引っこ抜くと、真っ直ぐに私の元へと向かってくる。梨花は苛立ちを隠しきれない笑顔を浮かべたまま、後ろをついて来た。


 私の背後に立つと、泣きそうな顔が逆光になっている。泣かせたい訳じゃない。だから安心させたくて、微笑んだ。


「……退職って」

「……うん。急に決まっちゃって、伝えられなくてごめん」


 本当は、真っ先に伝えたかった。伝えて、大川さんの所為じゃないよと言いたかった。


 梨花が、大川さんの背中にべったりと両手を付ける。


「けんちゃん、私に言いたいことがあるって言ってたよね? なに? 凄く気になるんだけどお!」


 その言葉で、梨花が大川さんに何かを言わせようとしていることが分かった。私に聞かせて、私が大川さんに幻滅するのを期待しているのか。


 梨花は、大川さんが梨花に執着されていることは喋らないと思ってる。これまでずっとそうだったから。大川さんはそういう弱音を人に、特に好きな相手に話せないと思い込んでいるから。


「ねえ、けんちゃん……私、期待しちゃってるんだけど」


 媚びた女の目で、梨花が大川さんに甘えた様に言う。山田さんは目の前で起きていることが信じられないのか、口も目も大きく開けて大川さんの背中に貼り付く梨花を見上げていた。


 他の社員も、これから何が起こるのかと様子を窺っている。けんちゃんをたぶらかしたマリモという構図を作り出し、職場でけんちゃんを返してと大声で騒いだ梨花だ。当然だけど、恋愛関係のもつれだと考えているんだろう。


 大川さんが、私を見下ろしたままにっこりと笑った。――どういうことだろう? そう思った直後、大川さんは梨花を思い切り振り払って振り向き、私の肩に手を乗せ言い放つ。


「月島さんの前で、真山のことが忘れられないって言えって命令されたやつのこと?」

「お前……っ」


 楽しそうだった梨花の顔が、一瞬で鬼の形相に変わった。だけど、ハッとして剥きかけていた歯を隠す為か口を押さえる。


「ひ……酷いよけんちゃん! 私のこと、この前まで大好きだって言ってたじゃない! どうして急にそんな嘘吐くの!」


 一瞬で見事に涙が浮かんだ瞳で訴えられたら、事情を知らない人は皆梨花の味方をするんだろう。


 でも、今日の大川さんは違った。すうっと辺りを静かに見回すと、社長の前で視線が止まる。そしてぺこりと会釈をした。社長は混乱した様に視線を泳がせたままだ。


「僕が高校生の時、隣の駅のラブホテルの前で整形前の真山と歩いていらっしゃった方ですよね。お久しぶりです」


 途端、周りが一斉に騒ぎ始めた。


「な、何を……!」


 社長は慌てているけど、大川さんは動じない。


「真山を縁故採用した社長がいると聞いたので、まあ貴方だとは思っていましたが。真山の整形のお金を全部出したのは貴方ですもんね、ご苦労様です」


 大川さんの声色は静かなままだ。だけど、分かった。大川さんは、心底怒っているのだ。これまでされた数々の理不尽な仕打ちに。無理やり大切な繋がりを奪われたことに。


「け……けんちゃん、酷いよお! そんな嘘言って私を虐めて、酷い!」


 梨花が、わっと泣き始める。「梨花ちゃん!」と山田さんが駆け寄ると、うわあんと山田さんの胸に飛び込んだ。


 それでも、大川さんは表情を変えなかった。持っていたアタッシュケースを椅子の上に広げると、中からクリップで綴じられた分厚い紙の束を取り出す。


「真山は聞きたくないようなので、代わりに社員の皆さんが聞いていただけますか」

「――お、おう」


 大川さんと私が恋仲にあることを知る秋川さんが、驚きながらも同意の声を上げた。すると、これまで唖然としていた他の人たちも次々と「教えてくれ」「何が起きてるの」と応え始める。


 大川さんは資料をぺらりとめくると、はっきりと語り始めた。


「まず、僕と真山は高校時代に塾で一緒ではありましたが、付き合ったことはただの一度もありません」

「嘘っ! けんちゃん、どうして嘘ばっかり言うの!」


 泣きながら抗議する梨花に一瞥をくれただけで、大川さんは無視して続ける。


「僕ひとりで調べるのには限度があったので、興信所を使って真山がこれまで知人に対し吐いてきた嘘や脅しを調べてもらいました」


 大川さんは、朗々と語った。その大半は以前聞いたものと変わりはなかったけど、大川さんすら知らなかった脅迫まがいの言動が語られると、聞いていた人たちは顔を青褪めさせる。


「大学時代に真山に唆された友人は、僕が資料を集めたことを知り、損害賠償請求の民事裁判をする方向で検討を始めるそうです」


 山田さんが、胸の中にいる梨花を宇宙人でも見る様な目つきで見下ろした。


「あと、これは皆さんもご存知の月島さんと真山の同期の女性ですが、度重なる虐めにより職を追われたことを、会社と真山に対し精神的苦痛についての損害賠償請求をする方向で考えるそうですよ」


 ざわざわ、と皆が一斉に騒ぎ始める。


 それと、と大川さんは私の手を握ると、社長と梨花を交互に見ながら冷たく言い放った。


「月島さんの今回の突然の解雇についても、調べたら色々と出てきそうですね。恐らくは……虚偽申告と不当解雇あたりでしょうか? 弁護士に相談したら、働く予定だった分の賃金を請求出来るんですよね。応じない場合、民事裁判に発展する場合もありますけど、同時期に複数から訴えられたりしたら会社の評判はだだ下がりですね」


 社長がビクッと反応したけど、大川さんを恐ろしそうに見ているだけで何も言い返さず黙ったままだ。


 すると、梨花が悲劇のヒロインさながら涙をぼろぼろと流し、大川さんに向かって訴える。


「どうしてこんな嘘ばっかり言って私を苦しめるの! 酷いよけんちゃん! 私はけんちゃんを愛してたのに!」


 そう言って山田さんに縋ろうとしたけど、山田さんは化け物でも見るような目で梨花を見下ろすと、一歩下がって梨花から距離を置いた。梨花の手が、宙を滑る。


「う……酷いっ、私なんて死ねばいいって思ってるんだ! こんな酷いことされたら、もう生きていけないもん!」


 大川さんが、冷たく答えた。


「いつもみたいに、僕の所為だって言いながら車の前に飛び出すの? またあれをやるの?」

「ひ……酷いよお!」


 山田さんに伸ばされた手は、山田さんが首を振りながら他の社員の間に逃げ込んだことで行き場を失う。梨花は今度は、社長の元に駆け寄った。


「カズくん! カズくんは私の味方だよね!」

「そ、その呼び方はやめろ……」


 社長が、顔を引き攣らせる。


「奥さんよりも私を愛してるんだよね? いつもそう言ってるもんね?」

「り、梨花、やめ……っ」


 社長が目を泳がせると、これまで黙って聞いていた秋川さんがスッと立ち上がった。

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