扉の先のブックカフェ
ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中
第1話 日常
エレベーターを降りて、正面にある受付を通り過ぎる。受付脇にある勤怠システム用のタブレットに社員証を翳し、出勤の登録をした。
中に入ると、お洒落なカフェのようなオフィス空間に初夏の強めの朝日が差し込んでいる。席はフリーアドレスが基本で、皆
全体的に穏やかな雰囲気の職場で、ここで働く社員の表情は明るい。
私、
なんせ、非常に目立つ人が常に私の隣に居ようとするから。
時間は、まだ朝の八時前。デイリーフレックス制を採用しているこの会社は、早く来れば早く退社することが出来る。その為、小さい子供がいる社員は、お迎えに間に合うよう早く来たりと自由度は高かった。
PCを置いて席を確保すると、パントリーと呼ばれるバーカウンターの雰囲気が漂う空間に向かう。
早い時間によく一緒になる三十代の秋川という男性社員が、人の良さそうな笑みを浮かべながらにこやかに挨拶をしてきた。
「おはよう月島さん、今日も早いね」
「おはようございます、秋川さん。今日はお迎えの日ですか」
「そうなんだよ、今日は妻が飲み会でさあ」
家族、特にまだ三歳だという娘を溺愛して止まない、後輩にも優しい先輩だ。
「この時間が、一番仕事が捗るんです」
私がそう言って笑うと、秋川さんが辺りをキョロキョロと見回した後、眉を潜めながら小声で言った。
「あのさ、真山さんに困ってるんだったら、僕から上司に言ってあげようか?」
「あ、いえ、彼女も悪気がある訳じゃないですから、あはは……」
苦笑いを浮かべた私に、秋川さんは更に顔を顰める。
「周りの奴らも、あからさまだからなあ」
まあ、本当に困ったら言ってよ。そう言って、秋川さんは丸い大きなテーブルに向かった。
私も、ドリップコーヒーをカップに注ぎ終わると、席に戻る。
秋川さんは優しいから、私が困っているのではと気にしてくれる。だけど、他の若い男性社員は
年上の女性社員が梨花のお喋りを注意したところ、お局だ何だと散々陰口を叩かれ、以降彼女たちはその集団からは距離を置いた場所で仕事をするようになってしまった。
出来れば私もそちらに行きたい。だけど、梨花がそうさせてはくれない。
PCを立ち上げ、真っ先にメールをチェックする。私は海外調達部で、梨花は国内物流部に所属している。なので、仕事が直接関わり合いになることがないので、まだ何とかやっていくことが出来た。
海外の取引先からのメールは、勿論殆どが英語だ。高校生の時に親の都合でアメリカに滞在していたので、流暢とまではいかないけど普通の日本人よりは読み書きとリスニングが出来る。
時差があって取引先と電話で話すことが殆どないこの仕事は、メールをじっくりと解読する必要がある私のレベルには丁度よかった。
添付された見積書や注文書に目を通し、システムを立ち上げて入力を始める。機械的に入力しながら、同期の梨花の姿を思い浮かべた。
梨花は、綺麗というよりは可愛い。頭は小さいのにスラッとした長身で、一六五センチあるそうだ。スタイルもよくて、細いのに出る所は出ている。
化粧も爪もいつもちゃんとしていて、ふんわりと軽くウェーブした背中まである茶色い髪はいつもサラサラ。服装は女性らしい服装を好んで着ており、いつもいい香りを漂わせている。
まつ毛ぱっちりの大きな瞳でじっと見つめられると、どの男性社員も思わずにやつく、そんな美人だ。
私は、そんな梨花とは対照的だった。
服装はナチュラルテイストが好きで、もっぱらパンツスタイル。全体的に細く、出る所はあまり出てなくて、身長も一五五センチと小さめだ。
髪の毛は耳からちょっと下で切りそろえたボブ。背が低いから長髪は似合わないよと言われたことがあり、社会人になるのをきっかけにバッサリと切って、二十六歳の今日まで同じ髪型を貫いている。
一応リュック・ベッソンの映画『レオン』に出てくるマチルダをイメージしたけど、残念ながら遠目から見るとえのき茸にしか見えないと言われたことがある。
「……集中集中」
お喋りに邪魔されても何とかなる様、私は目の前の仕事に集中することにした。
◇
「……でね、けんちゃんて見た目クールなのにさり気なく道路側に移動したり、本当守られてるって感じなの! やっぱ大事だよね! さり気ない優しさって!」
「……ふうん、よかったね」
急ぎの仕事が入っていると言っても、梨花は一向にお喋りを止めない。折角隅っこのいい席を取れたのに、今日はちやほやする取り巻きが軒並み外出していて梨花の相手をする人がいないからだ。
「マリモも彼氏作りなよ。出来たらダブルデート出来るのに。あ、この間私に告白してきた人いるんだけど、紹介しようか? ちょっとネズミみたいな顔なんだけど、多分性格は悪くないから」
自分に告白してきて振った相手を紹介しようとするのもどうかと思うし、仮に私がその人と付き合ったとしても、ダブルデート出来るその精神。信じられなかった。
ちなみに『マリモ』は彼女が丸っこい私の頭を見て付けたあだ名で、彼女の取り巻きは皆私のことをマリモちゃんと呼ぶ。あまり嬉しくはない。
「ごめん梨花、本当に今これ急ぎで」
「えー。マリモ、いつも冷たあい」
すると、丁度いいタイミングで梨花の取り巻きのひとりが帰ってきた。
「梨花ちゃん、一緒に休憩しない?」
「あ、山田さーん! 聞いてーマリモってば冷たいのー!」
そう言いながら梨花が席を立った瞬間、私はPCから電源を引っこ抜き、絶対ひとりになれる電話ブースへと走ったのだった。
◇
通常社員が大勢いる時は電話ブースで仕事をすると独占していると言われるけど、今日は人数が少なかったので使い続けても問題はなかった。
バタバタと片付けをすると、梨花がいる執務エリアを「お疲れ様です!」と言いながら駆け抜ける。
梨花がチラリとこちらを見たけど、丁度ねちっこい男性上司に捕まっていたところだったので事なきを得た。
昨日は行けなかったので、今日こそ行きたい。
会社があるオフィスビルを飛び出すと、私の癒しであるマスターの待つ場所へと向かった。
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