第九話 お姉ちゃん……

「それでママと喧嘩しちゃって家を飛び出したのよ……」


 あははと苦笑する遥香の表情が凄く悲しかった。そんな悲しさが伝染したのか、誰も口を開かなかった。重苦しい空気感だった。


「まぁ、お姉ちゃんもママも凄い役者なのに、私だけ平凡なんだから仕方ないわよね……その日からママが少しだけよそよそしいって言うか、壁があるような感じなのが凄く悲しかった……だから約束だって果たせないままで……」


 俯くの遥香の声がシュンとしていた。

 約束って何のことなのだろうか。


 とてもじゃないが、聞ける雰囲気でもなかった。


 遥香が自分の事を卑下していたのは、役者として挫折していたからだと思っていた。でもそうじゃなかったのだ。オーディションで落ちて、自分の母親から『ありえない』と言われてしまったのだ。


 そんなの自分の事を責めるに決まっている。


 どんだけ辛かったんだろう……想像ができなかった。

 同情するのは良くないって分かってるのに、何だか泣きそうになってしまった。


 心にぽっかりと穴が開いて、徐々に削られて、どんどん穴が大きくなっていくような気分だった。


「じゃあ、遥香ちゃんは何で、それでも他の事を頑張れたの……? 私だったら絶対に無理……悲しくてずっと泣いちゃうと思う……」


 雫の悲しげな声が遥香の涙色に濡れた声の中で、静かに響いた。


「私にはお姉ちゃんがいたもの……お姉ちゃんが傍にいてくれたから、何とかなったわ……だから、役者以外の事をたくさん頑張ったのよ。そしたら、ママも私の事認めてくれるかなって……けど……けど、何も言えなく……ごめんなさい」


 謝罪で言葉を区切る遥香は俯くと、袖で涙を拭い始めた。そんな遥香の背中を美咲がさすって、陽葵がオロオロしつつもハンカチで涙を拭っていた。


 今になって分かったけど、遥香がずっと一番キープをしていたのは、役者以外の何かでも、やれるよってことを母親に教えてあげたかったんだと分かる。


 死ぬ気で努力している姿を隠して、テスト返却時に一番を取れるのか不安であっても、余裕あるフリで自分を威嚇して鼓舞して。


 恐ろしいほどの執念だと思った。だから、そんな遥香の努力に気づかない遥香の母親に非常に腹が立った。


 お腹の中でマグマが燃え滾っているような。


「……秀明。みんなのこと任せていいか?」

「え? そりゃあいいけどよ……って、まてまてまて! お前は一体、何をするつもりだよ!」


「そんなの遥香のお母さんに文句を言うに決まってんだろ!」


 こんだけ頑張ってるのに、その努力を否定するような事をしてるんだから、説教してやる。


 間違ってるかもしれないけど、別にどうでもよかった。


「だから、はーなーせー!」


 遥香の家に向かおうとしたのだが、秀明に肩を掴まれて外に出ることができなかった。


「離すわけないだろ……ってか、びっくりするほどに力ないのなお前」

「おにいって基本、陰キャだから勉強できても運動できないからなー」

「うるせぇよ……」


 秀明と雫に文句を言った時。


「鷹矢! ちょっとふざけてる場合じゃないわよっ! あんた、とんでもない人が家に来てるわよ!」

「え?」


 血相を変えた母さんが、慌てて俺達の元にやって来た。

 誰だ?


 俺のそんな疑問は、すぐに解消した。その人物は、ここにやって来ただけで、全員の視線も興味も全てを持っていたからだ。


「ヤッホー☆ 私の遥香ちゃんは元気にしてる?」


 声の主は、遥香のお姉さん、実彩子さんだった。


              ※


「お姉ちゃん……?」

「もーう、遥香ちゃんってば会いたかったぁー! 心配したんだよぉ」

「ごめんなさい……」


 実彩子さんは飛びつく勢いで遥香に抱き着いて、ほおずりし始めた。


「うーん……遥香ちゃんってば相変わらずいい匂い♡ 幸せ~」


 遥香と実彩子さん、美女二人が抱き合ってる姿っていいな……うむ。


 チラッと隣を伺うと、秀明と陽葵も同意するように頷いて、サムズアップしてきた。あの二人は、俺と同じオタクサイドだからな。疑似であっても百合って尊いんだよなぁ……分かる、分かるぞぉ。


 そして、そんな俺達を雫と美咲は微妙そうな目で見ていた。


「ちょ、ちょっと……やめてよお姉ちゃん……鷹矢だって見てるし……」

「そんなこと言わないでいいでしょ~、お姉ちゃんがどんだけ心配したと思ってるの。良かったぁ」


 心の底から安心したのか、安堵のため息を吐く実彩子さん。


「お姉ちゃん、本当にごめんなさい……ありがと」

「うん、元気だからいいよ。水瀬君もありがとうね」

「いえ、そんな……」


 気になっていることが一つあって、自然と視線が、リビングドア付近に向かってしまう。実彩子さんは一人で来たんだろうか……遥香のお母さんは? 喧嘩して家出をした娘のことを探してないのか?


 そんなことが頭をよぎると、どうしてもクサクサした気持ちが込み上げてくる。


「あ、水瀬君。一個お願いがあるんだけどいい?」

「は、はぁ……」


 何だろうか。


「もう二、三日だけ遥香ちゃんを泊めてくれないかな? 一応、玄関口でお母様に会った時に許可は頂いてるんだけどね」


「遥香ちゃんまだ家にいるんだ、やったぁー!」


 実彩子さんの言葉を聞いた瞬間、飛び跳ねて喜ぶ雫。 

 雫の奴、今がわりと緊急事態って分かってないだろ……。


「あの、それは構わないんですけど──」

「ありがとう。じゃあ悪いんだけど、早速、荷物を運ぶの手伝ってもらえる? 遥香ちゃんの荷物は家の前に置いてあるし」


「え? あ、ああ……分かりました」


 その際、実彩子さんは俺にだけ分かるように、軽くウインクしてきたのだ。

 そこで色々と答えてくれるってことなんだろう。


「私の荷物なら、一緒に行くわ」


「ダーメ! 遥香ちゃんは他にすることあるでしょ? お母さんにも連絡を入れときなさい。心配してたよ」


 心配か……。


「わ、分かった……」

「うん、よろしい! じゃ、水瀬君行こっか」


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 最後まで読んでいただきありがとうございました~

 明日の更新はお休みで、明後日(12/22)になります

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