第8話 廃病院

「大丈夫に決まっているだろう、夏樹は連れて行かれたがな。面倒臭い」


 振り返る事なく返すと、隣まで来た太一から赤いダッフルコートを渡される。


「丁度窓から一瞬だけ顔を見たがあれはシルフェ――先々週から密航の疑いの報告が上がっていた女性だよ。もう今日は動かないと思っていたんだが……まさか君が居るここにまで来るとは、あちらも頑張るね」


 早速コートに腕を通しながら、有能に、と性能面も色々詰め込んで作った道具の話を聞いていた。夜目も効いているしきちんと仕事をしている。満点だ。


「はっ、それだけしたい事があるんだろう。おい、さっさと夏樹を探せ」


 一度触った事がある人物の居場所が分かる――これにはそんな能力もつけた。公園で夏樹が目覚めた直後白々しく触っていたので、夏樹を連れ去った密航者の居場所も容易に特定出来るだろう。


「はいはい、じゃあ先行するよ。皇子も気をつけたまえよ。あちらはおそらくもう3人捧げてるのだし、幾ら君でも辛いと思うよ。誰か呼ぶかい?」

「……要るか。俺を誰だと思っている、こんなの俺1人で十分だ。お前は場所を特定し数分そこに留まれ。その後は車を持って近くで待ってろ。お前の居場所なら俺は分かる」


 戦闘面は一切能力を詰め込まなかったので、助手が近くに居ても面倒臭いと思う事が多々ある。

 太一は頷き一歩後ろに下がって視界から消え、インコになって彼方の方向に飛んでいった。

 1人になると夜風の冷たさを急に意識し、改めてダッフルコートを着直す。


「……」


 自分は何も間違えていない。国を守れるのは自分だけ。だから国を守る一番の方法を選んでいる。

 なのに。

 頭に浮かぶのは、どうしてか夏樹が自分に言った言葉。


 ――他の奴と一緒に国を守った方が絶対良いだろ!


 あんな事、思えば初めて言われた。あれはきっと自分が1番聞きたくなくて、でも国を守るには必要な言葉。


「…………黙れっ」


 気付けば唇を噛み締めている自分が居た。

 シルフェのところに行ったら、きっと彼とまた話す機会があるのだろう。その時、自分は一体どんな顔をしたら良いのか。

 何か取っ掛かりでもあれば気が楽なのに。少し考え、ふとある存在を思い出した。車に乗った時、太一と話していた物があったじゃないか。あれを使おう。

 ふんっと鼻を鳴らし、一度自宅に戻るべく身を翻した。


***


「さいっあく!!」


 廃病院の一室に、ドスの効いた声が響いた。

 その声は、少し前まで儀式の準備に勤しんでいた女性から出た物と同じ物に思えない。脱兎にも負けないスピードで部屋の隅に逃げていた僕は、思わずビクリと肩を跳ねさせた。

 全盛期は病室だったろうこの部屋は暗く、窓にはキリエで作ったという黒いカーテンが掛けられている。電気が通っていないのに明るいのもキリエの力らしい。

 おかげでこの部屋に居る長身で胸の大きい女性と、良く分からない魔法陣のような物が床に描かれているのが良く見えた。


「後数秒だったのに! なんでこのタイミングで夜が明けますの!?」

「ぼ、僕に言われても困る!」


 シルフェと言うらしい低い声の金髪ロング女性が怒っているのは、時間切れで儀式に失敗した事だった。


「この儀式は夜に行わないと意味が無いって聞いたぞ! 残念だったな!」

「だから最悪なのよ! もう! あなたがさっさと子供にならないからですわ!」

「誰がなるかっ!」


 赤い顔で怒鳴り返してくるシルフェを見ながら、先程交わした会話を思い出す。

 思った通り、こいつは僕を殺したルシフモート人だ。

 キリエを強化し成し遂げたい事があると言うこの女性は、子供の心臓を捧げる儀式をやりたい一心で地上にやって来た。

 もう一度やれば自分の願望は確実に成就すると思ったらしい。その為僕を狙ったと言う事だった。一度死んで生き返って子供になった人間の心臓こそ最上級の供物らしいから。


「次こそは夜になった瞬間に殺さないと……! それまでに諦めて子供になって下さいませ!」

「ぅあっ!」


 怒鳴り声がしたと思ったら、体――正確には腕――が急に持ち上がった。急いで視線を上げると僕の両手首を壁に縫い付けるように手枷が付いていた。


「ちょ、これを外せ!」

「外す訳無いだろ!!」


 返って来たのは、今までシルフェが使って来なかったような汚い怒号。意外だったのもあり、思わず目を丸くして言葉を飲み込む。

 シルフェもすぐに自分の言葉の汚さに気付いたらしい。気まずそうに僕から目を逸し、誤魔化すように一度大きく咳払いをした。


「……失礼。幾ら皇子でもすぐにわたくしの居場所は特定出来ないでしょう。では、わたくしは隣室で仮眠して来ますわ。レディを起こすなんて紳士のする事ではなくてよ。ですから騒がないで下さいませね」

「っ!」


 唖然としている僕の口を突然出現したガムテープで塞いでそう言い残し、シルフェはさっさと出ていく。


「んーっ、んーっ!!」


 口を塞がれてはいるものの、扉に向かって思いっきり叫んでいた。


「ふーっ!!」


 けれど僕の言葉にならぬ叫びは朝日で明るくなった部屋に虚しく響くだけ。キリエで子供になってみたが金具も一緒に縮んで腕の関節が痛くなるだけだからすぐに戻った。

 この廃病院は、周囲を森に囲まれ東京の郊外にひっそりと佇んでいた。ちょっとは公道から見える筈だが、幾ら叫んだとしても誰の耳に入る事もない。

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