人生はミステリーツアー

たかしま りえ

第1話

「暑い」

 思わず口に出していた。スマホでネットニュースを見ると『全国的に厳しい暑さ 熱中症警戒』の文字が飛び込んでくる。その文字を見て一層暑さが増したように感じられる。寝たままの状態でエアコンのリモコンを探すもすぐには見つからず、意を決して山岸陽介はベッドから起き上がった。昨夜は確かに雨の音がしていたはずだ。自分が知らない間に梅雨が明け夏が到来していることに軽くショックを覚えた。会社に休むと宣言してから一週間以上経過している。曜日の感覚が無くなり、ついには今日が何日かもわからなくなっていた。全ては小山優斗の言葉通りとなった。


 幼馴染で同じ高校の同窓生でもある小山優斗からの電話は五年ぶりだった。

「陽介、どうして同窓会の出欠連絡していないんだよ。吉野から俺のところに連絡が来たぞ」

『元気か?』や『どうしている?』という言葉もなく、開口一番に説教や指図から入るのは高校生の頃と全く変わらない。

「ああ、そうだった。ごめん、ごめん、忘れてた」

「陽介らしくないな。何かあったか?」

「えっ、そうだなあ、ちょっと……疲れているのかも……」

 五年ぶりだというのに昨日も会っていたかのような空気が優斗との間には流れていた。

「どうした。やっぱり変だぞ。飯食っているか?眠れているか?」

「えっ、ああ、どうだろう……」

「鬱だな。絶対に」

「えっ、何?」

「明日、心療内科医に行け。そして診断書をもらえ。それを会社に提出すればしばらくは休めるはずだから家でゆっくり静養した方が良い」


 陽介は優斗の提案をあっさり受け入れることにした。受け入れるしかできないほど思考は停止状態だったとも言える。とにかく優斗の言う通りにしないと駄目だということだけは理解できた。それくらい陽介の身体も心も限界に達しているのだった。

「病院からの帰りにスーパーでインスタント食品とか冷凍食品を買っておいた方がいいな。簡単にすぐに食べられるもので日持ちがするのがいいかな。おまえの好きなメロンパンとかの菓子パン類も多めに買っておいた方がいいぞ。とにかく一、二週間は家でじっとしていろ。曜日や日付がわからなくなるまで、何も考えずに食べて寝て、を繰り返せ。そうすれば元の陽介に戻れるよ」

 優斗の提案は具体的だった。そのおかげで休んでいる間の食べ物に困らなくてすんだ。宅配やデリバリーサービスを受け取るのには相当の気力がいる。家族や親しい人に買い物を頼むのにもそれなりの覚悟がいる。優斗はそれらのことを全て承知しているようだった。 

 床に転がっていたリモコンを見つけ温度を下げると冷たい風が心地よかった。何だか不思議と身体が軽くなっている。靄がかかっていた頭も何となくだがスッキリしていた。

 自分がどうしてこんな状態になったのか、今でも理由はわからなかった。何より普通を選び、普通の暮らしを心掛けてきた。自分のできることだけを無理せず行ってきただけなのに、どうして鬱という診断がつくまでになってしまったのか。自分みたいな人間が発症していい病気だとは今でも思えない。頑張り続け、神経をすり減らしてきた人たちとは比べるべきではないほど、自分は自分を甘やかせてきたはずだった。それなのにどうして……。

 ベッドに再び横になる。思考の回路は動き出したばかりの蒸気機関車のようにゆっくりだったが不快感はない。高校生の時の夏休みをふと思い出していた。優斗の家に泊まって、朝からメロンパンと牛乳で腹を満たし、ゲーム三昧だったあの頃を。

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