・8-9 第183話:「お約束:2」

 もはやこれまでだ。

 そう断じるセシリアの言葉は、力強く周囲に響き渡り、糾弾されたシュリュード男爵は恐れおののいた。

 相手が、この国の王女なのだ。

 そうである以上、証拠の隠滅などできるはずもない。そうするためにお嬢様を捕らえようものならば、国王自らの号令で軍勢が派遣されてくるし、この場で男爵につき従っている部下のほとんどは、彼が国王から権限を委任されているから従っているのであって、王家に歯向かう謀反人に味方しようとする者など誰もいない。

 金で雇われている傭兵たちも、あくまで金銭を介した雇用関係があるから従っているのに過ぎない。雇い主が落ち目で、支払い能力なしとなればもう、命令を聞く意味もなくなってしまう。

 つまりは、セシリアの登場によって、この場の全員が男爵の敵になってしまったのだ。


「ところで、シュリュード。わたくしの護衛の、ラウルのことはご存じありませんの? もし捕えているのでしたら、即刻解放なさい! 」


 絶望に打ちひしがれて四つん這いになっているシュリュードに向かって、お嬢様あらため王女様は、行方不明の仲間のことをたずねる。


「は、はて……? それはいったい、どなた様のことでございましょうか? 」

「黒い毛並みの犬人ワウ族ですわ! 貴方の悪事の証拠をつかむために鉱山に潜入していたはずなのですが、まだ帰って来ておりませんのよ」


 恐縮し、ダラダラと冷や汗を垂れ流していたシュリュードは、自分に心当たりがなかったのか「おい、獣人を見なかったか!? 」と周囲の兵士たちに訪ねたが、みな戸惑うばかりという様子だった。


「どうなんですの!? 見かけなかったのですか!? 」


 しっかりとした返事がないので、セシリアは少し声を強くして迫る。

 よほどラウルのことが気がかりなのだろう。その声は必死だった。


「生憎と、身に覚えがございませんが……。……あっ」


 部下も知らないというのでシュリュードはそう答えたのだが、そこでなにかを思い出したらしい。


「どうなんですの!? 」


 セシリアが重ねて問いかけても、男爵はなにかを考え込んでいるのか、顔をうつむけたまま何も答えなかった。


(……なんか、雰囲気変わったな? )


 そんな追い詰められた悪人の姿を、ただのお金持ちのお嬢様だと思っていたら王女様だったことに戸惑いつつも油断なく監視していた源九郎は、その変化に敏感に気づいていた。

 先ほどまで目に見えるほどだった身体の震えが、唐突に止まったのだ。


「恐れながら、セシリア王女殿下」


 顔をあげないままたずねて来るシュリュードの声もまた、震えが収まっている。


わたくしめがいたしましたことの証拠、すでに、ニコラウス陛下に置かれましては、すべてご存じなのでございましょうか? 」

「ですから、その証拠をラウルが探り当てたはずなのですわ! 」


 まったく要領を得ない。

 自分の問うていることにはっきりとした答えが返ってこないことに焦り、セシリアは前のめりになる。


「なにか知っているのでしたら、早くおっしゃいなさいな! そうしたら、ラウルが手にした貴方の悪事の証拠をお父様にお届けして、きっちりと裁いて差し上げます! ……素直に白状すれば、少しは罪が軽くなるようにわたくしからお父様にお願いして差し上げてもいいのですわよ!? 」

「いかん。……しゃべり過ぎじゃ」


 なんとしてでもラウルの行方を知りたい。

 そんな思いからか出た言葉を聞いた珠穂が、表情を険しくしながら呟いた。

 ———源九郎も、嫌な予感を感じ取って、そっといつでも刀を抜けるようにかまえを取り直す。


「うはっ! うわっはっははははははははははっ!!! 」


 進退窮まったはずのシュリュードが突然に笑い始めたのは、その次の瞬間だった。

 哄笑。

 いつの間にか彼は、高慢さと、他に対する嘲りを取り戻していた。


「な、なんですの!? 急に……」


 いったいなにが起こっているのか。どうして笑い始めたのか。

 理由が分からずにたじろぐセシリアの目の前で立ち上がった男爵は、その顔に獰猛な笑みを浮かべていた。


「ええい、皆の者、すっかり騙されるところであったわい! ……ここにおる小娘がセシリア王女殿下であるなどと言うのは、真っ赤な大嘘! この者たちは王女殿下の名を語る、不届き者であるぞ! 」

「んな!? な、なにを突然!? わたくしはっ! 」

「黙れ、黙れぃ! 」


 一度は認められたはずの事実をいきなり否定され、王女様は戸惑いつつも自身の胸に手を当ててあらためて自分の正体を説明しようとするが、シュリュードは言葉を被せてそれを遮った。

 そしてなんの遠慮も配慮もなく、先ほど自分がされたのと同じように人差し指をセシリアへと突きつける。


「考えてもみよ! 王女殿下ともあろうお人が、こんな、貧しい旅人がするいでたちで、こんな場所におられるはずがない! 」


 ざわざわ、と、周囲の人々に動揺が広がっていく。

 ———男爵の言葉には、説得力があったからだ。

 この場にいる人々はみな、シュリュードを除いては、国王であるニコラウスの姿を知らない。

 まして、その娘の姿など、少しもわからない。

 一度は、顔を知っているはずのシュリュードが認めたから信じたが、やはり今のセシリアの姿は、彼女が王女であるとするには無理があり、誰もが半信半疑だった。

 王家の姫君と言えば、高価で美しいドレスで着飾り、貴重な宝石を身に着け、美しく化粧をしているはずだ。

 庶民がイメージする[王女様]と言うのは概ねそういうイメージであるはずだが、それなのに、今のセシリアは少しも着飾ってなどいない。

 庶民が身に着けているのとなにも変わらない、麻布のチュニックとズボン。靴はこれまでの旅路で履き古されて痛んでいるし、旅荷物も背負っている。普通、高貴な身分にある者はこんな服装はしないし、荷物は従者に持たせるものだ。

 ナビール族であることを示す美しさも、霞んでしまっている。フィーナと共にボヤ騒ぎを起こして回り、煙を浴びたり炭を触ったりしたため、その身なりは全体的に薄汚れていた。

 ———やっぱりか。

 目の前にいる少女は王女様などではなく、その名を騙っているだけに過ぎないと、一瞬で人々はそう信じてしまっていた。


「そんなっ!? わたくしは、本物のっ!!! 」

「下がれ、たわけが! 」


 セシリアはなおも食い下がろうとしたが、珠穂が乱暴に髪を引っ張って後ろに引き下がらせる。


(ああ、お約束……! )


 代わりに前に出て鯉口を切り、源九郎が刀を引き抜くのと、毒を食らわば皿までと、反逆する決意を固めたシュリュード男爵が叫ぶのは同時だった。


「者ども、かかれェ! 王女殿下の名を騙り、街に火を放った不逞ふていの輩を全員、ひっ捕らえるのだァッ!!! 」

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