・8-3 第177話:「猿叫」

 まるで野生の凶暴な猿が放つような、耳をつんざくような叫び声。

 猿叫えんきょうと名のついたその行為は無意味なものではなく、剣術の一部だった。

 示現流と名づけられた、最強の剣術として候補に挙げられる系統の一つに、その技は含まれている。

 剣法とは単純に、「どう剣を振るうか」というものではなかった。

 剣を使って、どう戦うのか。

 刀を振るう技量以外にも、自身の全身を使って、どうやって敵に打ち勝つか。

 手や足、頭はもちろん、声だって使うのだ。

 奇怪な大声を聞いた人間は、特にそういったものに慣れていない者は驚き、戸惑う。まずは状況を理解しようとして、立ち止まってしまう。

 だが、それは大きな隙となる。

 一瞬動きを止めてしまった間にこちらは距離を詰め終えており、必殺の一撃を浴びせ、斬り伏せてしまうのだ。

 ことに、示現流は最初の一撃を重視する剣術だった。

 全身全霊による初撃。もしそれで相手を討ち取ることが出来なければ敗北、すなわち死であると教えることもあるほどだ。

 このために、示現流を学ぶ者は厳しい鍛錬を積む。かつて武士が実在していたころは、その流派の子弟は幼いころから丸太に向かって毎日激しい打ち込み稽古を積み重ね、それは丸太が削れるほど激しいものだったのだという。

 そうして初めて、一撃必殺の剣が振るえるようになる。敵を恐れずに向かっていくことが出来る。

 ———もっとも、源九郎は示現流をきちんと学んでいるわけではなかった。身に着けている殺陣の技の多くの部分は自己流であり、撮影のために身に着けたものが多い。武者修行だと意気込んで各地を巡って様々な流派の知識を得てはいるものの、どこの所属、ということはなかった。

 だからこの猿叫にしろ、[モノマネ]の域を出るものではない。

 それでも、効果はあった。

 見慣れぬ風体で突然暗がりからあらわれ、恐ろしい声と形相で突っ込んで来るサムライの姿は、小夜風を捕らえようと追いかけ回していたシュリュード男爵の手下たちには一種の[怪物]に見えたのに違いない。

 月明かりを浴びてギラギラと輝く日本刀の見るからに鋭利そうな刃も彼らを恐れさせるのに効果的だった。

 先頭を走っていた傭兵は驚きに目を見開いて立ち止まり、続いていた他の傭兵たちもその背中に衝突する形で次々と停止する。


(そうそう、それでいい! )


 足元を小夜風が名前の通り小さな夜の風となって駆け抜けていくのを確認した源九郎は内心でほくそ笑むと、脚を止めた敵を追い散らすためにさらに踏み込み、大きな身振りで、狂ったように剣を振り回した。

 本当に斬るつもりのない、間合いのやや外から振るう刀。

 その切っ先は当然、相手に届くことなどないのだが、すっかり猿叫の迫力に飲まれてしまっていた傭兵たちは恐れおののいて逃げ散って行った。

 キツネを捕まえるつもりで追いかけ回していたのに、突然、わけのわからない大男に斬りかかられた。

 誰だってこんな得体の知れない奴の相手はしたくないのだろう。

 まして、彼らは傭兵だった。[仕事]はきちんとこなすが、それ以上の労苦や、危険は負担したくないと思っているはずだ。


「おっし、珠穂さん、小夜風! 逃げようぜ」


 慌てて引き返していく傭兵たちをサムライは追いかけようとはしなかった。ひとまず周囲に他の敵がいないことを確かめると刀を鞘に納め、さっと踵を返して元の隠れ場所に戻って来る。

 敵は、十や二十ではない。数千もいる。

 ここで追いかけて二、三人数を減らすよりも、さっさと逃げ出すことに時間を費やすべきであったし、悪党に与する側にいるとはいえ、金目当てで雇われているだけの者たちをめったやたらと殺傷したいとは、そもそも考えてなどいない。

 それに、上から矢を射かけられてはたまったものではなかった。


「ラウル殿のことはどうするのじゃ? 」


 自分の胸の中に逃げ込んで来た小夜風を抱き留め、ほっとした表情を浮かべていた珠穂は、傭兵たちを蹴散らして戻って来た源九郎を見上げると短く問いかける。


「……騒ぎになってねェ、ってことはきっと、うまく逃げてると思うんだ」


 そう答えるものの、自信はまったくなかった。

 ラウルと一緒に忍び込んだ小夜風が追いかけられていたということは、相手にこちらの潜入が露見した、ということだ。

 そうであるのなら、犬頭も見つかったと考えるべきだろう。しかし、追いかけられていたのはアカギツネだけ。

 途中でうまく行方をくらましたのだ、という風に考えることもできたが、悪い方に考えると、ラウルはすでに捕まってしまった、という可能性もあった。


「珠穂さん。小夜風からなにかわからないのかい? なんかこう、以心伝心、みたいに」

「生憎じゃが、わらわも小夜風のすべてが分かるわけではない。盟約により心が通じ合っているからなんとなくわかる、という程度なのじゃ。……今わかるのは、小夜風にも、ラウル殿の行方は知れぬ、ということだけじゃ」

「参ったな……」


 源九郎は顔をしかめていた。

 わからない、ということは、うまく逃げてくれている可能性もあるし、すでに捕まっている可能性もあり、どちらかを排除することが出来ない、ということだ。

 偶然、一緒に働くこととなった。なんなら、そのきっかけは強制されたもので、決して、いい印象はない。

 しかし、共に旅をするうちに、なにも思うところなく見捨てる、などということが出来ない程度の関係にはなっている。

 源九郎は鉱山の方を見上げた。

 松明の数はさらに増え、敵の動きはいよいよ活発になってきている。それだけでなく、連絡が城壁の方に駐屯している王国の正規兵たちにも届いたのか、そちらの方でも騒々しくなり始めていた。

 間もなく、街中が大騒ぎとなるだろう。


「もうしばらく、様子を見ておこう。……やっぱり、ラウルのことが心配だ」


 少し悩んだのち、源九郎はそう決めていた。

 さっさと逃げ出してしまうことが一番安全ではあったが、やはり、犬頭の獣人を見捨てることはできない。

 できるだけ粘り、ラウルがピンチであれば、できる限り手助けしたかった。


「致し方あるまい。……フィーナたちの働きがあれば、どうにか逃げ出すこともできるであろうし、の」


 その判断に、珠穂も賛成してくれた。


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