・3―15 第113話 「犬頭:3」

 源九郎は、絶好の攻撃チャンスを逃した。

 それは二度、あった。

 一度目は、ラウルが双剣を振り抜いた時。

 そして次のチャンスは、彼が横に転がって距離を取り、立ち上がった瞬間だった。

 不利な体勢から脱するために行った、無理な動作。

 そこから脱する一瞬、まだかまえを取り直すことができていないタイミングで追い打ちを加えれば、相手がその一撃をかわすことができない可能性は大きかったし、もしかわせたとしてもまた無理な回避行動を行わなければならず、そうなればまた体勢が崩れ、こちらのさらなる攻撃のチャンスにつながったのに違いない。

 たとえば、刺突。

 刀を渾身の力で振り下ろした後なのでもう一度振り上げるのには時間がかかり過ぎてしまうが、切っ先を上に戻しつつ、全身を跳躍させてその切っ先を突き入れれば、相手を即死させることもできただろう。

 だが、サムライはそのチャンスをあえて見逃した。

 理由は、二つ。

 一つは、目標の背後には野次馬たちがおり、万が一にも手元が狂ったり、相手が無理やり攻撃をかわしたりすれば、無関係の第三者に危害を及ぼしかねなかった。

 そしてもう一つは、抜き身の剣を手にして戦っているとはいえ、相手を殺してしまうわけにはいかなかったからだ。

 今源九郎は峰打ちの体勢でいるが、刺突をした場合にはどう持っていようがほぼ関係なく、刀の鋭利な切っ先は相手の身体に深々と突き刺さり、致命的なダメージを与えることになってしまう。

 突き、というのは危険な技なのだ。

 たとえ真剣ではなく竹刀であったとしても、防具を身に着けていない生身の身体の急所を捉えれば相手に大けがを負わせ、最悪、命を奪うことだってできてしまう。

 両替商の中から姿をあらわした三人組や、その兄貴分であるラウルはどうにも怪しい印象だったが、実際のところ彼らが何者であるのかは知れない。

 マオがここまで大切に運んできたプリーム金貨は偽物だ、などと難癖としか思えないことを言ってきてはいるが、それを理由に命を奪うのは明らかに過剰なのだ。

 この異世界に転生して来てから、サムライはすでに二桁もの人数を斬り、その命を奪っている。

 しかしそれはそうされるだけの罪をすでに犯していることが明らかな者たちだったし、こちらに仕事を依頼してくる村人たちからの要望であったからだ。

 今戦っているのはあくまでマオを守るためであって、誰かから殺しをしてくれと依頼されたわけでもない。

 それに、こんな、メイファ王国という一国の首都、王都のもっとも賑やかな場所で流血沙汰など起こしてしまっては、殺人の容疑者としておたずね者になってしまうことになる。

 野盗相手であればまだ、いわゆる正当防衛を主張することができたが、このような公衆の面前で人斬りをやってしまっては、当局からの追及を逃れる術はないだろう。


「フン、物の分別、というものはきちんとできるようだな」


 絶好のチャンスであったのに、なぜ、源九郎が追い打ちをしかけて来ないのか。

 双剣の達人であるラウルにはその理由が理解できたようで、彼は油断なくこちらを睨みつけながら、少し感心したような口調で呟いた。


「生憎、殺しが仕事、っていうわけでもねぇんでな。……必要なら、躊躇わずにアンタだって斬るがよ」


 なにも言わずともこちらのことを理解してくれた様子を見て、源九郎はもしかしたら話し合いで解決できるかもしれない、という希望を抱く。


「それで、ラウルさんよ? さっきも言ったが、マオさんの持ってるプリーム金貨は、城門で受けた検査にも合格している、本物に違いねぇ代物なんだ。変な言いがかりはやめて、あきらめちゃくれねぇかな? 」

「いいや、そこの猫人ナオナー族が持ち込んだ金貨は、確実に贋金だ。もしお前たちが望むのならば、今からでもそのことを証明してみせてやる。だからお前こそ、観念して武器を捨てろ」

「無理だね。守るっていう約束なんだ」

「ふっ、どうせ雇われただけの、仲間でもなんでもない相手なのに、律儀なことだな? ……貴様がそのつもりなら、やはり、戦うしかない」


 ラウルは頑なな源九郎の態度に、なぜか嬉しそうにニヤリと口元を歪めたが、しかし、剣を納めるつもりは毛頭ないようで、身体を低くかまえて再び攻撃態勢をとる。


「そう思うんなら、そこ、移動してくんねぇかな……? 」


 野次馬を巻き込むことを恐れ、追撃をできなかったサムライは攻撃しにくい位置から移動してくれるように頼んでみたが、当然、無視される。

 こちらからは積極的に攻撃することができず、逆に、相手の側からは自由に攻撃することができる。

 そんな有利な体勢を得た敵は、油断なくかまえたまま出方をうかがっている。

 先のわずかな斬り合いで容易には技が通用しないということもよく理解しているのだろう。

 そしてそれはこちらも同様だった。

 下手に動けば双剣の強みである素早い連続攻撃によって翻弄され、不覚を取ることになるのに違いない。

 その予感があるために、源九郎も動くことができない。

 そうして、二人が対峙を続けて、しばらく経った時のことだった。


「きゃ、きゃーっ! なにすんだべっ!!! 」

「うにゃーっ!!! おたすけーっ! 」


 後ろに下がって戦いの成り行きを見守っていたはずのフィーナとマオの悲鳴が辺りに響いた。


「な、なにっ!? 」


 振り返ったサムライは、しまった、という顔をする。

 そこには先ほど両替商の中に戻って行ったはずのガラの悪い三人組がいて、ロープで二人を捕らえてしまっていたからだ。

 どうやら裏口かなにかからこっそりと出てきて、こちらが戦っている間に回りこんで来たらしい。


「すまないな、タチバナ。お前を倒すのは難しそうだったから、こちらで手を打たせてもらった」


 驚愕し、冷や汗をダラダラと垂れ流している源九郎に、かまえを解いたラウルが勝ち誇ったように言う。


「刀を納めてくれ。なぁに、安心しろ。悪いようにはしないさ」


 そんな言葉を信じられるはずがない。

 しかし、フィーナとマオを人質に取られてしまった以上は、従う他はなかった。

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