・2-10 第91話 「サムライと元村娘:1」
源九郎はフィーナに向かって頭を下げたまま、じっとしていた。
彼女から怒られるのを待っていた。村から報酬を受け取れず、王都へ向かう道の情報さえ手に入れられなかったのだから、当然そうなるだろうと思っていた。
しかし、いつまで経っても怒られることはなかった。
「……まぁ、しかたねぇべさ。どうせまた、村の人らがおさむれーさまを無理に引き留めようとしたんだべ? 」
代わりに聞こえてきたのは、小さな嘆息と、あきらめと同情の入り混じった声。
少しきょとんとしながら顔をあげると、そこには、憮然としてはいるものの、怒ってはいないらしいフィーナの姿があった。
「とにかく、村の人らを助けられたんなら、それでよしとするべ。それよりおさむれーさま、お腹、すいてるだべ? 」
「あ、ああ。そりゃもう、腹ペコだけどよ」
なにも文句を言われないとかえって申し訳ない気持ちになるなと思いつつも、源九郎の身体は遠慮なく空腹を訴えかけ、腹の虫がぐー、と鳴き声をあげる。
武士は食わねど高楊枝、ということわざがあるが、腹が減っては戦ができぬ、ということわざもある。
ひもじい状態でいるのは率直に言って辛い。
(けどよ……、まともな食い物なんて、残っていたか? )
フィーナの口ぶりからすると、なにか食べ物があるのに違いない。
そう期待はしたものの、懐疑的に思わずにはいられない。
この異世界に転生して旅を始めた当初は、食料の持ち合わせがあった。
源九郎を呼び寄せた[神]と名乗る存在が、干飯や味噌などの携帯できる食料を持たせてくれていたし、フィーナが暮らしていた村を救って出発する際には、村人たちがお礼にと干し肉を始めとする食べ物を分けてくれたからだ。
だが旅に出てから一か月が経過した今となっては、それらはほとんど食べ尽くしてしまっていた。
途中、いくつも村を救って来たのだが、今日のように報酬をもらいそびれることばかりであったので補充もまともにできていない。
ここ数日は、残ったわずかな穀物と野草やキノコなどで飢えをしのいできていたのだ。
しかも、一日一食か二食に切り詰めている。
「んっふっふー。おさむれーさま、心配ご無用! だべ! 」
期待と不安の入り混じった表情を浮かべている源九郎の表情を見たフィーナは、得意そうな笑みを浮かべる。
出会った当初は見せなかったような、打ち解けた屈託のない笑顔だ。
「じゃ~ん! 実はおら、おさむれーさまが出かけている間に、たっくさんお魚を捕まえたんだべさ! 」
彼女は上機嫌で身を翻すと、右手をばっと広げて焚火の方を指し示した。
辺りの森の中で拾い集めた枝で作られたもので、フィーナの管理が行き届いているのか火は勢いよく燃え盛り、生木を少しでも乾かしてからくべるために近くに積み上げられた燃料たちからシューシューと音を立てながら水蒸気が立ち上っていた。
そしてその火の側では、魚が焼かれている。
源九郎はあまり釣りをしたことがなかったから正確な種類はわからなかったが、スーパーなどで見かけたことのある、アユとか、マスのような川魚らしい。
それが、なんと四匹。
細い枝を串代わりにし、口から尾まで貫かれた魚が、まるで泳いでいた時のように身をくねらせた姿で香ばしく焼き上げられている。
「お、お、おおおおおおおっ!! 」
源九郎は歓喜の言葉を漏らしながら、口の中が唾液でいっぱいになるのを感じていた。
魚。
そう、魚だ。
しかもとれたて、新鮮な魚!
この世界に転生して以来、口にして来た食べ物と言えば保存食ばかりだった。
乾燥させて長期保存を可能にした穀物や肉類。それに、手に入れば野草やキノコなどが加わる。
だが、魚がメニューに加わることはなかった。
というのは、食料にはあまり適さない小魚(たくさん集めて佃煮にでもすれば美味しいのだろうが、数を取る方法も、調味料もなかった)が住んでいる小川などは度々見かけたものの、焼き魚にして食べられるような手ごろな大きさの魚がとれる規模の川には遭遇したことがなかったからだ。
源九郎は、肉も好きだったが、魚も好きだった。
海に囲まれた島国、日本で生まれ育ったのだ。
魚は慣れ親しんだ食べ物だったし、この一か月の間、まったく口にすることができなくて寂しいと思っていたところだった。
「すげぇ! すげぇよ、フィーナ! いったいどこでこれだけの魚を!? 」
「実は、この森の奥に川があったんだべ! そのまま飲めるくらいにきれいな川で、お魚がたっくさん泳いでて……。ちょうどいい浅瀬があって、手ですくって捕れるくらいだったんだべ! ほぉら! いっぱい捕れたから何匹かは燻製にしてんだべ! これで二、三日は食べていけるべよ! 」
子供に戻ったごとく無邪気にはしゃぐ源九郎に、フィーナもはしゃぎながら自慢する。
彼女の言う通り、魚は焼かれているものだけではなかった。
少し離れたところにちょうどかまどの形をした倒木の根があり、それを利用して作られた即席の燻製器の中で、六匹ほどの魚が吊るされ、わざと不完全燃焼するように調節された小さな焚火からもくもくと湧き上がる煙によって燻されている。
「ぅ、ぅぅぅぅぅっ! ありがてぇ、ありがてぇっ! 」
源九郎は思わず涙ぐんでしまっていた。
明日食べる物の心配をせずに、今日、腹いっぱい食べることができる。
ただそれだけでこれほどに幸せに感じられるのだということを、彼はこの異世界に転生してからの一か月で骨身に染みて理解していた。
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