・2-6 第87話 「村人たちの救世主:3」
「お嬢ちゃん……」
少女の必死さに源九郎は心を打たれたが、しかし、彼はすぐに首を左右に振っていた。
「ダメだ。俺には、行かなきゃならないところがあるんだ」
「そ、それは、どこなんですかっ!? 」
「この辺の村はみんな、苦しめられている。……お嬢ちゃんたちみたいに、虐げられている。確かに、俺がいれば、この村は守れる。守って見せる。だけどそれじゃ、いけない。他の村が救われない。たくさんの、毎日毎日を一生懸命に生きている、幸せになる資格のある人たちがみんな、報われない。……だから俺は旅を続けて、それから、そう。「王様に一つ、ガツンと言ってやる」んだ」
少女はまだ幼さを残していたが、聡明だった。
だから、源九郎の言おうとしていることを理解することができる。
サムライが守っている限り、この村は安泰でいられるだろう。
少なくとも現状よりは遥かに安心できる。
しかし、貧しく、野盗に苦しめられている村は、ここ以外にもたくさんある。
そしてそういった村々が困窮している根本の原因は、領主たちが役割を満足に果たしていないこと。━━━そして彼らを統べる王が、臣下である諸侯がその職務を十分に果たさないことに対して手をこまねいている、あるいはそのことに無頓着であるためだった。
だから源九郎は、王に「ガツンと言ってやる」ことで、少女の暮らしている村だけではなく、すべての人々を救おうとしているのだ。
「だから、俺はこの村にいつくわけにはいかねぇんだ」
彼の真意に気づき、はっと驚いて双眸を見開いた少女に、源九郎は慰めるような、優しさと寂しさを感じさせる口調で言う。
しかし、彼女はより一層強い力で、彼の腕にしがみついた。
「だったら、私も連れて行って! 」
そして少女は、自身の願いが通じるよう必死に祈りながら、両目を固く閉じ、叫ぶ。
「私、絶対に絶対に、お役に立ちます! 私、村の人たちに、いつか旅の商人にでも見初めてもらえるようにって、言葉遣いとか、お裁縫とか、手芸をたくさんたくさん、教わりました! ほら、凄く上手に話せているでしょう!? だからきっと、今はできなくても、貴方のして欲しいこと、なんでも全部、上手にできるようになります! この、言葉のように! だから、私もっ! 」
その言葉は、源九郎の心にまで真っ直ぐに響く。
決心が、揺らぐ。
「……だめだ。連れていけねぇ」
しかし、サムライはそううめくように言うと、少し強い力で少女の身体を自身から引きはがした。
あれほど強くしがみついていた彼女だったが、しかし、鍛え抜かれた肉体を持つ大人の男の力の前ではなすすべもない。
自身の脚が壊れてしまってもかまわないと、ただ今だけ、あの広くたくましい背中に追いつければいいと駆けて来たが、しかし、自分だってもうずいぶん長い間まともに食べることができていないのだ。
「どうしてっ? 」
ただ、少女はすがるような視線で源九郎のことを見上げる。
拒絶されても、あきらめてはいない。
あきらめたくない。
わずかな望みをこめて、じっと見つめる。
「すまねぇ。俺は、そんなに何人もの人生をしょっていけるほど、甲斐性のある男じゃねぇんだ。お嬢ちゃんの人生は、そんなに気軽に、ほいほい背負っていいものでもねぇ」
だが、源九郎は振り返らなかった。
未練を振り払うような、少女に向けたものとも、自分自身に向けたものとも思える言葉を残し、彼は再び駆け出す。
「あっ……」
その背中をつかもうと、少女は手をのばす。
しかしその足はもう、ほんの少し前に見せた驚異的な脚力を発揮してくれはしなかった。
「待って、待ってくんろっ! 源九郎様っ! 」
へなへなとその場にへたり込んでしまう少女の脇を、息を切らし、汗を流しながら、村人の集団が駆け抜けていく。
ドドドドド、と足音を轟かせながら、村人たちは源九郎を追いかける。
しかし、サムライはもう、遠くの、森の木々が作る闇の中に消えてしまっていた。
彼の姿が見えなくなった後も村人たちは走り続けたが、やがて一人が立ち止まり、二人が立ち止まり、そしてとうとう、全員があきらめた。
村人たちはみな、肩を上下させながら荒い呼吸をくり返し、中には膝を折っている者も、地べたに四つん這いになっている者もいる。
これ以上はもう、体力的に走り続けることが難しかった。
それだけではなく、空が夕焼けの赤から、夜の漆黒に移り変わろうとしている。
夜の森の中は、あまりにも危険だった。
野盗はもういないが、そこには数多くの野生の生物が棲みついている。
そして夜は彼らの中でも特に危険な、肉食の生物たちの多くが盛んに活動する時間帯でもある。
源九郎なら、あの、たった一人で野盗をやっつけてしまえる腕前で、鋭い切れ味の武器を持ったサムライならば、平気だろう。
しかし、切り詰めた生活のせいで万全の体調ではなく、武器もなく、戦う方法も知らない村人たちにとっては、夜の森はあまりにも危険すぎる。
勝手知ったる村の近くの森とはいえ、暗くなってからは立ち入ってはならない。
それは村人たちの破ってはならないルールだったし、今は、明かりを取るための松明の用意もなかった。
「……残念だけんど、しかたねぇ。みんな、今日は村に戻るべ。明日からまた、忙しくなんだからな」
しばらくして村人たちの呼吸が落ち着いてくると、長老が気落ちした沈んだ声でそう言った。
すると、村人たちは一人、二人と立ち上がり、やや肩を落としてぞろぞろと村へと戻っていく。
確かに今は救われた。
しかし、明日にはまた、別の野盗が村を狙ってくるかもしれない。
これ以上は追いかけられないのだからあきらめるしかないとはわかっていても、源九郎を引き留められなかったことは無念でならなかった。
「源九郎様……」
地面にへたり込んでいた少女は、最後まで残っていた。
しかし最後には彼女も立ち上がり、村へ、━━━よほどの幸運でもない限り、おそらくはこれから一生、暮らしていくことになる場所へと戻って行った。
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