・1-5 第20話 「第1異世界人、発見」

 源九郎が入った森は、自然のままの森で、深く、豊かだった。

 芽を出してから数十年、立派な木に育った様々な種類の落葉広葉樹が根を張った森で、足元には降り積もった落ち葉によってできた腐葉土が厚く重なっており、木々の葉の隙間から降り注ぐ木漏れ日が、そのわずかな光を頼りに自生している下草の上でゆらゆらと揺らめいている。


 空気は、少し湿り気を帯びている。

 落葉広葉樹は広く葉を広げているから日差しはほとんど森の地面には届かず、しかも足元には分厚い腐葉土があってたっぷりと水分を蓄えることができるから、乾燥とは無縁の環境だった。


 そのせいか、木々の根元や、腐葉土の隙間から顔を出している岩などにこけが密集して生えている。

 加えて、倒木などからはキノコがにょきにょきと生え、このしっとりとした森の中が快適なのか、大きく育っていた。


 だが、源九郎が進んで行く道は、腐葉土のふわふわとした感触ではなく、しっかりとしていた。

 さほど交通量は多くないが、定期的に何者かは通っているようで、その道の上だけはよく踏み固められていて歩きやすい。


 草原を歩いている時も心地よかったが、森の中の道を歩いていると一層、心地よかった。

 森の中だからか、空気が新鮮な気がしてくるのだ。


 源九郎は旅を始めた時と同じ弾んだ気持ちのまま足を前へと進めつつ、自身の左手を見おろしながら、何度も手を握ったり開いたりしていた。


 自然と、満面の笑みになる。

 麻痺まひして満足に動かなかったはずの自身の左手だが、何度試してみても、なんの問題もなく動かせるようになっているのだ。


 自分の身体がきちんと動いてくれるというだけでも、源九郎にとっては本当に嬉しいことだった。

 麻痺まひのために追いかけることができなくなってしまった自分の夢を、もう1度追いかけることができるようになったのだ。


 もし、事情を知らない者が今の源九郎の姿を見れば、不気味に思うことだろう。

 自分の左手を何度も握ったり開いたりしながら、ニヤニヤしている中年の男など、気味が悪くて近寄りたくなくなるはずだ。


 だが、ここは人の気配のない森の中だった。

 辺りに人間は誰もおらず、森の中には自然だけが存在している。

 獣たちは住んでいるはずだったが、彼らは源九郎のことなど気にしないだろう。


 自分は、異世界にやって来た。

 そこで立花 源九郎として生き、自由に、心行くまで冒険するのだ。


 嬉しくて、楽しくてたまらない。

 そんな思いで歩き続けていた源九郎だったが、しかし、ふとその足を止める。


 目の前に急に、人工物が姿をあらわしたからだった。


────────────────────────────────────────


 それは、森の中に立つ一軒の小屋だった。

 小ぢんまりとした小屋で、住居というよりは、短期間の滞在や、作業をする際の休憩などに使うためのものであるように思われる。


 木製で、皮をはいだだけの丸太をそのまま柱として使い、板に加工した木で壁を作っている。屋根は柱や板を作る際にはいだ木の皮をそのまま使って作られていて、建てられてから何年も経つのか、屋根の上には落ち葉が堆積し苔むしている。

 窓はあったが、窓ガラスはなく、小屋の中と外は筒抜けの構造だ。


 その小屋の周囲には、馬をつなぎ留めておくための杭があり、井戸も掘られているようで、石積みの井戸の囲いが小屋のすぐ近くにあった。


 源九郎にはそれがなんのための小屋なのか、すぐには予想がつかなかった。

 日常的に人間が暮らしているにしては小ぢんまりとし過ぎているようで、かといって長く利用されていないわけでもなさそうで、小ぎれいだ。


 木こりたちが作業中の休憩などに使う木こり小屋かとも思ったが、周囲には日常的に木を伐採しているような様子がない。

 もしかすると、山菜や木の実などを採集したり、森で狩りを行う際に使ったりしている小屋なのかもしれない。


 そして、どうやら有人であるようだった。


 どうしてそうだとわかるかといえば、馬つなぎの杭に馬がつながれているからだ。

 それも、3頭もいる。

 鹿毛かげの馬が2頭、芦毛あしげの馬が1頭。

 どの馬も駿馬しゅんめと言えるほど立派な馬ではなかったが、鉄製の馬具が取りつけられており、飼い主がいるようだった。


 ここまで歩いてくる道にも馬のひづめの跡はあったが、それはどうやら、この馬たちのものであるようだった。

 そしておそらく、この馬に乗ってここまでやって来た人間たちは、小屋の中にいる。

 地面に人間のモノらしい足跡があり、それが小屋へと続いているからだ。


(おお!

 第1異世界人、発見っ! )


 いよいよ、この異世界に暮らしている住人たちと出会うことになる。

 不安とともに期待が沸き立ち、源九郎は高揚感に包まれる。


 だが、源九郎は小屋に向かって声をかけようとして、口を半分ほど開いたところで動きを止めた。


(言葉、通じるのか? )


 そんな懸念けねんが脳裏をよぎったからだった。

 世界が違うということは、この世界の人々の言語は、源九郎が知っているどんな言語とも異なっているかもしれないのだ。


(ま、神様がうまいことやってくれてるだろう)


 すぐに源九郎はそう思い直して、声を張りあげようとする。

 しかし、またもや声を出さずに、途中でやめてしまった。


 なぜなら、小屋の中から先に、人間の声が聞こえて来たからだ。


 それは、げっへっへ、と下品でいやらしく笑っている3人の男たちの声と、そして、さるぐつわでもかまされているのかくぐもっている、少女の悲痛な声だった。

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