・0-11 第11話 「田中 賢二、死す:1」

「よぉ、久しぶりじゃねぇか! 元気してた? 」


 相手が自分のよく知る相手だと気がついた賢二はそう言って、寒さからウインドブレイカーのポケットに突っ込んでいた右手を軽くかかげて見せていた。


 しかし、光明はその賢二の挨拶に、少しもこたえない。

 ただ、蒼白な顔色をした無表情のまま、賢二のことを見つめ続けている。


 その顔色は、決して、夜の月明かりのせいでそう見えるとか、そういうわけではない。

 今2人がいるのはそれなりに発展した街中であり、周囲にいくつもの明かりがあって星もほとんど見えないほどだったし、古いとはいえ賢二が住んでいるこのアパートにも照明はあり、お互いの姿が見える程度には明るいからだ。


「な、なんだよ、光明? 」


 そのただならぬ、幽鬼のような光明の様子に、賢二は酔いが覚めるような思いがして若干たじろいでしまう。


 光明は、いわゆるイケメンといった顔立ちをしている。

 身長は賢二よりも少し低いものの、それでも日本人の成人男性の平均身長を上回る178センチがあり、体格は細身で引き締まり、見栄えがする少し長い首筋の上には、左右の均整がとれた整った顔立ちがある。

 黒髪をオールバックに整え、茶色の瞳を持つその双眸そうぼうは切れ長で、豪放ごうほうな印象がする賢二とは対照的な、知性的な雰囲気をまとっている。


 その姿は、役を演じるための化粧けしょうをすると、より一層映える。

 賢二が演じる立花 源九郎は貧乏浪人という設定だったから、むさくるしい無精ひげを生やした薄汚れた様相だったが、名家のエリートという設定の、光明が演じる松山 秀雪はいつも丹念に化粧けしょうがされていた。

 その美貌びぼうさえ感じさせる美しさは、多くの女性ファンを引きつけてやまないものだ。


 そういった点でも賢二と光明は対照的な役者だったのだが、今の光明の姿は血の気のない彫像のようで、不気味でさえあった。


「あ、ああ、そうか!


 ちょっと、待っていてくれよ!

 すぐに、家の鍵開けるからさ! 」


 その光明の様子を賢二は、光明がこの寒空の下で賢二が帰ってくることを長い間待っていたせいだと解釈し、慌ててポケットをまさぐって自宅の鍵を探し始める。


 昔の同僚、親友が、会いに来てくれた。

 しかも、この寒い中、賢二が帰って来るのを辛抱強く待ってくれていた。


 判断力の鈍った賢二の意識で理解できたのは、それだけだった。


 探しているのは、よくある、板状の鍵だ。

 それをドアの差込口に差し込むとそれで鍵が解除され、家の中に入れるようになる。


「あっれー? おっかしーな……。

 確か、この辺に入れたはず……」


 しかし賢二は、その鍵を探すのに手間取っていた。

 光明の姿を目にしてすっかり覚めたような気がしたのだが、賢二の身体にはまだしっかりと酔いが残っているらしい。


 賢二はウインドブレイカーのポケットをまさぐり、次いでデニムのポケットをまさぐり、それからウインドブレイカーのチャックを開いて内ポケットをまさぐる。

 するとようやくそこから部屋の鍵が出てきた。


「あ、あれ……? おっかしーな……」


 だが、今度は取り出した鍵が、なかなか然るべき場所に入らない。

 酔いのせいと寒さのせいで手が正確に動かないというのもあるし、賢二の意識もしっかりとしていないせいだった。


 手間取る賢二の姿を、光明は険しい表情で見つめ続けている。

 その光明の様子を、賢二は早く鍵をあけろと催促さいそくしているのだと解釈した。


「ちょーっと、待っててくれよー? 」


 賢二はそんなことを言いながら、鍵をいったんポケットにしまい込み、右手で懐(ふところ)からスマホを取り出すと、ライトを点灯させる。

 そして麻痺の残る左手でスマホをなんとかかまえてドアの辺りを照らし出す。

 そうやってはっきりと照らさなければ、今の賢二ではしっかりと焦点が合わないのだ。


 そうして右手でポケットから再び鍵を取り出し、ようやく本来の差込口に鍵を差し込むことができた。


「へっへへ、お待たせ、光明」


 賢二はようやく家の鍵が開いたことに安心しつつ、ドアのレバーに手をのばす。


 その瞬間、賢二は光明に対して、完全に無防備になっていた。

 身体はドアの方を向いており、右手はドアのレバーをつかみ、左手はスマホを持ったまま。

 ちょうどドアを開いた時には、賢二は光明に向かって背中を向けている形になる。


 そしてなにより、賢二の意識は、光明に少しも注意を払っていなかった。

 たっぷり、心行くまで酒を楽しんだおかげで意識がふわふわとして、曖昧(あいまい)なままだったし、そもそも賢二には、光明を警戒しなければならない理由も思いつかなかったのだ。


 賢二は、少しも気がつかなかった。

 なぜ、最後の共演以来連絡を取り合うこともせず、何度か住居を転々とした賢二の居場所を光明が知っているのか。

 どうして、この寒い中、ずっと賢二が帰って来るのを待っていたのか。


 どんな気持ちで、光明が賢二のことをずっと、険しい表情で睨みつけていたのか。


 その、誰もが当たり前に気がつくはずの[違和感]に、賢二は少しも気がつかなかった。


「さっ、入ってくれよ。

 中は狭いし、散らかってっけど、外にいるよりは暖かいからさ」


 賢二は今でも、光明とは[親友]でいるつもりだった。

 同じ作品に出演した共演者であり、同僚であり、同じ目標を抱いて切磋琢磨したライバルであり、真の理解者である。

 そのはずだと、賢二は信じ切っていた。


 だが、そんな賢二の背中に、光明は無言で、ナイフを突き立てた。

 なんの迷いもなく、賢二の背中から。


 光明のナイフは、刺しやすいはずの賢二の腹部を狙ってはいなかった。

 肋骨と肋骨の間を狙い、深く差し込むように。


 その、冬の夜空のように冷たく冷え切った凶刃は、賢二の心臓を狙っていた。

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