大人と子供
冒険者組合の裏にある訓練場で、クラウスと少年……トラオゴットは対峙していた。
その訓練場には、少数ではあったが闘技場のような見物人用の席が設けられている。
ローザはそこに座って、二人の勝負の様子をクドゥリサルと共に眺めていた。
対峙する二人は木剣を手にして立っている。
クラウスは手にした剣をだらりと下げたまま、構えてすらいない。
対するトラオゴットは腰を低くした状態で、正眼に剣を構えている。
その呼吸は荒く、離れた場所から見ていてもわかるほどに彼は消耗していた。
トラオゴットの姿が突然消える。
そして次の瞬間には派手に地面を転がっていた。
魔術によって感覚を強化して見ていたローザには、何が起こったのか認識できていた。
トラオゴットは単純に剣を構えて、クラウスに向かって突進して行ったのだ。
普通ならそんな適当な技が相手に当たるはずもない。
だが、トラオゴットは身体強化の術を用いて、その速度を驚くほどに高めていた。
常人ではその動きを認識することすらできないだろう。
自身があれを相手にしたならどうなるだろうかと、ローザは考える。
どのような技であるかを知っていたなら防ぐのは容易い。
だが初見では防げない可能性もある。
クラウスはそれを初見で造作も無くいなして見せた。
彼はトラオゴットの突進を躱しながら、その顎に
顎を
手を当てて抑え、その勢いを完全に殺していたのだ。
凄まじい速さで前方へと飛び出していた体の頭のみがその場で固定されたからといって、それ以外の部分の勢いが減じるわけでは無い。
必然、トラオゴットは頭を中心にして回転することになり、突進の勢いを残したまま無様に地面を転がっていく事になる。
常人の目では捉えられぬほどの速さで突進してくる相手の体を、あんな風に止められるものなのか?
その絶技とも呼べるような技を、彼は何気ない様子で繰り出していた。
その光景は先程から何度も繰り返されている。
おそらくトラオゴットはその技に絶対の自信を持っており、初見で対応されるなどとは思っていなかったに違いない。
それをあっさりと破られて、意地になっているのかもしれない。
ただ突進するだけの技だ。
初見で通用しなかったなら、二度目以降も通用する筈など無いというのに、彼は同じ技ばかりを繰り出し続けていた。
トラオゴットは突進のたびに地面に激しく打ち付けられてはいるが、特に怪我はしていないようだ。
身体強化の術を使用する場合には、まず肉体の耐久力を強化してからというのが基本だった。
彼は相応の技術を持っており、その程度の基本も身に付いてはいるのだろう。
「もっと手酷く痛めつけることも出来るんだろうけど……怪我をしない程度に手加減してるのね」
「ん? 何の話だ?」
「クラウスの事よ。まるで子供を相手にしてるみたいだと思ってね」
「まあ、実際大人と子供以上の実力差があるけどな」
「そうね」
ローザはクドゥリサルを抱えた状態で彼と会話しながら、二人の勝負を眺めている。
「クラウスは弟子を取ったりはしてないの? あれだけ強いなら、教えを請いに来る人もいるんじゃない?」
「弟子は……昔はいたけどな。今はいない」
「そう……その弟子は今何をしてるの?」
「大体、死んだな。まだ生きてる奴もいたが」
「……そう」
何気なく尋ねただけであったが、それに対する返答が予想外に重い。
まだ出会って二日しか経っていない相手に余計なことを聞いてしまったかと、ローザは戸惑い、話題を変えようと思考を巡らせる。
「彼は誰に剣を教わったの?」
「ん? それは知らねえな。まあ、一番影響を受けてんのは俺の主だろうけどな」
「影響? 師事していたわけでは無いの?」
「ああ……そういうんじゃ無かったな」
そのクドゥリサルの曖昧な答えが、ローザは気になった。
「詳しく話せないような話?」
「いや、そうじゃねえんだが……多分聞いても信じねえと思うぜ?」
「一度話してみたら? あっさり信じるかもしれないわ」
「そうかい? 信じねえと思うけどな……まあいいか。狭間の世界って聞いたことはあるか?」
「聞いた事はあるわ。確か……死の間際に神を冒涜した者が罰として送られる場所じゃなかったかしら?」
「ああ、良く知ってんな。あいつはそこで三百年以上の時を過ごして戻って来たって言ったら信じるか?」
そのクドゥリサルの言葉にローザは眉を寄せる。
死の間際に神を冒涜した者は、狭間の世界と呼ばれる場所に投げ落とされ、そこで死ぬことも出来ずに永遠にさまよい続けることになる……そういう言い伝えがあるのをローザは知っていた。
だがそんなものは、単なるおとぎ話のようなものだと思っていた。
確かに、いきなりそんな話をされて、それを鵜呑みにするような者はまずいないだろう。
だが、クドゥリサルが嘘を言っているようには感じられない。
問いに対するローザの答えを待たず、クドゥリサルは言葉を続ける。
「その間、あいつは俺の主と昼も夜も剣で打ち合ってた。それがあいつの強さの一番の理由だろうぜ。どうだ? 信じられるか?」
「それは確かに信じがたいけど……どうかしら? 何か、それを証明できるようなものはあったりする?」
「いや、ねえな」
「そう……まあ、それがもし本当だったとしたら……あなたの主もクラウスの相手を出来るくらいに強かったって事?」
「ああ、勿論強かったさ。あいつよりもな」
そのクドゥリサルの言葉にローザは驚き、目を見張る。
「……冗談でしょ?」
「本当さ。後で本人にも確認してみな」
楽し気な感情を伴った声で、クドゥリサルが答える。
ローザは、今なおトラオゴットの相手をしているクラウスに目を向けた。
トラオゴットは未だ飽きもせず、ただ突進するだけの技で突っ込んで行ってはクラウスに軽くいなされている。
手も足も出ないというのはまさにこの事だろう。
まるで相手になっていないが、あれでもトラオゴットは銀の位階の冒険者なのだ。
それを片手であしらう使い手の、さらに上をいく者がいるとクドゥリサルは言っている。
「その人……あなたの主人は今どこにいるの?」
「この世界にはいない」
「じゃあ、その……狭間の世界にいるってこと?」
「ああ」
「じゃあ、クラウスは一人で戻ってきたのね?」
「そうだ」
彼はなぜ友人を置いて一人で帰ってきたのか?
それについてクドゥリサルに質問しても良いものか、ローザは躊躇いを覚えていた。
その彼女の心の中の葛藤を感じ取ったかのようにクドゥリサルが声を上げる。
「まあ、色々あるのさ」
「色々ね……」
「ああ、色々だ。まあ、それも機会があったら本人に聞いてみな」
クドゥリサルはそれ以上話すつもりは無いようだった。
クドゥリサルが嘘をついているようには感じられない。
そんな嘘をついて得があるとも思えない。
それでも素直に信じられるような話ではない。
それについて考え込んでいたローザの元に、一人の冒険者らしき男が近付いて来た。
その気配に気づいてそちらに視線を向けると、男が笑みを浮かべながら声をかけてくる。
「こんにちは、お嬢さん。あのとんでもない剣士は、お嬢さんの仲間かな?」
「ええ、そうよ。何か御用かしら?」
ローザは男の挨拶に笑顔で答える。
それに対して男は申し訳なさそうに頭を搔きながら話し始めた。
「ああ、俺はホルガーってんだが……すまないね。うちの若いのが迷惑を掛けちまったみたいで」
なぜクラウスとトラオゴットがやりあっているのか、このホルガーと名乗る男はその経緯を知っているようだった。
ローザは目の前の男に向かって、意図して迷惑そうな表情を浮かべて見せる。
「ああ、そうなのね……随分しつこく付きまとわれたわ。出来ればもう少しきちんと教育をしておいて欲しかったわね」
「いや、全くもって申し訳ない。あと、礼も言わせてくれ。あいつは身内以外で自分より強い相手に会ったことが無くてね。俺たちより強い奴なんていくらでもいるんだって何度も言って聞かせたんだが……今あの剣士にそれを身を持って体験させられてる。俺が今までに言ってきた事も身に染みてるだろう」
「今回が初めてならいいんだけどね。彼、私に自分とパーティを組めって言ってきたのよ。断ったら私の仲間に喧嘩を売り始めた。他の冒険者相手にも同じようなことをやってたりしないでしょうね?」
そのローザの言葉を聞いたホルガーは呆れたような表情を浮かべて、天を仰いだ。
「ああ、そいつは……本当にすまない。あいつは……正直少し天狗になっちゃいたが、これまでは問題を起こしたりしたことは無かったんだけどな」
「それならいいけどね。でも、もしこれが真剣勝負になっていたら、彼は今頃死んでたでしょうね」
「ああ、全くだ。相手が優しくて運が良かった。それにしても……なんでよりによって最悪の相手を選んで喧嘩を売ったのか……」
呆れたような口調で吐き出された言葉に、ローザは興味を抱いた。
「彼を知ってるの?」
「いや、知ってるのはお嬢さんのほうだよ」
「……どこかで会ったことがあったかしら?」
「ああ、会ったっていうのとは違うかな。有名人だから知ってたってだけさ」
「そうなの? どこかで見かけたことがある気がするんだけど」
「もしそうなら嬉しいね。名高い魔女に顔を覚えてて貰えたんだって皆に自慢できる」
ローザの言葉に、ホルガーは笑みを浮かべて答える。
そして視線を未だに勝負を続ける二人に向けた。
「しかし、あっちの剣士は見たことが無いな。実は名の知れた人物だったりするのかい?」
「いいえ。彼は元傭兵でクラウスっていう名よ」
そのローザの言葉を聞いたホルガーは驚きの表情を浮かべていた。
「傭兵のクラウス? いや、知ってるが死んだって聞いたぜ? 同名の別人なのか?」
ホルガーのその言葉に今度はローザのほうが驚いていた。
「有名なの?」
「一人で紅炎騎士団の騎士を十八人倒したって話だぜ。最後は団長のベルントとの一騎打ちに敗れて死んだって話を聞いたんだがな」
「死んだ?」
「ああ、だから別人なんだろうけどな」
「そう……」
クドゥリサルは先程狭間の世界の話をしていた。
狭間の世界とは、死の間際に神を冒涜した者が送られる場所であると言われている。
クラウスが一度死んで狭間の世界へ送られ、そこから戻って来たのだとしたら、先程のクドゥリサルの話とも辻褄は合う。
見知らぬ相手の前だからか、クドゥリサルは沈黙している。
先程までのクドゥリサルの話、そして今聞いたばかりのホルガーの話について、ローザは一人考えを巡らせる。
だが聞こえてきたホルガーの声が、そのローザの思考を中断させた。
「そろそろ止めてもいいかな? さすがにあのバカも限界らしい。十分頭も冷えたろうから、この辺で許してやっちゃくれないか?」
「……そうね。そうしましょう」
ローザはホルガーと共に、未だに木剣を持って対峙している二人のもとへと近づいていった。
ホルガーがクラウスに申し訳なさげに声を掛ける。
「すまないが、それくらいにしてやってくれないか? いや、ホントにうちのバカが迷惑かけたみたいで申し訳ない」
そのホルガーの言葉に、トラオゴットが抗議の声を上げる。
「ホルガーさん? 待ってくれ! 俺はまだ……」
「いい加減にしろ! あれだけ力の差を見せつけられても、まだ理解できんような馬鹿はうちのパーティには必要無い。続けるつもりなら、うちにはもう戻ってこなくていいぞ?」
「あっ? えっ?」
ホルガーの言葉にうろたえるトラオゴットに、ローザも冷ややかな視線を向けながら言葉をかける。
「頭に血が上って周りが見えていないみたいね。随分見物人も増えてきてるけど、まだ無様な姿を晒し続けるつもり?」
ローザの言葉でトラオゴットは周囲に視線を巡らせる。
「俺は……」
状況を理解し、頭が冷えたのか、彼は力なく呟き、うなだれる。
「ということで、終わりでいい? これ以上、あなたに付き合って無駄な時間を過ごしたくないの」
「……わかった」
そう呟くように答え、トラオゴットはその場に座り込んでしまう。
その彼に対して、ローザが咎めるような口調で問いを投げ掛ける。
「一つ答えて。これまでにも同じような事をしたことがある?」
「……同じようなことって?」
「他の冒険者に付きまとって、そのパーティの仲間に喧嘩を売ったりよ。さらに勝負にかこつけて無理な要求を押し付けたりしていないでしょうね?」
「そんな! まさか! ……いや、無いよ……本当だ」
「じゃあ今回が初めて? 本当に?」
「ほ、本当だって!」
「なら、どうして私たちに近付いて喧嘩を売って来たりしたの?」
「…俺……だった…だ」
「何? 聞こえないわ」
もごもごと不明瞭な言葉を発するトラオゴットに、ローザは苛立ちを隠そうともせず、再度問いかける。
トラオゴットは俯いたまま、先程よりは幾分かはっきりした口調で答える。
「あぁ……俺……君みたいな綺麗な子見たのは初めてで……それで……」
「それで、このお嬢さんの気を惹きたくなって、こんな馬鹿なことをやったって事か?」
顔を伏せたまま不明瞭な言葉で理由を語るトラオゴットの言葉を、補足するかのようにホルガーが確認する。
それを聞いたローザはあっけにとられ、しばらく言葉を発することが出来ずにいた。
その答えは彼女が予想だにしていなかった物だった。
ローザは呆れてしまい、それ以上責める気を失ってしまう。
クラウスに目を向けると、彼は一人で楽しそうにくつくつと笑っていた。
「ホントに? そんな理由で?」
「……あぁ」
呆れかえったローザの問いに、消え入るような声でトラオゴットが答える。
「まあ……その……気持ちはありがたいんだけど……ね。だとしても私の仲間を侮辱して、それで好印象を得られると本当に思っていたの?」
「それは……」
そう言ってトラオゴットは黙り込んでしまう。
ローザは大きく溜息をつく。
「まあ……いいわ。もうこんな騒ぎは起こさないでね。余りこんなことは言いたくないけど、その気になれば、あなたの冒険者資格を剥奪することも出来るのよ。ホルガー、私の事を後で彼に教えておいて」
「いいのかい?」
「ええ、二人以外には他言無用でね。あと、あなたももっとちゃんと彼を管理してね」
「ああ、それは本当に面目無い」
謝罪の言葉を繰り返し、ホルガーはトラオゴットを連れて去っていく。
それを見送るローザの横で、クラウスは未だに一人笑い続けていた。
「あなたも、いつまで笑ってるの?」
「ああ、すまん。やっぱり美人過ぎるってのも良し悪しなんだと思ってな」
ローザはそのクラウスの言葉に呆れながらも、その顔に楽し気な笑みを浮かべる。
「じきにあなたも似たような目にあうわよ。覚悟してなさい」
「俺が?」
「ええ、そうよ。すぐにそんな風に人のことを笑えなくなるわ」
これほどの力を持った戦士が無名なままで居られるはずが無いのだ。
いずれ彼の名は大陸中に轟くことになるだろう。
その当の本人はローザの言葉を聞いて笑うのをやめ、神妙な表情を浮かべている。
「それは……面倒だな」
言葉通り、面倒そうに呟くクラウスを見て、今度はローザが笑い出す。
そうしてクラウスの顔を見てしばらく笑った後に、ローザは出口に視線を向け、歩き出した。
「今日はもう戻りましょうか。くだらないことで時間を潰してしまったわね。本当に勘弁してほしいわ」
トラオゴットはホルガーに肩を貸して貰いながら、おぼつかない足取りで家路に向かっていた。
「ホルガーさん……あの娘、何者なんだ? 知ってるんだよな?」
「ああ。あれが銀髪金眼の魔女だよ。その名で呼ばれる冒険者の事は知ってるよな?」
トラオゴットは驚きの表情を浮かべ、その足を止める。
「え? いや……でも、あの娘は髪も目も黒かったろ?」
「銀髪金眼のまま歩いてたら目立ち過ぎるから、普段は魔術で別の色に見えるようにしてるんだよ。今回は黒だったってだけだ。知らなかったのか? 結構有名な話なんだがな?」
「え? あの娘本当に? ……じゃあ白金の位階なのか?」
「ああ。お前はそれに喧嘩を売ったんだ。本当にあの程度で済ませてくれて良かったよ」
「あの男も?」
「あっちは知らんが、その魔女の連れなんだ。あれだけの強さなのも頷けるだろ?」
呆然とした表情で固まっているトラオゴットの顔を見ながらホルガーは苦笑を浮かべる。
「まったく、人の言う事を聞かないから痛い目に合うんだ。何度も言ったろ? 俺らより強い奴なんていくらでもいるんだ。彼女にも言われたが、もしあれが真剣勝負だったらお前今頃死体になってたんだぞ? それを忘れるな。相手を侮ればどうなるか、よく覚えておけ。下らんことで他人に勝負を挑んだりするな」
その言葉を聞いているのかいないのか、トラオゴットは呆けたような顔のまま固まっている。
銀髪金眼の魔女……ローザリンデ・アマーリエ・フォン・グルーデアヴァイセはこの大陸に七人しかいない最高位の冒険者の一人である。
彼女の家名はこの国、アリエニヴ帝国を守護する竜の名でもあった。
黄金竜グルーデアヴァイセ。
この国でその名を知らない者はいない。
そして、その竜の名を家名として名乗ることを許された者たちのこともまた、知らない者はいないだろう。
「俺さ……あんな綺麗な娘に会ったの本当に初めてだったんだ……でも、皇女様だったのか」
「ああ、しかも白金の位階だ。俺らとは住む世界が違うんだよ」
「……なあ、冒険者としてもっと上に行けたら……彼女と同じ白金の位階になれたら、少しは彼女にも近付けたりするかな?」
「お前なぁ……まあ、その意気は悪くは無いけどな」
新たな目標を見つけたかのような、希望に満ちた表情を浮かべるトラオゴットを、ホルガーは呆れ顔で眺めていた。
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