ロマンスの影/峰原すばる

R&W

第1話

 ベランダに朝日が入ってきた。村上彰子はベランダに出て、新鮮な空気を吸い、新しい朝の光を浴びる。遠くに青い山が見え、その山の前に低い緑色の山がある。遠くの青い山と近くの緑色の山の間に白い雲が横たわっていた。空は青く晴れ渡っているのにあんな低いところに雲が見えるなんて。今朝は冷えたからだろう。雲のある場所へ行けば霧がかかっているに違いない。遠い山と近い山の間の谷間に住んでいる人達は濃い霧に包まれているのだろう。今まであの様な雲には気がつかなかった。時間的に余裕ができたから気がついたのだろう。

 心臓の基礎疾患を抱えていた彰子は新型コロナの流行を機会に早期希望退職をした。五十歳を過ぎたので一区切りしても良いかと思った。コロナが収まってからまた仕事を考えようと思っている。退職した直後はホッとし、鳥になったような開放感を感じた。いかに会社に縛られていたか。そう言えば仕事で海外出張した時、彰子は開放感を味わった。狭い日本がいかに自分を抑圧していたかを感じた。空港から飛行機で日本を飛び立ち、外国の地に足を踏み入れるだけで、彰子は幸せな開放感を感じていた。今それに似た開放感がある。仕事を止めたから好きな時に好きなところへ行ける。好きな本も読みたい時に読める。しかし開放感があると同時に不安感もある。足が地に付いていないような。孤独な寂しさはないとは言えない。

 解放されたとは言えコロナ禍の条件下では海外旅行はもちろん国内旅行も出かける気にならない。しかも今までやっていたサークル活動も感染予防のため全て中止になり自宅中心の生活である。コロナ禍での一人暮らしの生活は孤独でもある。一日中誰とも話をしない日もある。外出は主に買い物と散歩。生活範囲は本当に自分の周りだけの小さな領域。ステイホームだ。

 久しぶりに車で出かけようとした。車のキーを押しても車のドアが開かない。「あっ!バッテリーだ」

 バッテリーが上がってしまっていた。そのくらい車で外へ出ることがなくなってしまった。

 コロナになって自粛自粛で行動範囲が狭くなった。食料の買い物へ行くくらいだ。買い物も人の少ない午後二時頃行くようにしている。以前は洋服など新しいものを買いに遠くへ行くこともあったが、洋服自体も必要がなくなり、買いに行く気持ちも起こらない。友人の母親が亡くなったのだけれど、感染予防のため親族だけの家族葬だった。コロナ流行以前の葬式は家族、親戚、友人、同級生、仕事の関係者、町内の人たちなど、多くの人が参列していた。もうそんな時代は来ないのかもしれない。

 今までは朝早く家を出て会社へ行き、夜遅く家に帰ってくるという生活で、周りのことに全く無関心だった。近所に住んでいる人も周りの店も必要以外は注意を払わなかった。退職し時間的に余裕ができると周りのものが見えてくる。小さな個人経営の洋服店、喫茶店、雑貨屋、美容院、大判焼き屋などなど。近くに住んでいる老人や学校帰りの子供達にも出逢う。大人も子供もマスクをしている。

 変な時代になったものだと彰子は思った。

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