今日が終わる。

夜月心音

明日は、違う。

 今日がそれだった。

 ただただ、それとしか言えない私を許して欲しいのだが、自己主張する気も、もはや起きないのでそれと表記する。なんとも、悲しくもあり、むしろ清々しくもある気持ちだ。

 まさか今日、それの時に、別れるだなんて。誰が想像しただろう。でも、この兆候は以前からあったようにも思う。でも、私は何とも言えない気持ちになった。多分忘れられていたのだろう。

 短い付き合いだったから、それのことなんて忘れてしまうよなあ、なんて考えてみたものの、時計の針が進むだけで、その他は何も進まなかった。本当に何も。退化しただけで進まなかった。一歩進んで二歩下がるというが、多分、零地点までやり直しになってしまっただろう。ああ、勿体無い。また零から始めるなんてとは決して思わない。なるべくして退化したのだから、次に進むときはしっかりと考えて進めばいいのだ。

 それよりも、と、部屋を見渡した。私は少しだけわくわくしていた。今日という日を。今日でなくてはダメだった。でも、きっと今、この世の誰もがわからないだろう。私以外の人を除いて。そもそも、自分自身が零地点に立っているから、見えるはずもないのだ。だからこの特別な気持ちはきっと私だけしかわからなく、それを裏切られてしまった気持ちもまた、私にしかわからないのだろう。ただ、私にしかわからないことは、伝えることも難しく、誰にどう伝えたらいいのだろうか。


 昔の今日は、たくさんのプレゼントをもらった。全てが私へのお祝いであり、私への最大の存在意義とも言えた。昔はそんなことを楽しみにしていて、数ヶ月も前からおねだりすることを考えていたものだった。

 だが、そんなことも長くは続かず、昔の今日は一時期特別ではなくなってしまった。ただ、進むだけ。でもその実感も湧かない。その気持ち悪さが私の中を駆け巡り、ただただ吐き気がした。何のための祝福なのか。私には他にやるべきこともあり、そんなことを気にしている時間がなかった。それは私にとって何の意味もなくなった。多分誰しもがこれはそうなんじゃないかなと思う。だって、それをお祝いされること、それは自分の存在意義を示せると同時に、ただ時が進んでいることを突きつけられ、嫌になってくるのだ。ここまではみんな同じことだと思う。

 ただ、私の中でそれの意味がまたしても変わることがあった。私には、そのことが今でも残っており今日という日に意味を持った。

 それは、誰にでもわかるとは言い難いが、何となくは伝わるのではないかと思う。この日だけは、仲の悪い両親がにこにこ笑ってお祝いしてくれるようになったのだ。「生まれてきてくれてありがとう」と言われて、少し嬉しく、「早く孫の顔が見たい」と言われると少し焦るのであった。ただ、この時は私たちは家族であった。特別な日になった。だからまた私の中でこの日を楽しみにすることが増えた。この日だけは私たちは家族なのだ。

 ただ、退化してしまった。今日のように、忘れ去られてしまっていた、日があった。母が——離婚して昔の今日だけは会っていた母が、交通事故に遭ってしまった。何も言えなかった。家族はもう集まることがなかった。集まれなかった。母に孫の顔を見せることはできなかった。早く結婚していればという後悔だけが付き纏った。

 私は歳をとった。どんどんとった。私には、止まった母のように時間が止まることはなく、ただ進むのみになってしまった。父は今日を祝うことを忘れてしまった。私も忘れてしまった。それは、なかったことになった。


 でも今日は違った。こんな日でも、私はわくわくしていたのだ。なぜかは簡単なことだった。

 初めて婚約者ができたのだ。かなりのスピードでの婚約だったため、それを祝ってもらったことは今日まで——いや、今日もなかった。母のためにも、父のためにも、両親のために。また自分のことを嫌いにならないために。婚活をしていた。そして出会った人だった。でも、ダメだったようだ。そんなやり方ではきっとダメなのだろう。こんなことにこんなにも必死に行動したのは、いわゆる結婚適齢期が終わってしまう危機感に焦ったからだった。結婚がしたかったわけではない。子供が欲しかったわけではない。家族を作りたかったわけではない。だから、零に戻ってしまったのだ。

 でも、今日だけは家族でいて欲しかった。元婚約者が出ていった扉を少しだけ見つめた。何の趣味もない私に、楽しさを教えてくれた。愛しさを教えてくれた。悲しさも、怒りも、感情を取り戻した。でも、家族にはなれなかった。

 手元には昔の今日からずっと続いていたチョコレートケーキ。私が好きな味のケーキ。元婚約者になる前に少し食べていた、それだけが残っていた。もうきっと今日は祝われる日でも、存在意義を確かめる日でも、家族になる日でもなくなるのだろう。

 ああ、悲しいかな。

 そんなことをぽつりと思い、もう一口だけ口に進めた。

 

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今日が終わる。 夜月心音 @Koharu99___

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