二人の世界

 翌日。私が教室に行くと、速水君と華弥は楽しそうに話していた。


 文化祭のあとに感じた二人の気まずそうな雰囲気はやっぱり気のせいだったのかもしれない。二人を見ていてそんなことを思う。


「こんなところで、ぼうっとしている場合じゃないわ」


 私は荷物を置くと、華弥がいる速水君の席に向かった。


「お、おはよう」


 私がぎこちなくそう言うと、華弥はいつものように「おはよ!」と笑顔で答えた。きょとんとした顔をしていると、速水君はクスクスと笑う。


「な、何笑ってるのよ!」


「いやあ瑠璃川が、ずいぶんと驚いた顔をしてるなあって思って」


「――もしかして、こうなることを分かっていたの!?」


 私の心配がただの杞憂で、華弥はあの時のことをもう気にしていないと。

 だから昨日、素直に謝ればいいと言ったというのだろうか。


「まさか! 僕だって予想外だったよ」


 本当かしら――と速水君を睨んでいると、華弥が「紗月」と私の名を呼んだ。その方に顔を向けると、華弥は柔らかい笑顔をこちらに向けている。


「文化祭の時はごめんね……紗月の言った意味がようやく分かった。私、最低だったなって」


 え、意味が分かったって……?


 そう言う華弥の顔を見ながら、私は嫌な妄想をする。


 無数の花が咲く野原で見つめ合っている華弥と速水君。そんな二人を正面から俯瞰する私。同じ空間にいるはずなのに、私は二人に触れることはおろか、認識すらしてもらえない。


 私だけがこの世界から弾き出されてしまったということなんだろうか。透明な邪魔者だということなのだろうか。


 悪い妄想を頭の中から消し去るように、首を横に小さく振る。


 きっと何かの勘違い。私が華弥と気まずくなっていたからそう感じるだけのことよ。


「ううん。私も、言い過ぎたと思ったわ。ごめんなさい……」


「ありがとう、紗月」


 華弥はそう言って嬉しそうに笑う。


 速水君が華弥に何を言ったのか、華弥から何を聞いていたのかは分からないけれど、仲直りができてよかったと思った。


 そう、これで元通り。また三人でいられる――。


「速水君も、いろいろとありがとね」と華弥。


「僕は何にもしてないけどな」


 速水君は華弥の顔をまっすぐに見ながら微笑む。


「そんなことないよ。速水君のおかげだよ。ありがとう」


「うん」と速水君は照れ臭そうに頬を掻いた。


 速水君と華弥のそんなやりとりに、胸の奥がズキンと疼く。


 遠い。目の前にいるはずの二人が、手を伸ばしても届かない場所にいるみたいだった。


 二人の世界に、私は入ることを許されていないということなのだろうか――。


「紗月? ぼうっとしてどうしたの?」


 その声にハッとすると、華弥は心配そうな顔をして私の顔を覗き込んでいた。その隣には同じような顔をする速水君の姿も。


 今はこれ以上、この二人と一緒にいたくない。


「な、何でもないわ。一限目の準備をするから、私は先に戻っているわね」


 私はそう言って華弥に背を向け、席に戻る。


「うん……」


 華弥の悲しそうな声がしたけれど、私は振り返ることなく席についた。


 きっと華弥と速水君も喧嘩か何をしていて、仲直りした直後なのかもしれない。だから今だけよ。明日になれば、今まで通りになる。



 ***



 それから一カ月。私が登校すると、先に教室にいた速水君と朝練を終えた華弥が楽しそうに談笑していた。


「紗月、おはよ!」


 教室の入り口に佇んでいた私を見つけた華弥は、溌溂とそう言って手を上げる。それに続いて速水君も「おはよ」といった。


「おはよう」


 少しぎこちなくなってしまったけれど、きっと二人はそんな私に気付かない気がした。


 私は鞄を机に置いて、二人の元へと向かう。


「そうだそうだ。今日の英語の小テスト、心配なんだよね。紗月、教えてよー」


「それって三限目だろ? 今更遅くないか?」


「いいや。紗月なら、きっと何とかしてくれるはず!」


 速水君はやれやれと言った顔で華弥を見てから、私の方を見た。


「だ、そうだが。瑠璃川どうだ?」


「ええ。出題範囲は網羅しているから問題ないわ」


「さすが紗月! 速水君も一緒にどう?」


「僕はやめとくよ」


 速水君は笑顔でそう答えた。


 華弥からの誘いに、速水君はとうぜん快諾するものだと思っていた。文化祭前までの彼は迷いなく、鼻息を荒くしてのってきたのだから。


 せっかく華弥と一緒に居られるチャンスだと言うのに、なぜ速水君は断ったのだろう。


 頭の片隅にとある仮説が浮かんだ。私はそれを受け入れたくなくて、咄嗟に首を振り、その仮説を打ち消す。


「じゃあ、私が紗月を独占しちゃうからね!」


「はいはい。お好きにどうぞ」


 それからすぐに予鈴が鳴り、私は自分の席についた。そしてそのまま速水君の方に目を向ける。


 速水君はこの一カ月、ずっと上機嫌だ。日曜日のお出かけの時もなんだか浮足立っているというか……私の知らないところで何かあったのかもしれない。


 そして言動も行動も今までと変わらないのに、最近の速水君は華弥のことで脅してもあまり動じなくなった。


 今までわがままを言う時に使っていた手が使えないのは、しょうじき困りものだった。


 慣れが来たのか、それとも――ううん。こっちのことはあまり深く考えない方がいい。


「ねえ速水君……あのお出かけは、いつまで続けるの」


 私は休み時間、二人きりになった時に速水君へそんなことを尋ねていた。


「え? 僕は瑠璃川に合わせるよ。もともと瑠璃川が言いはじめたんだし」


「そうだったわね……」


「急にどうしたんだ?」


「いいえ。なんとなく聞いてみただけよ」


「瑠璃川がやめたくなったらいつでも言ってくれればいいからな」


「ええ」


 じゃあ。私がこれからもずっとと言ったら、速水君は付き合ってくれるの? もし華弥と付き合うことになっても、私に日曜日をくれる?


 考えるまでもない。きっと速水君は、「うん」って答えるんだろうな。優しい彼なら。


 でも、私が華弥の立場だったら――どうするの?

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