幸せだった日々
幼い頃の私は、お母さん譲りの天真爛漫な少女だった。
いつでもどこでも笑顔ではしゃぎ回っていて、お母さんもお父さんも相とう手を焼いていたらしい。
そんな私は小学校に入学すると、すぐに瑠璃川紗月と友人になった。
「さつきちゃん。おそとでおにごっこしてあそぼうよ!」
「ありがとう、かやちゃん。でもわたし、あまりうんどうはとくいじゃないの。だから、かやちゃんがたいくつしちゃうかもしれない」
「だいじょうぶ。わたしがとっておきのおにごっこをおしえてあげる!」
「とっておき? それはすごくたのしみだわ!」
「でしょ? いこ!!」
「ええ」
私とは正反対な性格の紗月だったけれど、なぜか不思議と馬は合っていた。たまに吐く毒舌は癖になるし、ユーモアのある話術に何度笑わせてもらったことか。
もちろん他にも語りきれないほど、私は紗月の良いところを知っている。
私は別れるまでの数年間で紗月と一緒にいろんなところを探検したり、遊びに行ったりしていた。たぶん、かなりやんちゃなこともしてきたと思う。
そして、私が紗月とやんちゃをしてから家に帰ると、お母さんは困った顔をしたあとに「ほどほどにね」と笑いながら私の頭に温かい手をそっと置いてくれるのだ。
紗月と過ごす毎日も、お母さんたちから受ける日々の愛情も。それは私にとって当たり前の幸せだった。
このままこんな幸せな日々がずっと続いていく。私はそう信じて疑わなかった。
しかし、小学三年の秋。私のお母さんが急に亡くなった。不慮な事故だった。
「買い物帰り、歩道を渡っていたら……トラックが、突っ込んできたって」
お父さんは白い布が顔にかけられたお母さんの横で、涙を流しながら
薄暗い部屋、線香の香り。横たわったままピクリとも動かないお母さん。
ここにある全てが嘘のようだった。
きっとお母さんは何気ない顔をして起き上がり、「びっくりした?」とおどけてみせるに違いない。私はそう信じていた。
でも、そんな奇跡はもちろん起こるはずもない。お母さんの葬儀は気がつくと終わっていた。
納骨の時、お母さんの体があったはずの場所に、枝のように細くなった白くてボロボロな骨しかないことには驚いた。箸で触れた時、それがぼろりと崩れたことも。
崩れたそれがお母さんの骨だと理解することが、その時の私にはできなかった。
たぶんお母さんの死を受け入れられていなかったからだと思う。
しかしそれから数日。私はお母さんの死を少しずつ受け入れていった。
仏壇に手を合わせ、お母さんがちゃんと天国に行けますようにと願い、お母さんの分まで生きると私は誓った。
そんな前向きな言葉を伝えながらも、本当は悲しみたいという気持ちもあった。しかし、
「どうして……こんなことに。あの日曜日に買い物に行ってさえいれば、あんな事故に巻き込まれることはなかったんだ」
お父さんはお母さんの仏壇の前で、ずっとその時のことを後悔し続けていた。
葬儀が終わって何日も経つのに、あの時と同じように大粒の涙を流して。
お父さんの深い悲しみを目の当たりにすると、私は悲しみたくても素直に悲しめなかった。
何かを言ってあげるべきだった。でも、なんと伝えたらいいか、この時の私には分からなかった。
――このままじゃ、お父さんがダメになるかもしれない。
そう思った私は、せめてお父さんの前では少しでも悲しい顔を見せないでいよう、笑顔でいようと決めた。
たぶん、この時から私は嘘の仮面を被るようになったんだろうなと思う。
『お母さんが亡くなって辛いはずなのに、華弥ちゃんは強い子だね』
周囲の人たちは、いつしか私にそんなことを言うようになった。
私だって悲しみたい時はある。でも、お父さんが私よりも悲しそうだから、私は悲しんだらダメなんだ。
そう思いながら、私は嘘の仮面を厚くしていった。
それからしばらくして、お父さんは少しずつ元気を取り戻していった。
お父さんの笑う姿を見て、私はホッと胸を撫で下ろす。
お母さんはいなくなってしまったけれど、お父さんは戻ってきてくれたのだと。
しかし。その頃の私は、嘘の仮面の剥がし方を忘れてしまっていた。
どんな時でも笑顔で明るい彌富華弥が、この時に完成したのである。
その嘘の仮面を被っていると、なぜかクラスメイトたちからの評判はとても良かった。
いつの間にか私は、悲劇のヒロインなんかではなく、クラスの人気になっていたらしい。
しかし「みんな」が、本当じゃない嘘の私のことが好きなのだと思うと、クラスメイトに囲まれている嘘の自分に対して嫌な気持ちが募っていった。
悲しみにくれる本当の私じゃダメなんだ。いつも笑顔で明るい嘘の私じゃなきゃ――と。
どうして嘘をつき続けなければならないのだろう。誰か一人くらいは私の嘘に気づいてくれてもいいのに。
私は試しに紗月の前で、悲しい自分を少しだけ出してみた。けれど――
「どうしたの、華弥? らしくないわよ」
紗月は、そう言った。
紗月からしてみれば、思った事を口にしたくらいに過ぎなかったのかもしれない。でも――その一言は、本当の私の心を深い深い悲しみの淵に突き落とす。
「ああ、そっか。らしくない、よね。ごめんごめん!」
私はいつもの作り笑顔、明るい口調でそう返した。
ずっとそばにいる紗月でさえ、私の嘘の仮面に気づけないのだ。もうダメだ。他の誰かを期待することも無意味なのかもしれない。
襲いくる悲しさを、私は嘘の仮面で押し込めた。
悲しさは叫び声をあげて、潰れていく。私はその叫び声を聞かないふりをした。
そうだ。結局、誰も本当の私のことなんて見ていない。
「みんな」は自分だけが優しくされればいいと思ってる。他人のことなんてどうでもいいんだ。
私はそうして自分だけじゃなく、周囲にも徐々に嫌悪感を抱くようになっていった。
小学五年生になると、紗月は隣町の学校に転校することになった。
本当の私を見失っていても、紗月が友人であることに変わりはない。別れを聞いた私はその数日間、誰にもバレないようにこっそりと悲しんでいた。
幸せだった頃にいた人たちが、私の前から次々といなくなってしまう。いつまでこの不幸は続くのだろう。そんなことも思った。
そして別れの日。やはり寂しかったけれど、私は紗月の前で泣かなかった。
いや、本当は内心で泣いていたのかもしれないけれど、顔には出せなかったのだと思う。
「いつでも連絡してね」
明るい口調で紗月にそう伝えると、紗月は大泣きをしながら「約束よ」といって私に抱きついた。
私も素直に涙が流せたらよかったのに。
そんなことを思いながら、私は紗月の背中をさすったのだった。
思えば、この時に紗月が転校をしなければ――いや。それでも私の運命は変わらなったのかもしれない。
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