『可能性』
ギイギイと軋む音を上げながら悠然と動く観覧車のゴンドラに揺られ、僕は窓から夕日を見つめていた。
昼間には綺麗な青色だった空が、今は温かさを感じるオレンジ色になってきている。
普段あまり見ることのないその景色に、僕は今、ガラにもなく感動していた。
結局、人間は自然が一番好きなんだよな、なんて悟ったようなことを思う始末なのである。
そんな時、瑠璃川さんは窓に張り付いたまま、じっと外の景色を見つめていた。頬は紅潮し、目と口がいつもよりも開いている。
彼女も僕同様に感動しているのだろう。
「いい景色だな」
僕が言うと、瑠璃川さんは視線をそのままに「ええ」とだけ答えた。
「観覧車も初めてなのか」
「そうね。家族でこういうところに来ることはなかったし、華弥とも来たことはなかったわ」
「そっか」
「速水君は……華弥と来たことはある?」
「あるわけないだろ。あったら片思いしてないよ」
「そうね」と瑠璃川さんはクスクスと笑った。
「瑠璃川さんって本当に彌富のこと、好きだよな」
「今の話の流れから、なんでそうなるの?」
きょとんとした顔をして、瑠璃川さんはこちらを向く。
「いつも彌富のことばっかり話すし、教室でもずっと一緒だろ。なんかいいなあって」
「速水君も混ざればいいじゃない」
「だって瑠璃川さん、嫌がるだろ?」
「別に嫌がらないわよ! 失礼ね」
瑠璃川さんはそう言って腕を組み、頬を膨らませながら椅子の背もたれに背を預けた。
「だって彌富がテニス部の子と話し始めると、すうっと離れるじゃないか」
「あなた、本当にストーカーみたいね。そうやっていつも華弥のことを見てるの?」
瑠璃川さんは自分の身体を擦りながら、目を細める。
「い、いや。なんて言うか――偶然だよ!」
もちろん偶然なはずがない。僕は教室に彌富がいると、つい目で追ってしまっているのだから。
そして、そんなことを瑠璃川さんに言えるはずもないが。
「っていうか。彌富に言うなよ、今のこと!」
「粗相がないように気をつけなさい。うっかり漏らしてしまうかもしれないわ」
「瑠璃川さん、本当にいい性格してるわ……」
やれやれと思いながら、ため息が漏れる。
彌富もきっと、こんな瑠璃川さんだから親友でいるのかもしれない。真面目なだけじゃなく、ユーモアもある彼女が好きなのだろう。
「それ、やめてくれない?」
瑠璃川さんは唐突に真剣な表情でそう言った。その表情を見て、仲良くなるつもりだったのに失言だったかとほんの少しだけ反省する。
「ええっと。いい性格ってやつ?」
慎重に尋ねると、瑠璃川さんは膝の上に拳を握りながら俯いた。
「そ、そうじゃない。名前……『さん』って、つけないでよ」
「え?」
あまりに唐突なお願いで、思わず言葉を窮していた。
馴れ馴れしいほうが嫌がられると思っていたんだけどな。もしかしたら、男子から呼び捨てされたいっていう願望かもしれない。
「聞いてる?」
「え、うん」
「今から『さん』付けは禁止。それと、特別に私と華弥が話してるところに来ることを許可してあげてもいいわよ」
断る理由もないし、彌富との時間が増えるなら万々歳だ。
「わかったよ、瑠璃川」
まったく。素直じゃないな、と思いながら僕は瑠璃川を見遣って笑う。すると、瑠璃川は満足そうに笑って、また窓の外に視線を向けた。
「ねえ。来週の日曜日も付き合ってよ」
「友達いないもんな、瑠璃川」
「あなたにだけは言われたくないわ」
「はいはい。来週でも再来週でも付き合うよ」
「そう――」
彼女の横顔が夕日のオレンジ色に染まる。
瑠璃川は今、何を思っているのだろう。
そんなことを思いながら、僕も静かに外の景色を見つめたのだった。
翌日。教室で読書をしていると、いつものように明るい声が教室に響いた。
「みんな、おっはよー!」
彌富の声に教室の誰もが反応し、次々と声をかけていく。
彌富は笑顔で返答しながら、鞄を置いてまっすぐ瑠璃川の元へと向かった。
「紗月、おはよう!」
「おはよう」
「今日はなんだかご機嫌じゃん~」
二人の会話が始まったところで僕はそっと席を立って歩き出した。
「おはよう、彌富。瑠璃川も」
僕がそう言うと、彌富は一瞬だけ驚いた顔をしてからニコッと笑った。
「おはよう、速水君!」
「お、おはよう」遅れて瑠璃川も答えてくれた。
「なになに? 二人はとうとうそういう仲になったのかい?」
「そういう仲ってどういう仲だよ! ただの友達だって」
「へえ」
彌富は口元に手を当てて、ニヤニヤと嬉しそうにしている。完全にからかっている顔だ。
「速水君が独りぼっちで可哀相だからよ。仕方なくだからね!」
「もう、素直じゃないなあ」
ほれほれ、と瑠璃川の頬を突く彌富。そんな二人のやりとりに僕は可笑しくなって噴き出す。すると、彌富と瑠璃川も顔を見合わせてから笑っていた。
「おおっと、始業ベルが。またあとでね紗月! 速水君も」
「ああ」
それから席に戻った僕は頬杖をつき、妙にワクワクして口角が自然に上がっていた。
もしかしたら、これから何かが起こるような『可能性』を感じているからなのかもしれない。
新たな花が芽吹く季節――春。僕らの物語はまだ始まったばかり。
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