23 暇つぶし

 日暮れ頃にはカイトが帰ってきた。

「おかえり」

「ただいまー……って、おかえり。早かったな」

「ただいま。ベルが体調崩しちゃったから、切り上げてきた」

「えっ、大丈夫なのか、それ」

「この前の女医さんに診てもらったよ。森熱って言うんだって」

 僕は女医さんから聞いた説明と、ベルが今眠っていることをカイトに伝えた。

「へぇ。この世界独自の病気なのかな」

「多分。病気に詳しいわけじゃないから言い切れないけど」

 お医者さんの話では、薬を飲んで数日安静にしていれば治るとのこと。

「じゃあしばらくは仕事休みか」

「それなんだけど、僕一人で行ってみようかなって」

 ベルがいないとクウちゃんに乗れないため遠出はできないが、ひとりでどこまでやれるか、やってみたくなったのだ。

「危険度SSの場所までは行けないけど、資金稼ぎだけなら近場でもワンチャンあるし」

「そうか。でもまぁ、無理はするなよ」

「うん」


 夕食を済ませ、深夜の駄弁りタイムに突入した頃、チャバさんが帰ってきた。

「あれ、デガ、おかえり」

「おかえりただいま」

 チャバさんにもベルのことを説明した。

「ありゃま。ずっと寝てるの?」

「夕食はお粥食べてたよ。さっき様子見に行ったときは眠ってた」

「そっかそっか。じゃああたし、明日から暫く仕事休む」

「いいの?」

「日本と同じ調子でシフト入れてたら『働きすぎ』って言われてたからさ。丁度いいよ」

 チャバさんはからりと笑いながら言いのけた。

「俺も似たようなこと言われたなぁ」

 カイトが僕をじっと見つめる。

「僕はほら、体力あるから」

「何、デガはひとりで仕事する気だったの?」

「え、うん」

 チャバさんが腰に手を当て、下を向いて大きなため息をついた。

「家に居なさい。ベルが寂しがるでしょ」

「へっ? でも、僕がいてもベルの病気が早く治るわけじゃないし、ベルも殆ど寝てるし……」

「そういうこっちゃないよ。いいから、あんたも明日から暫く休み! いいね!?」

「はい」

 チャバさんの異様な圧に負けて、気がついたら肯定の返事をしていた。


 それが正解だったことは、翌日すぐに思い知ることになった。



「おはよう、ベル。具合はどう?」

「おはようございます、デガさん。はい、昨日よりだいぶマシです」

「良かった。朝食どうする?」

「普通に食べられそうです」

「じゃあ持ってくるよ」

「あ、デガさん……」

「ん?」

 看病とはいえ、女性の部屋に長居するのは良くない。

 この役はチャバさんにお願いしようとしたのに、チャバさんはなぜか「デガが行くべき」と言って聞いてくれなかったのだ。

 僕としてもベルの具合は心配だから、看病することに異議はない。

 それでも、ベルの部屋での滞在時間は極力短くしようと決めていた。


 だというのに、当の本人が僕を呼び止めたのだ。


「あの……森熱は伝染りませんので、近くへ来ていただいても、いいですか?」

「いいよ。どうしたの?」

 僕がベルのベッドの横へ立つと、ベルがシーツから手を出して、僕の手に触れた。

「ベル?」

「少しだけ……手を握っていてくださいませんか」

「うん」

 ベルは僕の方へ寝返って、両手で僕が差し出した手をそっと握ってきた。

 ベルの白く細い手は少し熱い。まだ熱があるのだろう。

「やっぱりまだ、具合悪い?」

「いえ、その……」

 いつも物事をはっきりと言うベルが、珍しく言い淀んでいる。

 ベルは少し潤んでいる瞳を一旦伏せて、それからゆっくりをこちらを見上げた。

「こんな風に病気になった記憶が、あまりないので、心細くて」

「ああ、そうか」

 僕も小さい頃、風邪をひいたときは、甘やかされるまま両親に添い寝してもらったり、我儘を言ったりした。

 意識が朦朧として、体が思うように動かず、辛くて、寂しかったんだ。

 自分も経験があったのに、察しが悪くて、自分でも嫌になる。

 僕はベッドの横で膝をついて、ベルの手を握り直した。

「ベルが治るまで家にいるよ。なるべくこの部屋にいる。あ、ベルが嫌なら出てくから」

「嫌じゃありません」

「わかった。とりあえず、朝食持ってくる」

「ありがとうございます」

 ベルの手はするりと僕の手から抜けた。

 まだ少し赤い顔をしているが、口元は緩んでいる。

 安心してくれたのかな。




 ベルは更にもう一日ベッドで過ごした。

「おはようございます。長々とご迷惑をおかけしました」

 いつもの時間に、いつもの格好で起きてきたベルは、食堂へ入るなり僕たちに頭を下げた。

「迷惑なんかじゃないよ。治ってよかった」

 チャバさんの台詞が全員の総意だった。

 僕はベルのすぐ前に移動し、ベルの顔を正面からじっと見つめた。

「ほあっ!? ど、どうなさいました!?」

 ベルは動揺している様子だが、僕は真剣だ。

「まだ少し……いや、いつもこうだったっけな……ベル、元から色白だもんなぁ」

「はひゃい!?」

 ベルの唇の色でようやくベルの体調の悪さに気づいた僕は、健康になったと言い張るベルをもっとよく観察するべきだ。

「前も言ったけど、僕、察しが悪いから。調子悪くなったらすぐ言って欲しい。わかった?」

「わかっ! わかりましたのでっ!」

「うん。さ、ご飯食べよ」

「デガ、あんたさぁ……」

「若いねぇ、若いなぁ」

 振り返ると、チャバさんとカイトが、にやけた顔で何事か呟いていた。なんだろう。


 この日は「もう本当に平気ですから」というベルの主張を退けて、もう一日仕事を休んだ。

 カイトとチャバさんは仕事へ行ったから、今日は家にベルとふたりきりだ。

 昼食は僕が作った。

 料理の経験は殆どなかったが、カイトに少し教わって、簡単なものなら作れるようになった。

 メニューは鶏肉の照り焼きに、サラダとコンソメスープ。スープはカイトの作り置きだから、照り焼きが駄目でもスープとパンだけは食べられる。

「とても美味しいです」

 ベルが鶏肉を小さく一口食べて、笑顔で感想を述べてくれた。

「よかった」

 味見済みだが、僕もひとくち食べて、ベルが気を遣っていないことを確認する。

 昼食を黙々と食べ終えると、片付けはベルがやってくれた。


 そして、恒例の暇タイムに突入する。


「ベルは暇つぶしって、何してた?」

「教会にいた頃は何かしら雑事がありましたので、暇はなかったですね。教会を出てからは、救世主様を探してあちこち歩き回っていました」

「僕もせめて歩き回りたいんだけどなぁ」

 僕が休日に出かけようとすると、毎回何かしらのイベントが発生することは、ベルも承知している。

「チャバさんがいる酒場へ行くのはどうでしょうか。チャバさんが歌わない昼間は空いているお店だと聞きますし、飲み物だけ注文して過ごしてみては」

 なるほど、酒場なら何度も足を運んでいる場所だから、大丈夫だろう。

「そうしよう」




 ベルとふたりで酒場に足を踏み入れると、丁度チャバさんが他の客の注文聞きをしているところだった。

 チャバさんはこちらに気づいて目を見張り、口元に笑みを浮かべて目で「そのあたりに座って」と合図してきた。

 言われたとおりにすると、接客を終えたチャバさんが僕たちがついたテーブルにやってきた。

「どしたの、珍しいね」

「暇でさ。ベルがここなら大丈夫だろうって提案してくれて」

「なるほどね。ベルも病み上がりだから、オレンジジュースにしときな。奢るから」

「いえ、そんな」

「いーからいーから」

 チャバさんは僕には何も聞かずカウンターの奥へ引っ込み、手にオレンジジュースの入ったジョッキを二つ持って戻ってきた。

「夕方になったら特別に一曲歌ったげるよ。それまでのんびりしてなぁ」

「ありがとう、チャバさん」


 夕方になり、お客さんが少し増えた頃、チャバさんは本当に酒場の隅の舞台に立ち、日本で流行っていたバラードを一曲、バンジョウ弾き語りで歌ってくれた。

「素敵な歌ですね。なんという曲名か、ご存知ですか?」

「ええっと、確か……」

 柑橘類の名前がついた歌だったな、と記憶を掘り起こすのに、少しだけ時間が掛かった。

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