ソのジュウナナ「よそ者の特権」
駆け寄って来る劉生に姫野も気が付いたようだ。
足を止めると、包帯の奥に隠れた鋭い目で劉生のことをギロリと睨んだ。
──それは、当然といえば当然のことかもしれない。クラスメイトとはいえ、先程顔を合わせたばかりの初対面の人間だ。それがいきなり笑顔で手を振って駆け寄って来たのだから、警戒するのは無理もないのかもしれない。
しかし、劉生はそれどころではなかった。校舎内で遭難しかけるという笑い話にもならないことを現在進行形で体験しているので、躊躇している場合でもなかったのである。
姫野の視線に動じることなく、劉生は姫野の前まで来ると安心したようにホッと胸を撫で下ろした。
「いやー困っていたんだよ! 姫野さんに会えて良かったよ。このまま、永遠に校舎の中を彷徨い歩かなきゃならないかと思ったからさぁー」
劉生の気さくな態度に、身構えていた姫野は虚をつかれたようだ。目を丸くしている。
「え、そんな、大袈裟な……」
「大袈裟じゃないよ。実際、教室を出てからずっと歩き続けていたんだから」
劉生が説明すると姫野は顎に指を当てて虚空を見上げて、何やら考えるような素振りを見せた。
──どうやら、教室から出て行く姿を思い出してくれているようだ。
「そりゃあ、ずいぶんと歩いたわね」
既に休み時間も終わり掛けている。折角の休息時間を全て歩くのに費やしたことになる。
「そうなんだよー。だから、助かったよ! ありがとう!」
本当に劉生は心の底から感謝していた。目が潤み、涙が出そうになってしまったが、さすがにそれは堪えたものだ。
そんな情けない劉生に、姫野は苦笑いを浮かべた。
そして、姫野は気さくな劉生に対してとある疑問を抱いたらしい。
「私のこと、何とも思わないの?」
「えっ、いや別に」
自然と劉生は返事をした。
「……ん? 私のこと?」
そして、その質問にどういった意図が込められているのか勘繰ったものである。
──それは何か?
私のことが、好きか嫌いかどうなのか──という質問であろうか。
さすがに、初顔合わせ──しかも、包帯で素顔を隠した相手に恋愛感情や不快感を抱くことはなかった。
結局、劉生は質問の意図を読み解くことが出来ず、劉生は首を傾げるばかりであった。
何を勘違いしたのか、姫野はそんな劉生の沈黙を好意的に捉えてくれたようだ。
「みんな私のことを気味悪がるのよね。人を不愉快にして、私って最低だからさぁ……」
などと、凡そ他人には見せないような自虐的な態度を劉生の前で表してきた。
そう呟く姫野の瞳は何処か悲しげであった──。
「う~ん……?」
やはり、劉生は、未だに姫野の言葉の意味が理解出来ていないようだ。
「何だって、君が人を不快にさせているのさ」
「だって、私、こんな格好をしているし……」
そう言って、姫野は自身を指差した。
劉生は益々、訳が分からずに首を捻ったものだ。
「えっ、でも、それって誰かにさせられているわけじゃないんでしょ?」
「えぇ、そうだけど……。ビックリするでしょ?」
「……まぁ、確かに最初は驚いたけどさ。その格好。でも、ファッションなんて人の好き好きだし……もしかしたら、何か怪我の治療でもしてるかもしれないじゃない? 他人がとやかく言う程のことでもないでしょ?」
あっけらかんと劉生は言って退けたものである。
姫野は驚いた様子で、ポカンと口を開けていた。
「まぁ、そもそも、話したらいい子だって分かったから見た目なんてどうだっていいじゃん」
劉生は心底そう思ったので、嘘偽りなく自身の気持ちを言葉に表したものだ。
劉生からの返答が、姫野にしてみれば予想外のものであったらしい。本人の意図せぬことであったろうが、包帯の中で姫野の頬がほんのりと朱に染まったような気がして慌てて手で隠したものだ。
勿論、包帯で隠れているので、実際のところ顔色がどうであったかは傍から見た劉生にも分からなかった。
それでも姫野は恥ずかしそうに視線を逸し、顔を伏せた。
劉生は更に首を傾げて言葉を続けた。
「君が最低だとも……いや、思わないなぁ。そこまで自分を卑下にすることはないと思うよ。周りでとやかく言っている奴らの方がおかしいんだからさ」
「そうかなぁ……」
他人行儀で劉生は好きなことを言ったものだが、それでも姫野の心には何か引っ掛かることがあるようだ。
自分に味方してくれる劉生の言葉を嬉しく思ったが、かと言って賛同することはしなかった。
「何もなかったら傷付けられたり嫌われたりなんて、しないと思うけれど……。本当は、私が気付いていないだけで、周りに酷いことをしているかもしれないじゃない……」
「そんな無自覚に、人を傷付け続けることなんてしないと思うけどなぁ……」
精一杯にフォローを入れるが、空気はどんどん重くなるばかりであった。
「あ、いやっ……」
そこまで言って、劉生は思わず自身の言葉を飲み込んだ。姫野の瞳にキラリと光る涙が浮かんでいるのが見えたのである。
不躾に踏み込み過ぎたと罰が悪くなり、劉生は反省したものである。
──どうして遭難して道を聞こうとしただけなのに、女の子を泣かせてこんなにも淀んだ空気が出来てしまうのだろうか──。
劉生は困ってしまい、頭を掻き毟ったものだ。
「よく分かんないけどさぁ……」
姫野の潤んだ瞳が、劉生へと向けられる。
「例え君が何かしたからって、だからって君を傷付けていいわけはないだろう? だとしても、君は十分に罰を受けているし、悔いているように思うよ。ごめん、よく分かってないけど……」
「……ありがとう」
姫野はボソリと一言呟き、指で涙を拭った。
──本当に何なんだろうか、この状況は──。
周りに人が居なかっただけ良かったが、まるで交通事故である。誰かに見られていたら、あらぬ誤解を生んでいたことであろう。
劉生の言葉で、どうやら姫野を元気付けることができたようだ。
姫野はニコリと白い歯を見せて笑った。
包帯のせいで顔の大半は隠れてしまっていたが、それは作り笑顔などではなく自然と溢れたものであった。
そんな姫野の笑顔を見て、劉生も思わず心がホッコリとしたものである。
そして、姫野に少なからず同情したものである。
そりゃあ──机の落書きやクラスメイトたちからの反応を見るに、ろくな当たりは受けていないだろう。
あんな不条理なストレスを与えられて、真っ当に暮らせるわけがない。姫野が相当に思い悩んでいることは見て取れた。
劉生が他所から『余所者』であったことが幸いしたのかもしれない。地域に根付いた『姫野家の因縁』とは何ら関わりもなく、事情も知らなかった。
だから、好き放題言えているということもあった。
余所者ついでに──乗り掛かった船だ!
劉生は何やら思い立ったように自身の胸を力強く叩いたのであった。
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