第11話 side マテュー パストゥール家の末っ子
「演習場で変わったことをしていると聞いたが?」
食事の時に父に話しかけられて、俺は驚いていた。
父のことは尊敬しているし憧れているが、総騎士団長の責任を抱える凄さを思うと、年を追うごとに気軽に話しかけられなくなっていた。忙しいし、寡黙でもある父とはいつしか話す時間が減ってきている。
「午後に自主練をするために、昼食を皆で作っております。炊き出しの練習にもなりますし」
「それは誰が考えたんだ?」
「お前じゃないだろう?」
父に被せるように、そう聞いてきたのは一番上のスクル兄上だった。
スクル兄上は父よりも体が大きく力もある。機敏性もあり闘いにおいて勘もいい、19歳にして王都騎士団の第二班班長を勤めている。
「主張したのは、みんなの腹です」
2番目のホルン兄上が吹き出す。ホルン兄上は母方に似た優しい容姿をしており、女性に優しく、きれいどころをいつも侍らせているので軟派なイメージはあるが、王都騎士団の第三班、副班長を任されている実力者だ。スクル兄上のように体格がよくなくても技術を磨き、俺にしても手合いで一度も勝てたことはない。
「王都の物価は高いようで、二軍の者は昼を抜いていることが多いのです」
そういうと父は少し表情を変えた。多分家族だからわかる微妙なもので、他の者が見たらその違いはわからないに違いない。
「私だけ食べることはできないと侍従たちに言ったところ、それならみんなで食事代を出し、それで材料を買い炊き出しをしようということになりました」
「なんと、みんなで出し合っているのか」
「はい」
「ひとり300バーツと決めました」
「300バーツ? それじゃあ何も買えないだろう」
スクル兄上が腕を組んで訝る。
「道具などは寮に揃っていましたし、調味料に意外とかかりましたが、それも一度買えばそれでしばらくは賄えます。だいたい20人以上は自主練に参加するので6000バーツ以上になり、それだけあれば見ている子供たちを含めてお腹が満たされました。材料をうまく選べればの話ですが」
「6000バーツで20人分をか?」
普段、感情をあまり見せない父が表情を変えている。驚いているようだ。
「満たされるということは、まずくはないのだな」
「おいしいですよ、とても」
「遠征のときの食事をおいしいと思ったことは一度もないぞ」
ホルン兄上は不思議そうな顔つきだ。
「優秀な料理人に作らせたのか?」
「優秀なメイドに教わりながら作りました。今日は騎士見習いたちだけで作りましたよ」
「まぁマテュー、あなたもお料理をしたの?」
母上が驚いたように声を上げる。
「もちろん、やっています」
ふぅーんと皆が声を揃えたとき、俺はなんだか嫌な予感がした。
「そのメイドは誰ですの? あなたにメイドをつけた覚えはありませんが?」
父が咳払いをする。
「殿下からの例のあれのメイドだ」
父上が伝えると母上の顔がくもる。
「マテューは参加しなくてもいいのではないのかしら?」
「マテュー、私もそう思う。一度求婚したらそれは令嬢たちの記憶に残ってしまうのだぞ」
「はぁ」
どうも気の抜けた返事になってしまう。
「気になる令嬢はいらっしゃいませんの?」
「件の男爵令嬢が気になっております」
「ま、まさかあなたまで魔性の女に魅入れられて?」
額に手をやった母を後ろの侍女が支える。息がぴったりだ。その勘の良さ、瞬発力をどのようにして培ったのか聞いてみたい。
そうだ、父や兄に体づくりや、瞬発力が養える訓練があるか聞いてみよう。
いや、聞いてばかりは駄目だな。少しは自分で調べてからにしないと。まずは本で調べてみよう。
「あれはやめておいた方がいい。あれは愛を欲し過ぎている」
兄の言葉で、会話に引き戻される。
ホルン兄上……。
名門と言われる貴族の令息たちがこぞって愛をささやいた女性。
ついこの間まで婚約者と仲睦まじくしていた王太子まで骨抜きにした女性。
王太子をはじめ、何人もの者たちが婚約破棄をして、勘当されたりなんだりしている。恋に落ちた男は決して男爵令嬢を悪くいうことはなかった。不思議なのが、それなのに男爵令嬢は誰かと婚約をしているわけではない。男たちは牽制しあっているみたいだが、男爵令嬢はただ微笑むだけだ。
「兄上は男爵令嬢に惹かれなかったんですよね?」
「私は愛を欲しがる娘には愛をあげないからね」
我が兄ながら、何を言っているかよくわからない。
男爵令嬢は愛を得るだけでなく、それぞれの家の家宝を手に入れている。それが問題だった。
家宝はただ家で守っているだけの宝ならいいのだが、他国に渡ったら脅威になる物ばかりだった。まるでそんな家宝のある家の令息たちを狙ったのではないかと思えるぐらいに。愛によりおかしくなった男たちは隔離されたり、閉じ込められたりしている。家宝をどうしたと尋ねても愛の証だとか何とか言って、熱に浮かされたようになっていてはっきりしない。薬や魔術での何かを疑われ調べられたが、その反応もでなかった。
男爵令嬢はそれらを一切知らないと言い切り、でも疑いが晴れるのならと家を調べることを許可し、それらはどこからも出てこなかった。だから余計にこちらの分が悪くなった。ただ男たちがかの男爵令嬢に勝手に惚れ込み、愛の証だと勝手に家宝を捧げ、それらがどうなったかつかめないのだ。令嬢の取り巻きが令息の家族により排除されても、いつの間にか令嬢の周りには献身的に彼女を守るナイトが存在している。
何かがおかしいと発覚したのは、婚約者とあんなに仲睦まじかった王太子が夜会の最中に婚約破棄をしたことだった。婚約者が王太子と仲のいい男爵令嬢に何かしたと、ろくに調べもせず公爵令嬢を責め立てたらしい。貴族の結婚といえば、家同士の決まり事だ。特に王太子は王の許しなく婚姻を結ぶことも解くこともできないはずだ。王太子はアントーン殿下が尊敬するのにふさわしい切れ者で、性格も申し分のない方だった。そんな方が公衆の面前で婚約者を辱め、王を煩わせることをするはずがない。王太子を知る者は皆そんな感想を抱いた。
何故そんなことになったのかと調べていくうちにゲルスターの秘宝である『精霊王の指輪』がなくなっていることが発覚した。王太子を問い詰めると、件の男爵令嬢に指輪を見せたことは白状されたらしい。だが見せただけで、元の場所に戻したと言っていて、行方はわからない。
王太子の学友たちは軒並み男爵令嬢に熱をあげていたそうだ。タデウスの兄のイザーク、テオの弟のガーランド、ラモン弟のケヴィンもご多聞に漏れず令嬢に貢いでいた。
そんな中、王太子の学友であり共にあったホルン兄上だけは令嬢に入れあげなかった。だからウチから持ち出された物はない。
家まで調べたが何もでなかった16歳の男爵令嬢。これ以上に調べることはできないと大人たちが下した決断が、アントーン殿下に貢がれた物をどんな手段を使ってでも取り返してこいと命令することだった。
アントーン殿下には叶えたい願いがあり、取り返してこなければその願いは叶わなくなるとのことだ。
アントーン殿下は俺たちに一緒に取り戻すのを手伝ってくれと言われた。
タデウスとテオは自分たちも取り返すものがある。ラモンもそうだが、あいつは何というか周りに興味がないというか、家がどうなろうが知ったことではないスタンスだ。何かがあって腹を立てているとかそういうわけでもなく、ただ本当に興味がないんだと思うんだが、どうでもいいと思っている。みんながやるなら、自分も乗ってもいいかなぐらいだ。俺は取り返すものがあるわけではないが、みんなの力になりたいと思った。いや、この奇妙な出来事に心を動かされたのは確かだった。
そんな動きをどこで知ったのか、男爵令嬢はアントーン殿下に賭けを持ちかけてきた。そんなことをして誰が得するのだというような賭けを。賭けの勝者には、欲しいもののありかを教えるとのことだ。確かな言葉は使わなかった。もし使ったら、そこで捕まったりするからだろう。どうとでも取れる言葉を選んでいた。だから取り返せるかの確証はない。けれど殿下は賭けにのることにした。タデウス、テオも同じ条件だ。ラモンも最終的には賭けにのった。
俺は取り返すものがあるわけではない。だから賭けにのる必要はない。その時はまだ迷っていた。手伝いはするが賭けにのるべきかどうかを。賭けについての返事をするために話を詰めるのに2日前に俺が集まりを主催した。カモフラージュに知り合いに片っ端から声をかけた。そして話を詰める時になり、その時いたメイドにより話が動いた。殿下に臆することもなく、自分の意見を伝える姿は凛々しかった。俺たちは賭けによって取り返すことが第一の目的となっていたが、その賭けのために巻き込まれる令嬢のために怒りを持っていて、またそこにも惹きつけられた。俺たちもまたひとつのことを達成するのに夢中で、誰かを傷つける可能性が考えからとんでいた。それを思い出させてくれた。彼女を巻き込むことになった時に、俺も自ら賭けにのることに決めた。
「そのメイドの名前は何というのですか?」
母上に問われて答える。
「ああ、リリアンです」
「「「「リリアン?」」」」
みんなが声を揃える。特に珍しい名前でもないと思うが、驚いたような声音だ。
「マテューがそんな呼び方っ」
スクル兄上が何か言ったと思ったが、兄は口いっぱいにパンを詰め込んでいた。あれではとても話せない。勘違いだったのだろう。
「そのメイドのお嬢さんが炊き出しを考え、材料を見繕って、みんなに料理を教えたのか?」
「はい、オーディーンメイド紹介所のメイドです。リリアン・オッソー、18歳です」
「オッソー?」
父上が俺に視線を合わせる。
「はい、風水の断罪で追放され、冤罪とわかったオッソー家の者です」
「……あそこは子爵だったか」
父上は顎をしきりに触っている。思うことがある時の癖だ。
「返上したそうです。身内はもう亡くなられて彼女1人ということでした」
「そうか……」
100年も前になる風水の断罪。時が経っても貴族の間で語り継がれてきたのは、冤罪をかけられたオッソー家が何の弁明もせず他国へ渡ったことの罪悪感からだろう。冤罪ということは当時から誰もがわかることだったらしい。それなのに恨み言を言うわけでも、真の断罪されるべきものを告発するわけでもなく、全てを引き受け沈黙することで混乱を防いだ子爵。
あまりにも大きな根底を覆すことになることで、誰もが子爵の潔白を知りながらどうすることもできなかった。ずっと心残りになったのだろう。30年の時を経てから冤罪を打ち出された、稀な史実となった。
「そう、オッソー家のお嬢さんなのね」
母上が嬉しそうに胸の前で手を合わせた。
「母上、俺の専属メイドですから、貸し出しませんよ」
先手を打っておく。あの声音は気にかかっているようだから要注意だ。
「まぁ、もうそんなに気に入っているの?」
「母上!」
ホルン兄上が強く母上を呼んだ。母上はハッとして、俺に向き直る。
「次に屋敷に来たときには挨拶をさせてちょうだい。それぐらいはいいでしょう?」
この屋敷の女主人は母上だ。屋敷を取り仕切るのは女主人の役目。これは断るわけにいかない。
「わかりました。2日後にやってきますから、ご挨拶に伺います。その後すぐに演習場に向かいます。みんながリリアンが来るのを待ち望んでいますから、本当にご挨拶のみになります。よろしいですね?」
念を押すと母上は頷いた。
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