ー18ー


 ひぇぇ!


 思わず心の中で女の子のような声を上げてしまう。それはそうだ。気色悪いムカデのせいで新しい尻尾が三割ぐらい「こんにちは」してるんだぜ?

 当たり前だろ。


 しかし社会人の俺にとっては何度も戦った相手。百戦錬磨の俺には秘技がある。



 すぅ……



 わざと腹の力を緩め、尻から尻尾がにょきにょき出そうになった瞬間、腹をこう回転させるように引っ込ませる。

 たちまち「こんにちは」しそうだった尻尾は再び腹へ戻っていく。


 俺が腹痛との格闘をしていると、ドンッ!! と大きな音。そっちを見れば、足がめちゃくちゃに折れ曲がったモカちゃん。目を細めて、モカちゃんを見れば腹は上下に動いていた。

 気絶していると思うが、どこ不自然な動作がちょいちょい見える。


 なんだ?


 腹痛と卑劣巨人との戦いに悠長に考える時間はない。すぐに巨人に顔を戻す。卑劣巨人の身体中に赤黒く爛れた跡。

 多分でもないが、気持ち悪いムカデの仕業だろう。



 ザマァみろ。腹痛魔法なんてふざけた技を使った報いだ!



 首を小さく一回転してポキポキ。そろそろ俺の本気見せちゃおうかな、と思っていたら巨人が両目から黒い涙を流しながら俺を睨んできた。



 ぎゅるぎゅるぎゅる!!



 調子に乗った俺が悪かった。だから、腹痛魔法を本当にやめてほしい。

 やめてください。本当にお願いします。


 尻だけを後方に突き出し変な体勢で我慢する俺。そこへ巨人がムカデを投げてきた。当然避けることなんてできない。


 顔だけでも守ろうと両腕を眼前でクロス。ムカデが腕に触れた瞬間、まるで数千本の針で刺される痛み。

 びちゃびちゃっっとムカデの体表から飛び散る粘液。腕をクロスさせているが、大量の粘液は容易く腕の隙間から飛んでくる。



 やっほ〜!



 顔中から走る猛烈な痛み。激痛により両目が開かない。猛烈な激臭のせいで頭が痛くなる。それらのせいで尻に注いでいた全てのリソースが消えた。



 ぶわァッ。



 身体中の穴から大量の汗。溢れ出る汗はネバネバしていて気持ち悪い。さらに吹き出る異臭。下水道の水を頭から被ったような臭いに鼻が曲がりそうだった。

 というか、触ってみたら半分ぐらい溶けてた。



 い、急いで尻に防御壁を貼り直す。おそらく新しい尻尾の進出率は五割程度。



 ……やばい。何がやばいって、誰かが俺の後ろに回り込めば、新しい尻尾を見られることだ。もし見られたら、その日から寝るたび枕に押し付けることになる。


 そんな恥辱を甘んじて受けることなんてできない。多分今の俺の顔面の方がよっぽとヤバイが新しい尻尾を見られることの方が嫌だった。


 とてつもない激痛と手のひらの皮と肉が溶けていくのを我慢しながら、腕にへばり付いたムカデを遠くへ投げばす。



 ふぅ、ふぅ。



 し、尻がやばい。そ、それに汗もすごい。


 そろそろ頭の中も支離滅裂になってきた気がする。最初に汗だ。汗の何がすごいって、頭から流れ出た汗が俺の顔面に垂れてきたら、一気に顔から痛みが引いていった。鼻を触れば俺の可愛いお鼻さんも再生していた。


 意味がわからない。


 次に新しい尻尾だが……進出率が九割ぐらいになっている。もうほとんど新しい尻尾が生えている。

 動けない。



 へろー!!!



 尻尾がいつも以上に怒ってる。多分、いきなり引っ越してきたお隣さんからの挨拶がなくて怒っているんだろう。きっと挨拶の品がないことにも怒っている。



 解放しなさい〜!

 解放するんだ!



 突然、脳内天使と悪魔が囁いてきた。


 ……天使は頑張れと言うところじゃないか? お前、天使の皮を被った悪魔だろ。なんで脳内に悪魔と悪魔がいるんだよ。

 天使はどこだ、天使は!!


 もう自分が何を考えているのかわからなくなってきた。頭の中に偽天使と悪魔がいるってやばいやつだろ。



 口から溢れてる大量の黒い涎。そんな俺を巨人がニタニタと嗤いながら見てきた。






 ーモニカ・R・ジェーン:主任ー


【検体番号:α-319】

 大いなる守護者。

 希望の体現者。

 人類の守り手。

 二番目の新人類の子。


 数百年前から老いることなく魔人と魔染生命体、そして魔族たちと戦い続け跳ね除けてきた最強の守り人。

 彼はある日を境に突如狂った。支離滅裂で狂気と妄言を放つ憎悪の化身と成り果てた。


 幸いと言えるかわからないが、そこは魔国との国境付近。当初は魔国の領土で暴れ回っていたが、魔人たちはα-319を誘導し新人類の住まう場所へ連れてきた。

 なんとか少しずつ立ち上がった新人類たちだったが、α-319の脅威は恐ろしく、数日足らずで新人類の科学力と魔導技術力は衰退させられた。

 しかし新人類たちは指をくわえて見るだけではなかった。水面化で最初に出来た魔国ブレリラーヤンと手を結び、数万の新人類の子孫と数百の魔人たちの命を使いα-319を倒す。


 哀れなα-319。人類のために戦い続けた誉れ高い戦士。魔因子以前に存在した英雄たちのように最後は人類の手によって幕を下ろされた。



 表向きはそう言われている。



 実際にはα-319は魔国ブレリラーヤンに捕らえられ、魔国ブレリラーヤンの研究施設に運ばれたそうだ。そこから数十年余り。事情を深く知らないが私がここの研究所へ赴任し、十年目の節の時にそれは運ばれてきた。

 当時のデータではα-319は三メートル近い大きさ。赤い体表に大きな一本のツノ。筋骨隆々で強面ではあるがどこか人の良さそうな人相。今では鬼人オーガ族と呼ばれる新人類たちの始祖とも呼ばれていたが、私が初対面を果たした時にはすでに見る影もなかった。

 身体中の皮という皮は全て剥がされ、一つを除いて全ての臓器が抜き取られていた。あるのは心臓のみ。顔と呼べる位置には大きな空洞。もはや顔とは呼べず、頭部とも言えない。ただの大きな器のような形をしていた。

 生きているのが不思議だったが、心臓を見れば小さく鼓動。ほとんどガラクタ当然で興味すら抱けなかったが、なぜか心が吸い寄せられてしまった。その時は気づかなかったが、α-319から****を感じ取っていたんだろう。

 私はその日からα-319への実験を繰り返す。


 元あった骨を全て取り除き魔導骨格への置換。薬品による脳の肥大化実験。魔水及び魔因子を直接心臓に投与。新人類の臓器、魔人の眼球、魔族の脳の移植。魔狼、キメラの頭部の接合。魔染生命体への変態……etc。


 様々な実験をした結果だろう、α-319はみるみるうちに元気になっていった。頭を壁に何度も叩きつけたり、新しい目をほじくったり、自分の頭を開いて脳みそをしゃぶる姿。

 実に微笑ましいα-319の姿。実験データを書いていく筆は止まらなかった。

 そのα-319の行動は一般的に狂っているというが、そもそもの話α-319は狂気に堕ちたゆえに暴れ回ったはず。なのに上層部は小うるさくα-319を正気に戻せと言う。どうすればいいのか心底困った。

 新人類の指をα-319の目から生やしてみたり、幼体の魔人の目をα-319の肩に植え付けてみたりしたが、全く改善が見られない。むしろ発狂具合が上がったように見えた。

 だからあえて、発想の転換。α-319の狂った姿が正気だと考えれば一気に視界が晴れたかのように思えた。密かに持ち込んでいたある個体の****をα-319へ移す。結果は大成功。α-319の身体はメキメキ大きくなり、今まで移植や接合していた部分が安定していく。


 さらに研究に熱が入った。


 まぁ、いくら面白い実験相手だとしても飽きは来るもの。新しい検体へ興味が移りつつあったこともあり、最下層へ移してから存在すら忘れていた。




 あそこには何もないはずだった。どこまでも続く虚無。いわばゴミ捨て場のような場所。


 ……そうか投棄し続けていたゴミたちを食らって長らえていたのか。


 かつては自殺行為を何度も繰り返していたのに、あそこへ捨てられてから生きたいと考えるようになっていたんだな。心嬉しいと思う反面、そのまま死んどけばこれから起こる人狼という名の災害に遭うこともなかったのに。


 いつのまにか人狼にじっと見られていた。私のいつもの悪い癖だ。身体もまだ完全には適応していない。

 そんな私が横にいたら邪魔になるだろう。


「あいつを倒すのじゃ! そうすれば、もっと強くなれるはずなのじゃ!」


 人狼を鼓舞をしてから私は後方へ下がった。

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