どこをめざすかシンキングタイム
村は一見静寂を保ち、村人は平素と変わることなく生業に励んでいるように見えるわ。
でも、村人が密かな緊張を感じているのは明らかだった。素人の注意というのはけっこうわかりやすい。どんなに当の本人が隠しているつもりでもね。
兵隊の格好をした見慣れない人影が村に入り込んだとたん、村人たちの意識がこちらに向かう。私は密かにリボンを腕から伸ばした。狙うのは、農家の軒先にあった鶏小屋。小屋の中では無数の鶏が小さくさえずっているそこにめがけてリボンを放つ。
リボンの先端が鶏小屋の錠を切断し、中の鶏を刺激する。朝を告げるような大きな鳴き声が村中に響き、村人の意識と視線は見慣れぬ兵隊から鶏小屋へと向けられた。
次の瞬間、私は窮屈でたまらないこの兵隊の服と鎧を脱ぎ捨て、そばに建っている板塀を蹴って飛び、家屋の屋根に上った。
村人は道の真ん中に散らばった鎧と服を見て怪訝に思うでしょうけど、まさか屋根の上に人が隠れているとは思いもしないでしょう。
そのまま私は村の屋根を伝って進みながら、ルオキーノ師の行方やアンリ殿下の安否について思い巡らせていたわ。
アンリ殿下はお体が弱い。一刻も見つける必要があるけど、手がかりがない。
・・・・・・ルオキーノ師の捜索に集中しましょう。鉄心の私は手の及ばない事を気に掛けるより、手の届く問題を解決するべきだと考える。きっとこれは、許嫁としてはよくないことなのでしょう。しかし今の私は鉄心のニンジャなのよ。
では、ルオキーノ師の行方を考えましょう。まず、ジャーダイ伯爵邸からは姿を消した。これは間違いない。野山に入り込んで追っ手をくらますために隠れた? それも怪しいわ。魔導師で家庭教師の人に、野山に隠れる能力があるとは思えないもの。
もしかしたら、ルオキーノ師は予め身を隠すための場所をどこかに用意していたのかもしれないわ。私を襲って誘拐するようにマリンカ女史を唆し、その裏で自身は別口でアンリ殿下の誘拐を企てる。犯人追及の手が回ってきた時には、マリンカ女史を隠れ蓑に自分は姿を隠す。事実、ユーガ隊長はマリンカ女史を逮捕し、事件の全ては彼女の企てということになるでしょう。ルオキーノ師は捜索されるけど、それほど厳しいものにはならないわ。
なんと恐ろしい企てかしら。だとすれば、ますます師の所在を見つけなければいけないわ。アンリ殿下の行方にも繋がるはずですもの。
私は村の家々の屋根を飛び移りながら、このあたりでもっとも見晴らしの良い場所を目指す。それはこの村でもっとも背の高い、鐘楼を備えた教会堂だった。
ノーランドーの人々は様々な霊や神に日々の苦しみや楽しみのために、祈りを捧げるわ。中でも戦神クルミには疫病避けを、太陽神テラスには豊饒を祈願して祈る。教会堂はそんな人々の祈りを受け取る場所として、大事に扱われているわ。
鐘楼のてっぺんには鋳造された青銅の鐘が吊られ、定時を知らせるために、あるいは、何らかの行事があるごとに鳴らされる。きっとこの村でも、結婚式やお葬式の時に鳴らされているはずよ。
鐘楼の陰に隠れながら私は壁にとりつき、上へと上っていく。高度が上がると途端に風が吹き、体温を奪いにくる。それでも私は鐘楼を登り切り、風見鶏が建つ笠型の屋根の上に立った。
そこからは、辺り一帯の平野がよく見えたわ。近くに流れる小川、その先になだらかに広がる森と、その先に霞んで見えるのは、人攫いの盗賊たちが潜んでいた砦の廃墟。
まさかあの盗賊の大将が邪神騎士だったなんてね。
逆を向くと、緩やかな起伏の上に一本の道があり、その左右には牧柵や石累によって区切られた放牧地があって、そこには馬や牛、羊が放たれて草をはんでいる。
放牧地が挟んでいる私道の先ではよく整備された街道に繋がっていて、そこを進めばノザン山の麓を横切って、ジャーダイ伯爵邸へと繋がるでしょう。
放牧地と、林に覆われた山並み。小川を挟んで広がる森の奥の廃墟。これらが村と領主館を囲む全てだ。これらの中に、ルオキーノ師は潜んでいる。
潜むなら、それなりの環境を用意しなくてはいけないわ。隠れ家っていうのは意外と住み心地がよくないといけないのよ。だから、洞穴みたいな自然の空洞のようなものとは考えにくい。この辺りにはそういうものはなさそうだし。
人攫いたちが
どこかに、村や領主館から近づけて、かつ、人があまり使っていないような小屋なんかがないかしら。私はつぶさに高見から一帯を見渡す。
・・・・・・そうしていると、私の目が一点に吸い寄せられる。そこは村から少し離れている。ジャーダイ伯爵邸からも近くはない。でも、どこからでも足を運べるくらいの距離にある。そこは小高く傾斜する丘の端であり、丘を覆う林の中である。でも、この高見から見ていると、その一点は切り開かれ、人工的な何かが建てられているのが伺えた。
もしかしたら、これは私の見立て違いかもしれない。ルオキーノ師は別のところに逃げ隠れているかもしれないし、アンリ殿下の誘拐にも関連しない可能性もある。だけど、なにもせずこの地を走り去り、何食わぬ顔でドレスを着て現れるなんてことはできないわ。
私は目星をつけた地点まで近づく事を決め、鐘楼の上から降りようと目を下に向けた。すると、見慣れた人影が鐘楼の直ぐ近くを通り過ぎようとしていたわ。
リュー少年だ。彼はまた親の仕事を手伝っていたのか、空の背負子を担いでいるわ。どこかへの配達の帰りといったところかしら。
私は鐘楼の上から飛び降りた。体を緩やかに折り曲げて跳躍し、宙で巧みに体勢を整えて落ちる。その先には、ちょうど荷車に積まれた藁の山がある。
ぼん、と何かが落ちた音が聞こえたのでしょう。着地と同時にリュー少年の足が止まった。
「うん?」
きょろきょろと辺りを見回す少年の視線を伺いつつ、私はそろりと藁の山から這い出る。鉄心の術がなければ、藁の先で体中ボロボロになっていたところだけど。
少年の背後に回り込み、私はまた彼の影に入って、声を掛けた。
「少年。私よ」
「ひぇっ」
「驚かないで。周りの目を引くわ・・・・・・覚えてる? 私のこと」
「おっ、おねえ、さん・・・・・・生きてたの?」
「あら? 死んだと思ってたの」
「だ、だって、すぐいなくなっちゃったんだもの。僕、幽霊にでも会っていたんじゃないかって、一人で、誰にも言えなくて」
「ごめんなさいね。私にも色々と都合があるのよ。それで、悪いんだけどまた少し手伝ってもらえないかしら?」
「えっ・・・・・・うん。いいよ」
やけにあっさりとリュー少年は了承し、彼は歩き出した。影に潜んでいる私もそれについて行く。
「いいの? お仕事の手伝いの途中なんでしょう」
「配達は終わってるし、ちょっとくらい寄り道しても平気だよ。それに・・・・・・お姉さんとお話しできるし・・・・・・」
小声で答えながら、少年はうきうきしだしたわ。
「昨日はあれからどうしたの? 御舘様のお屋敷に行ったんでしょ? 御舘様は元気だった?」
「そのことなんだけど、村の様子はどう? 今朝から変わりないのかしら」
「とんでもない。みんな様子が変なんだ。おじさんたちは寄り合いを急に始めるし、どこからきたのか知らない兵隊さんが村の外や中をうろうろしてるっていうし。みんなビクビクしてるよ」
ああ、やっぱりそうなのね。
人の耳は思っているよりも聡いわ。恐らく村の人の中にはマリンカ女史に何かあったことに感づいている者がいるでしょう。
「大丈夫よ。まもなく何があったかお知らせがくるはず。見慣れない兵士がたくさんいるかもしれないけど、害はないわ。安心して」
「・・・・・・うん。おねえさんがそういうなら、僕は信じるよ」
安心したのかリュー少年の足取りが軽くなる。彼は続けて尋ねた。
「それで、おねえさんは今度はどこに行きたいの? 案内するよ」
「ありがとう。それでは・・・・・・」
私は鐘楼から見つけた目星をつけた場所を説明した。それを聞いたリュー少年は、怪訝な様子を見せたわ。
「うん? そこって、多分・・・・・・」
「何か知っているの?」
「うん。とにかく行ってみるよ。・・・・・・おねえさん、また、僕の後ろにいるんだよね?」
「ええ、いるわよ」
私はリュー少年の背中から手を回して彼の頬に触れた。
少年の頬は柔らかいわ。
「ふぁっ」
「うふふ。わかってくれた?」
「う、うん」
「良い子ね。では出発しましょ」
私たちは歩きだし、村を出る。少年はあの場所に何があるのか知っているのかしら?
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