青い蝶は死を招く
こぼねサワー
湯浮(ゆうき) タモツの怪談
「えっ、もうボクが話す番ですか? うわぁ、ローテーションしんどいなぁ。
しょうがないなぁ、じゃあ、……これは、怪談といっても、心霊現象とかの話じゃないんですけどね。
でも、ボクにとっては、今までの人生で一番、背筋の凍る体験で。
正直なところ、口に出すのも本当に気が進まないんだけど。もうネタが尽きちゃったんで。
特別に、
――今から5年くらい前のことで。
こう見えてもボク、昔はけっこうな悪ガキだったんです。頭なんかも真っ黄色に染めちゃって。今じゃ想像つかないでしょ? フフ。
同級生と派手なケンカやらかすなんてのは日常茶飯事だったけど、あるとき、止めに入った担任の先生をボコボコに殴っちゃってね。
さすがに、高校退学です。
で、怒った
ボクの家って、東北の山の方にある、わりと大きな温泉旅館なんです。源泉かけ流しの露天風呂がウリの。
そこでボク、雑用係として……客室やお風呂場の掃除をしたり、お客さんの荷物運びをしたり、駐車場で車やバスの誘導したり……朝から晩まで毎日コキ使われるようになったんです。
……で、その年の冬のことなんですけど。
なにしろ山合いの旅館なんで、雪が降ったあとは、あたり一面、真っ白になっちゃうわけ。
なので、雪カキするんです。お客さんの目ザワリになんないように、めちゃめちゃ朝早く。
その朝も、まだ空も薄暗いような時間に、雪カキのスコップをかついで外に出たんです。
とりあえずホテルの入口の前の方から片付けて。んで、ホテルの建物をグルッとまわり、露天風呂の方に向かったのね。
この露天風呂ってのが、ホテルとつながる"渡り廊下"……ってより"橋"って表現した方が分かりやすいかな、下に大きな川が流れてるんで……その橋を越えた向こう側にあって。渓流の絶景を上からのぞきこむカタチで……こういう感じに。ちょっとした崖の上にあるツクリなんです。
それで、橋の上で雪カキはじめたんですけど、ふとナニゲなく下のほう見たら、真っ赤なシミが飛び散ってるのよ、崖の斜面の雪の上に。
そりゃ、もちろん。ギョッとしますよね。
で、橋のタモトから目をこらしたら、その真っ赤なシミの中央に、人影が見えたの。
ボク、大急ぎで。スコップかついだまま、すぐ崖を降りていきました。
雪の上にお尻ついて、
そこにいた、その人。中年のオジサンだったんですけど。下半身が雪に完全に埋もれちゃってる状態だったの。
上半身だけが雪の上に起き上がってる格好で。腰から下が雪の中にズボッと落っこちちゃって、自力で抜け出せないみたい。
ボクが近づくと、蚊の鳴くようなカスレ声で「なんとかしてくれぇ」って言うんです。
きっと、朝ゴハンの前に露天風呂でひと風呂浴びようとして出てきた宿泊客で、橋のたもとで雪に足を取られて、斜面を転げ落ちちゃったんだろう、……とっさにボクは、そう思いました。
オジサンは、顔色は紙みたいに真っ白だけど、意識はハッキリしてるようだから、とりあえずはボクひと安心しましてね。
だけど、雪の上の赤いシミが、なんといっても気がかりで。
見たかぎり、オジサン、ケガをしてる様子はないんだけど。でも、これって。間違いなく血シブキでしょ?
「オッサン、どっかケガしたん?」
って、聞いたんです、ボク。
当時のボクは口も悪かったんで、
「痛いんか? 先に救急車呼んどくか? おーん?」
ってな調子で。スイマセン。
そしたら、オジサン、
「どこも痛くないから。ひとまず私の腕を引っぱってみてくれよ。うまくすれば、そのイキオイを借りて、自力で這い上がれるかも。ダメだったら、そのスコップで、私の下半身を雪の中から掘り出してくれないか?」
って言いながら、両手を一生懸命に伸ばしてくるんです。ボクに向かって。
だから、ボク、とにかくもうオッサンの手をつかんで、こうやって、力任せに、ね。
グイーッと引っ張ったんです。
そしたら、ボクね。おもいっきり尻モチついて。
後ろにひっくり返っちゃったんです。オジサンの両手をつかんだまま。
すると、オジサンの上半身だけが、ボクのカラダの上にウツ伏せに倒れこんできて……。
分かります?
上半身だけ、ですよ?
そうなんです。
オジサンの下半身、雪に覆われて見えなかったわけじゃないんです。
"存在してない"から見えなかったんです。
見えるわけない。下半身、なかったんですから。
ボクもう、声も出なくて。呆然とオジサンの顔を見てました。
見たくなくても、ボクの上にウツ伏せに倒れたオジサンの顔が、ちょうど真正面でしたから。
どうしても避けられなくて。
それがね。オジサンも、すごーくビックリしてんですよ。
ポカーンって、口開けて。
最初はね。
しばらくすると、……しばらくっても、ほんの数秒だったでしょうけど。
体感的には10分くらいに感じました……オジサン、
真横に転がって、ボクの体の上から転げ落ちたんです。
自分自身のカラダを、きょときょと見渡したの。
そこで、ようやく自分の身に起きた異変に気付いたみたいで、
「ギャアアアアアアアーッ!」
って。めいっぱい絶叫したんです。
それっきり、ピクリとも動かなくなった。
そう。その瞬間に、絶命しちゃったんです。
驚きと恐怖に満ちた、すさまじい形相を浮かべて。
あとで警察の現場検証とかがあって、事故の詳細がわかったんだけど。
その橋って、橋ゲタの強度を高めるために下にケーブルが何本か渡してあったんです。
けど、ケーブルそのものの
いろんな悪条件が重なって、ケーブルの1本が切れかかってた。
そこにオジサンが通りかかって、橋の途中で立ち止まって、身を乗り出したみたいなのね。
橋の上の足跡とか、
渓流を眺めてたのか、あるいは、ひょっとして身投げでもしようとしてたのかも、……って。
っていうのが、そのオジサン、ウチの旅館で2~3泊して、けっこう遠慮なく飲み食いもしてたんだけど。どうやら、宿泊費も払わないでコッソリ逃げようとしてたみたいなんです。
だから、誰にも見られないように、朝早いうちに旅館の裏手からコッソリ外に出てたんじゃないかって。
だってね、オジサンが泊まってた客室を調べたら、下着とかの着替えがいくつかあったほかには、財布の中には小銭しか入ってなかったの。
携帯電話もないし、身分証のタグイも何ひとつなかった。
事故現場にも、バッグのひとつすら落ちてませんでした。オジサン、手ブラで外に出てたんです。
となれば、旅館を抜け出て別の場所に旅立つつもりだったとも考えづらいでしょ?
警察が
身元不明のまま火葬にされたそうですよ、気の毒に。
記憶にあるかぎり、みすぼらしいような
あ、そうそう! 他に所持品がひとつだけ、客室の金庫の中に。
たまった宿泊費と迷惑料の代わりに売っぱらっちまえって
あっ、……ええっと、これって言ったらマズかったかなぁ?
縁もゆかりもない
まあ、コンプライアンス的にアレだったら、カットしていただいて。でも、もう時効でしょ、きっと? ハハハ。
その
ビックリするくらい高値で落札されたんですよ。だもんだから
ちゃんと成仏してくれてるといいけど。
ホント、何者だったんだろうなぁ、結局。あのオジサン。
所持金をまるで持ち合わせてなかった状況なんかを考えると、自分から命を絶とうともくろんでた可能性は大きいんだよね。たしかに。
だって。露天風呂に向かうだけなら、旅館の備え付けの
けど、思い返してみると、そのオジサン、防寒コートの下にセーターやらを着こんでるのが見えたから。
最初から、なんとなく違和感はあったんだよなぁ。
まあ、とにかく、事故か自殺か分からないけど、オジサンが雪にすべって橋から落ちたことはたしかです。
そして、その瞬間に、橋ゲタの底を支えるケーブルのハシッコが一本切れたんです。
ピンと張り詰めていたのが急にテンションを失ったわけだから、反動でケーブルが
最悪のタイミングで。ちょうど橋から落下してた途中のオジサンの腰に、一瞬でカラミついたんです。
それで、オジサンの胴体はスパッと真っ二つに切れて。上半身だけが、崖の斜面にハジキ飛ばされたんです。
ちなみに、下半身のほうは渓流に飲み込まれて、すぐ近くの岸に流れ着いていました。
オジサンの上半身は、胴体を下にして着地したので、切断面が雪に圧迫されてイッキに凍結してたんだそうです。雪によって切断面がピタッと密閉されたというか。
だから、血や内臓が傷口から外に
おかげで意識もハッキリあって、フツーに会話もできた……。
これ、ボクが一番恐ろしいのはね。
最初にオジサンを見かけたとき、
「雪の中に下半身が埋まってるから、身動きできないんだな?」
って錯覚してたのが、ボクだけじゃなかったってことです。
当のオジサン本人が、まったく同じ錯覚をしてたってことが、ね。
バカバカしいくらいに恐ろしいし。気の毒でたまらなくて。
自分自身の腰から下が切断されてるってことに気付いてたら、ボクに、
「下半身を掘り起こしてくれ」
なんて、とんでもないムチャぶり、するはずないですもんね。
あと、これは余談ですけど。
死亡診断書の"死因"って、あるでしょ?
大ケガをした場合は、出血多量による"出血性ショック死"とかいうのが一般的らしいんだけど。
オジサンの死因は、"心不全"だったんです。
自分のカラダが真っ二つに切断されてることに気付いた
それで、死因は"心不全"なんです。
たとえ手術をしたとしても、どのみちオジサンの命を救う手立てはなかったらしいんですけど。
でも、オジサンの
と、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます