13 鬼が病欠する予定の朝

翌朝、私はいつもより少し早く家を出た。


眠りが浅かったにも関わらず、通常なら大好きな二度寝が出来ないほど、目がきっちり覚めてしまったのだ。


会社までの道中、昨夜の課長のことを考える。


少しは良くなっているだろうか。


冷蔵庫を覗いたときに、最低限ではあったがスポーツドリンクや簡易栄養食のゼリーやヨーグルトが入っていた。だから朝ご飯には困っていないはず。


まあ、昨日の今日だし朝起きることもできずにずっと眠っている可能性もある。


多少心配は残るが、一人暮らしをしている社会人なら緊急時のライフラインくらい確保しているはずだ。親や親戚、友人あたりに連絡を取って看病や買い出しをしてもらっているだろう。恋人は……いないな。いや、居たらぶっとばす、マジで。


とにかく、今日の課長は絶対に休みだ。きっと一課の面々は「鬼の霍乱だ」と言って騒ぐだろう。


不躾だけれどその瞬間を想像して私は一人笑ってしまった。


早めに到着したオフィス。最近の心労の種だった課長が来ないと思うと、いつもより和やかな空気が流れているように感じられたのがまた可笑しい。


次々と出勤してくる社員にいつものように挨拶して過ごしていると、いつの間にか始業まであと5分。


私はちらりと一課内で課長の隣にデスクを構えている部長の様子を窺う。課長から欠席の連絡が行くとしたら部長しかない。


見たところ、部長は普段と別段変わりなく課長が休みという噂も広まっていない。


きっとまだ寝ているんだろう。あんな調子じゃ無理もない。


そう思って、昨日の課長の状態を部長に報告しようと立ち上がろうとしたとき――


「「「おはようございます」」」


社員の大半が一斉にドアに向かって大きく挨拶する声が室内に響く。


部長は今デスクに座っている。


となると、こんなに気合いの入った挨拶を受けるのはうちの課ではもう一人しかいない。


私は悪い予感を胸に勢いよく視線をドアの方に移した。


予感的中。そこに立っていたのは課長だった。


なんで出社してんのよ!


喉元まで出かかった叫びをなんとか飲み込む。


普段と変わらない足取りで自分のデスクに向かう課長。


その姿からはパッと見たかんじ体調が悪さは確認できない。


でも、私にはわかった。


頬はいつもより赤く、目も充血している。それに少しだけ肩を上下させて呼吸している。


何より、デスクに着いて椅子に腰掛けると一旦目を閉じて大きく息を吐いたのが見て取れた。


昨日の夜があんな調子で今日の朝に治っているはずがない。


仕事なんて出来るわけない!


私は抗議するために、勢い良く課長のデスクに向かった。


「課長!」


私が来たのに気が付いた課長は明らかに面倒そうに眉間に皺を寄せた。


「……何だ」


私が言おうと思っていることなんか分かっている癖に、何が「何だ」だ。


けれど、私が次の言葉を口にする前に課長は自分がした返事も忘れて迷惑そうに言い放った。


「自分のデスクに戻れ」


課長からは余計なことを言うなというオーラが出ている。


「それを言うなら――」


課長は自分の家に戻れと言ってやろうとしたが、その言葉は部長の朝礼の合図によって遮られてしまった。


朝礼での課長は至って通常通り。周囲の社員は異変に気が付いていない。


それでも不調を知っている私は気が気じゃなかった。


そして、どうやら課長の異変に気が付いたのは私だけだはなかったようだ。


朝礼が終わったあと、加山さんが私に小声で言ってきた。


「なんか今日の課長いつもと違くない?」


「気が付きましたか加山さん!」


課長の体調の悪さを教えようと前のめりになったが、私が声を出す前に加山さんは少し照れたように言った。


「男の俺が言うのもなんだけど――なんかいつもより色っぽくない?」


一体どこに目を付けてるんだこの人は……。


予想を上回る加山さんの天然発言に私は内心でズッコケた。

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