災禍の獣と骸の竜

nauji

第一部 王国編

序章 二周目 学院

第1話 死を越えて

 全戦士団が招集された理由はアレか。


 風景を遮って余りある巨大な北壁ほくへき


 日食以降、晴れることの無い黒雲。


 そこに、異形が現れていた。


 皆の視線もまた、壁の更に上へと注がれている。



「まさかとは思うけど、アレも魔獣なわけ⁉ 冗談じゃないわよ!」


「ま、まるで山みたいですぅ」


「あれほどの異形……ただの魔獣などではあり得ません。母様かあさまから聞かされた伝承にある、災禍さいかけものかもしれません」


「さいか なに?」


「簡単に表現すると、悪いこと、になるのでしょうか」


「わるもの!」


「はい、そうですね」


「呑気に話してる場合⁉ あんなの、アタシらにどうしろってのよ⁉」


「……だな。俺らじゃ、幼生体相手ですら荷が勝ち過ぎる。アレ相手に何ができるはずもない。北壁ほくへきが無事な今の内に避難するぞ」


「本気で言っているのですか⁉ この場に集った他の者たちを見捨てて、ワタシたちだけが、戦いもせず逃げ出すと⁉」


「アンタねぇ、状況が分かってないわけ⁉ 壁上の大弓バリスタを食らい続けてビクともしてない相手よ。敵わないどころか、戦いにすらならないっての」


「異論は認めない。皆、生き残ることを最優先しろ。南下して王都に──いや、西の帝国領に向かうぞ」



 俺たちの参戦如何いかんなど、戦況に僅かの影響も与えまい。


 アレも魔獣と仮定すれば、狙うはより多くの魔術師が集う場所。


 王都へと向かう公算が大きい。


 帝国ならば、まだ抗し得る可能性はある……と、今は信じよう。



「余り猶予は無い。」



 他の連中に構わず、北壁を右手に置き駆け出す。


 日食から続く、晴れることのない黒雲が。


 巨大過ぎて距離感が掴み辛い。


 が、アレは既に、北壁の寸前まで迫りつつあるのだろう。


 壁上の連中が、逃げ出し始めている様子からも、状況が差し迫っているのが窺い知れる。


 次の瞬間にも、パニックが起こっても何ら不思議ではない。



「──ッ⁉ バカ、止まりなさい!」



 と、いきなり襟を掴まれた。


 直後、轟音を伴い、眼前を物凄い速度で何かが通過する。


 右から左に。


 ──くそッ⁉ 何だ⁉


 何かが顔に掛かって視界を遮る。



「そんな⁉ 壁が⁉」



 目にまで入ったそれを、急ぎ拭い取る。


 視線を右に向けると、壁の一部が消え失せていた。


 どうやら、先程通過していった物がそうだったらしい。


 視線を左に転じれば、誰かだった赤いモノが。


 ……あの恰好、以前何処かで見覚えがあるような?


 いや、こんなことしてる場合じゃない!



「全力で走れ! 魔獣が侵入してくるぞ!」



 思考を無理矢理中断し、叫びながら駆け出す。


 既に耳が、無数の悲鳴を拾っている。


 この声が聞こえなくなった時こそ、俺たちの終わりに違いない。



「おい! いつまで首を掴んで──」



 ──は?


 足が止まる。


 振り返った先にあったのは、顔よりも大きい歯の群れ。


 じゃあ、この腕はいったい?


 状況に理解が及ばず、上手く思考が働かない。


 腕の先にあるはずの体が、どこにも無い。


 視界のどこにも、仲間の姿は見当たらない。


 バリボリグチャリと、不快な音が眼前から生じている。


 家程の大きさもある、魔獣の成体。


 まさか……腕しか残ってないのか……?


 まさか、まさかまさかまさかまさかまさか。


 一瞬で仲間が喰われた。


 それが現実。



「──ッ⁉」



 巨大な歯の群れの隙間、見覚えのある髪紐が。



「くそがあぁぁぁぁぁーーー!」



 死の恐怖よりも怒りの衝動がまさった。


 ありったけの力で殴り掛かる。



「──ギッ⁉」



 魔獣が物凄い勢いで遠ざかる。


 いや、俺のほうが離れて行ってるのか。


 無造作に振るわれた足。


 軽く触れただけのソレに、吹っ飛ばされたらしい。


 地面の上を何度も転がる。



「ゴボォッ、ゲホッ、ゲフッ」



 突っ伏した口から、大量の血が吐き出されてゆく。


 内蔵でも潰されたか。


 起き上がろうとしたが、腕があり得ない方向へと曲がっていた。


 失血の影響か、体が不自然に痙攣している。


 ──どうでもいい。


 痛みなぞ無視だ。


 あの魔獣は何処行きやがった?


 アイツらの仇……逃がさねぇぞ!


 腕の骨を支えに、無理矢理に上体を起こす。


 途端、腹から溢れ出す血。


 何処だ、何処行きやがった⁉


 魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣。


 辺りは魔獣で溢れ返っていた。


 あれだけ居たはずの戦士団が、もう両手の指で足りるほど。


 喰われ、踏まれ、千切られ、吹き飛ばされて。


 見る間に死体が量産されてゆく。


 死が満ちる。


 身を焼く熱が冷えてゆき、自身の置かれた状況がジワジワと浸透してゆく。


 先生たちはどうなったんだ⁉


 最強の戦士団ってのは、何やってやがんだよ⁉


 皆、死んじまったのか⁉


 全て、無駄だったってのかよ……ッ。


 やってきたことも、やろうとしてたことも。


 北壁ほくへきの所為で故郷に魔獣が集まってると思ってた。


 それでも、この量を考えれば被害は極僅かだったのかもな。


 例え首尾よく壁を造れていたところで、アレは防ぎようがない。


 遂に壁を越え、怪物がやって来た。


 とはいえ、見えるのは黒天を更に覆う足裏のみ。


 ただ歩くだけで、容易く世界を滅ぼせるってわけだ。


 ──気に入らない。


 ──ああ、気に入らないね。


 人様の仲間も、将来の展望も、何もかもを駄目にしちまったわけだ。


 伝承の怪物だか知らないが、帝国の連中に精々惨たらしく殺されてくれ。


 周囲が暗さを増す。


 壁を跨いだ怪物の足裏が頭上を覆っていく。


 もうすぐそこまで、死が迫って来ている。


 ああ畜生。


 こんな所に来るべきじゃなかった。


 戦士団なんぞ、結成すべきじゃなかった。


 学院を退学するべきじゃなかった。


 ……そもそもが、皆を巻き込むべきじゃなかったんだ。


 もしもやり直せたなら、きっと違う選択を。


 視界が真っ黒に染まった。






『縁は結ばれた』


『呪は成った』


『我が元へ来たれ』


『我を滅せよ』






 意識を失う間際、声を聞いた気がした。


 ……いや、おかしい。


 なら何で、今こうして考えてられるんだ。



「おやおやぁ~? 余計な真似しちゃいましたかねぇ~?」


「アナタは──」



 声が聞こえる。


 今度は、ハッキリと。


 聴覚だけではない。


 何故だか他の感覚も戻っている。


 黒雲が晴れている。


 周囲は子供だらけ。


 何処だ此処は?


 あの怪物は?


 大量の魔獣共は何処に行ったんだ?



「す、すっげぇー」


「なあなあ! あれってマジの魔獣だったんだろ⁉」


「一撃かよ」



 子供がやかましい。


 何を騒いで……あん?


 デカい川の中、肉塊と氷塊があった。


 氷塊の中には、魔獣の姿。


 大きさからして、恐らくは幼生体。


 もう一方、氷塊の数倍はあろう肉塊の上に、全身赤尽くめの男が立って居る。


 妙な既視感。


 いつだったか、こんな光景を見たような気が。



「──では、水門の調査には、我が国からも人員を派遣いたします。よろしいですね?」


「国境はジブンの管轄ですしねぇ~。態々陛下にお伺いを立てずとも構わないかな~。ってなわけで、入国許可はジブンが出しとくんで、お好きにどうぞ~」



 国境……?


 北壁ほくへきじゃあない。


 川向うにあるのは、いつだか見た帝国領の壁。


 ならば此処は、西区に違いあるまい。


 いったい、何がどうなってやがるんだ?


 致命傷を受けたはず。


 歩くことはおろか、這うことすら難しかった。


 とてもじゃないが、国境まで辿り着けるわけない。


 改めて周囲を見渡してみても、居るのは同じ格好をした子供ばかり。


 唯一の大人。


 この人物には見覚えがある。



「院外学習は中断とし、予定を変更して辺境伯の館へ向かいます。その前に、まずは人数の確認を──」



 そう、そうだ!


 思い出した!


 学院に入学してすぐ行われた院外学習。


 一連の光景は、あの日あの時のままだ。


 自分の恰好もまた、周囲の子供と同じく学院の制服姿。


 訳が分からない。


 俺は確実に死んだはず。


 記憶も感覚も、ありありと残っている。


 決して白昼夢なんかじゃあり得ない。



「聞こえませんでしたか? 整列なさいと言っているのです」


「あ”?」


「……随分と反抗的な態度ですね。状況を理解していないのですか?」



 気付けば、他の連中は整列を終えていた。


 俺だけが列の外で突っ立っていたわけだ。


 引率役の女教師──いや、王国最強の魔術師が冷ややかな目で見下してくる。


 ついバツが悪くなり、視線を逸らしてしまう。


 思えばコイツの娘は、俺が連れ出したばかりに死なせたわけだしな。


 ……いや待て、そうじゃないのか?


 慌てて列の中に視線を這わす。


 ──居た!


 列の中、そいつの姿を見付ける。


 やっぱりそうか。


 まだこの時は、死んでなどいないんだ。



「どうにも様子がおかしいですね。いえ、あんな目に遭ったばかりですし、無理もありませんか。先程の出来事で心身に支障をきたしてしまったのですね」



 ああ、全く以ておかしいとも。


 アンタに状況が理解できるってんなら、是非ともご説明願いたいぐらいだよ。


 見た限り、俺以外にパニクってる奴は居やしない。


 つまりこの現象は、俺にしか起きてないってことなんだろう。


 俺がイカれたってわけじゃないなら、遠からずアレが起きることになる。


 学院入学からとすれば、ざっと見積もって8年後ぐらいか?


 たった8年。


 それだけで何ができるってんだ。


 アレが動き出す直前まで、世間では噂すら流れちゃいなかった。


 誰も何も備えちゃいなかったに等しい。


 とはいえ、だ。


 備えていてどうにかなる類いの代物でもなかったが。


 神話の怪物。


 竜や精霊を滅ぼした太古の魔獣。


 ハッ、誰も信じちゃくれねぇだろう。


 少なくとも、初等部の歴史では習わなかった。


 もしもあんな怪物を倒した逸話が残されているのなら、あるいは生き残れる希望も出てくるんだがな。



「誰か、この子に付き添ってあげてください。急いでこの場を離れましょう。またいつ魔獣が現れるとも知れませんから」



 そうそう、魔獣も厄介だったな。


 壁が壊されれば、魔獣の侵攻を防げない。


 あの時、壁を破壊したのは、怪物の仕業だったのか?


 成体ですら通しはしなかった壁を、いとも容易く。


 山の如き巨躯。


 足だけで壁の高さを超えていやがったし、無理もないのか。


 壁に到達する前に、どうにかして怪物をたおさなければ、王国は滅ぶ。


 誰も彼もが死ぬ。


 この子供たちも、養護院の連中も、全て。


 何もしなけりゃ、変わらないし変えられない。


 何かをしたところで、変えられないし変わらない。


 どちらも同じこと。


 絶対の死を超えるすべなぞ、見つけられるはずもないのだから。





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