きみに二度恋をする
九戸政景
第1話 浮かんだ疑問
「んん……」
瞼の裏で感じる眩しい陽の光で目を覚まし、私は静かに目を開ける。まだ少し眠気が残る中で私は枕元に置いてある携帯電話で時間を確認した後、枕元に置いていたもう一つの物を手に取った。
「さて……今日もつけますか」
手の中にあるチャック付きの無地の桃色のマスクを見ながら独り言ち、私はそれをつけた。いつもつけている物だから、つけても違和感はなく、むしろ落ち着く程だった。
ただ、マスクをつけているのは私が風邪を引いているからとか予防をしたいからとかそういう理由じゃない。これが私達の“当たり前”だからなのだ。
「そろそろご飯が出来る頃だから、下に降りようかな」
ベッドから体を出しながら独り言ち、寝間着姿で部屋を出た後、私は階段を降りてリビングへと向かう。
リビングに入ると、そこにはトーストやサラダの皿が載ったテーブルと人数分の椅子、そして椅子に座りながらコーヒー片手に新聞を読むお父さんと朝食を並べるお母さんの姿があり、二人の口にもそれぞれ色が違うジッパー付きマスクがつけられていた。
「お母さん、お父さん、おはよう」
「あら、おはよう。
「え、ほんと?」
「ああ、襟足とてっぺんのところがちょっとな」
「はーい……」
自分の短く黒い髪を軽く弄りながら椅子に座っていると、テレビからアナウンサーの人の声が聞こえてくる。
『次のニュースです。今春も各メーカーからファッションマスクの新作が続々発表され、今年も業界内での
「新作マスク……私からすれば普通の事に聞こえるけど、お母さん達からしたらだいぶ不思議な話だったんだよね?」
「そうねぇ。マスクなんて咳やくしゃみを外に広げないようにしたり食品を扱う人がつけたりするイメージだったから、こうやってマスクが当たり前になるなんて子供の頃は予想もしてなかったわ」
「たしかにな……」
お母さんは静かに頷き、お父さんは懐かしそうな顔をする。二十年ほど前、まだマスクはお母さんが言うように風邪みたいな病気に罹ってる人が飛沫を防ぐためや罹らないように予防するための物、後は食べ物を扱う人やお医者さん達なんかが衛生面に気を付けるためにつけるものという認識だった。
けれど、その頃に世界中である病気が広まった事で出来る限りマスクをつけて生活するようにと政府から言われて、食事中や寝る時、外部の人と関わらない時以外はマスクをつけて接する暮らしが続いた。
その結果、マスクがスーパーやドラッグストアから姿を消したり値段が急激に上がったりするという事態も起き、時にはそれをお金もうけのチャンスだと考えた人達が法外な値段で売ろうとしたり使用済みのマスクを売り付けようとしたりするなどそれはもう酷い状態だったという。
そしてマスクの供給もどうにか追い付き、日々のマスクに困らなくなった後もその病気は中々治まらず、外出の規制などの政策のストレスもあってか自分勝手な行動を取り始める人や小さな事で人を怒鳴る人、中には安易な考えで犯罪に手を染める人など世界中が混乱していた。
そんなある日、ある一つのアイデアがそれを救った。それがマスクをファッションアイテムの一つとして取り入れる事だった。
昔は無地の白や黒、何かの作品とのコラボレーション商品などもあったけれど、マスクを積極的にファッションの一つとして取り入れる人はいなかった。だけど、マスクを作っているある企業がファッションモデルや美容とファッションをメインで扱っているネット配信者達と共同でファッション用のマスクを幾つか作ったところ世の中の流れが変わった。
そのデザインが世の中のオシャレ好きや流行りに敏感な人達にウケたのだ。その人達の中にデザイン開発に携わった人達のファンがいたのもあったけれど、そのファッションマスクはあらゆる場面で宣伝されていき、その種類を少しずつ増やしていった。
そして現在、マスクはただのファッションアイテムから生活の必需品クラスにまで格上げされていて、恋人が出来たり結婚したりした後もマスクを外した姿をどんな時だって相手に見せないという人も少なくない。
それは通気性や耐水性に優れたマスクや様々な素材のマスクなども出始めてマスクを理由があってつけられなかった人達にも浸透しており、マスクをつけていないところを自分以外に見せるのは下着や裸を周囲に晒しているのと同程度に恥ずかしい事だという認識にもなっているのが主な原因なのだという。
「……今の社会を昔の人達が見たら本当にビックリするだろうね」
「それはそうよ。ファッションの一つというだけじゃなく、つけてない方がおかしいくらいになっているんだもの」
「ただ、その風潮はおかしいという考えの元にマスク廃止運動をしている団体もいる。まったく……世の中の状況っていうのは形を変えただけで、本当は何も変わってないのかもな」
「そうだね……ウチの学校ではその団体に入っている人っていうのは聞かないけど、もしもその人達に見つかったらマスクを取れーって無理やり取られちゃうのかな?」
「それは暴行罪に当たるから基本的にはやらないと思うけど、過激な運動をしてる人達ならあり得なくはないかもしれないわ」
「だから、真澄も気を付けるんだぞ? 俺達
「うん、わかってるよ。注意してくれてありがとう」
私の言葉に二人は安心したように微笑む。お父さん達が言うように今の世の中には昔の人間の姿や考えに還ろうという考えを元に活動している団体もいて、実際に過激派の手で無理やりマスクを外された結果、それがトラウマになって引きこもった人もいるらしい。その上、中には団体に入っている事を隠して生活をしている人もいるのだ。
だから、明日は我が身と思いながら私達は生活をしているし、見かけても基本的には関わらないようにして時には警察に通報するのが常識となっていた。
「……でも、そこまでする程、マスクなんて本当に必要なのかな」
私の口からそんな言葉が漏れる。その答えに関しては今のところわからないし、他の人に聞いたって答えが返ってくるわけじゃない。そんな疑問を感じる人はほとんどいないし、いたとしてもそれはマスク廃止運動をしている団体の人くらいだから。
私はその考えを頭から追いやり、気持ちを朝食へと切り替えると、食べるためにマスクのジッパーを開き、いただきますをお母さん達と一緒に言った後、心の片隅のモヤモヤから目をそらすようにして朝食を食べ始めた。
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