第7話 猫の呉服屋 その三



「これなんかどう? 君によく似合う」

「そう?」

「こっちもいい。君ならなんでも似合うね」


 はでな真っ赤な桜模様の振袖から、次に出てきたのは黄色に黒の唐草模様。さらには緑に紫の蝶が乱舞したもの。どれもこれも、きわめつけに華やかだ。


(いくら青蘭がそのへんにいないような美女だからって、振袖はないだろう。正月じゃあるまいし。振袖なんか着て悪魔が祓えるとでも?)


 などと思っていたのに、


「よし。これがいい。帯は女児用のへこ帯にしよう。それなら動きやすいし、君でも脱ぎ着がラクだろう?」


 瑠璃地に淡いピンクと白で蘭の模様の入った京友禅をまとった青蘭は、まさに天女だ。どこから見ても傾国の美女だ。思わず、ぼんやり見とれてしまう。このさい、利便性は脳裏からふっとんだ。


「やあ、いいね。似合う、似合う。さすが私の見立てだ」

「ほんと?」

「とても素敵だ。さらっていきたい」


 目の前でイチャイチャするので腹立たしい。せっかくライバルの剣崎がいなくなったのに、どうしてこんな美形が現れてしまうのか。


「さあ、青蘭。それに決まったんなら、もう帰ろう」


 龍郎が声をかけると、蝶野がひきとめる。


「まあまあ。無料であげるとは言ったけどね。せめて少しのあいだ話し相手になってくれてもよくはないか? 見てのとおり独り身だから、毎日、無聊ぶりょうをかこっているんだ」


 そう言われれば、むげにはできない。しかたなく、蝶野の世間話につきあうことになる。蝶野は手ずからおいしい玉露をいれてきてくれた。商売をしているふうでもないのに、生活にゆとりがある。


「失礼ですが、蝶野さん。仕事は何をされてるんです?」

「猫の調教師を」

「えッ?」

「冗談だよ。本の装丁デザイナーだ。パソコンで仕事のやりとりもすべてできるから」

「ああ……」


 まあ、それなら孤島暮らしでも仕事はできる。悪魔ではないかと疑うのだが、尻尾を見せてくれない。


「すいません。トイレ、借りてもいいですか?」

「どうぞ。ここを出た廊下を右に行って、つきあたりを左ね」

「どうも」


 トイレに行きたかったわけではない。蝶野は絶対に怪しい。家のなかに正体のわかるような手がかりがないかと思ったのだ。


 とりあえず、言われたとおりトイレの方向へ歩いていく。すると、つきあたりのところで話し声が聞こえた。


(なんだ? さっき独り身って言ってなかったか?)


 つきあたりの左手には扉が一つ。たしかに手洗いなのだろう。だが、声がするのは右手だ。龍郎は蝶野のいる座敷をうかがいつつ、声の聞こえるほうへ歩いていく。


「右目……右目……わたしの右目……」

「わかっておりますにゃ。必ず手に入れてまいりますにゃ」

「よいか? 必ずだぞ」

御意ぎょい


 どうやら話し声は土間の厨房から聞こえるようだ。そっと廊下の端から、なかをのぞく。白黒のブチ猫が一匹、調理台の上に乗っている。その前に女が立っていた。いや、瘴気が濃霧のようにベタベタまとわりついていて、かろうじて女だとわかる人影だ。黒いおぞましい影絵のようなもの。見ているうちにその姿は薄れて消える。


(な……なんだ? あれ?)


 ものすごく強烈な悪魔の匂いがした。ほとんど腐臭だ。とんでもなく強い。戦わなくてもわかる。魔王クラス……それも屈指の実力を誇る大魔王。


(病院にいたって、青蘭が言ってた悪魔。きっと、アレのことだ!)


 おそらく、この島に悪魔を増殖させている根源。


 龍郎は厨房にとびこんだ。しかし、そのときには、とっくに悪魔の影はない。いなくなってしまった。

 アレは本体ではないのだ。本体はこの島のどこか別の場所にいる。

 あとには調理台にいるブチ猫だが、これはどう見てもただの猫だ。


「おまえが話してたわけじゃないよな?」


 龍郎は猫の頭をなでてやった。猫はゴロゴロと喉をならしている。


 しかし、あの悪魔がほんとに消えたのか、この家のなかで移動しただけなのか気になる。青蘭が心配だ。急いで、もとの座敷へ走っていった。黒光りする廊下は走ると転びそうになる。


 座敷の前まで戻ったときだ。障子に影が映っていた。髪の長い猫のような耳を持つ人物が、青蘭をかかえている。牙ののぞく口を大きくひらいて、今にもガブリと喉元にかみつきそうだ。


「青蘭!」


 あわてて障子をあけて座敷にとびこむ。


「おや、どうした?」


 室内には蝶野がいるだけだ。猫耳はないが、青蘭を腕にかかえている。


「あんたこそ、青蘭に何してるんだ?」

「疲れているようだ。寝入ってしまった」


 見れば、たしかに青蘭はすうすうと浅い寝息をたてている。


「じゃあ、つれて帰ります。お世話になりました」

「まあまあ。目がさめるまで寝かせてやればいい」

「でも——」


 すると、蝶野は思わぬことを告げた。

「今は家から出ないほうがいい。の気配がする」

「えッ?」


 蝶野は美しいおもてに皮肉な笑みを浮かべた。

「君だって見えてるんじゃないか? 私はそういうのわかるほうなんだ」


 龍郎はまじまじと蝶野を見つめた。これまで霊的なものの存在を感知できる人にも出会ったことがある。清美やヨナタンのように、蝶野もそうなのだ。だから、ふつうの人間とは異なるふんいきを持っているのか?


 ますます怪しい。


「アイツって、なんですか?」

「この島に巣食ってる化け猫だ」

「化け猫?」

「そう。化け猫。浦主家が座敷牢に閉じこめてるって話だけど?」

「ほんとですか?」


 思わず意気込んでたずねる。

 蝶野はニッと白い歯を見せた。


「聞きたいか?」


 龍郎はしぶしぶ、うなずいた。

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