第7話 猫の呉服屋 その二



「まあまあ、青蘭。カードはなくなったと言っても落としたり盗まれたわけじゃないから、誰かに無断使用される危険性はないよ。紛失届けを出して再発行してもらえばいい」

「それまで買い物ができない……」

「現金は持ってないの?」

「今回はあんまり。この前、使いきったあと、銀行におろしに行ってなかったから」


 青蘭はふだん贅沢ざんまいになれているから、急にお金が使えなくなると、爪をもがれた鷹状態だ。なすすべがない。


「じゃあ、おれの金を貸してあげるよ」

「いくら?」

「十万」

「……それしかないの?」

「いやいやいや、とりあえず、服買うには充分だから」

「スーツ一着買えない。まあいいよ。ないよりはマシだ。百倍にして返してやろう」


 旅行だからと思い、多めに持ってきていてよかった。

 だが、ここで当初の問題に直面する。服屋がひらいていない。


「服屋がしまってる!」

「あっ、そうだったね」


 ふたたび頭をかかえる青蘭を見て、花影が無表情に告げた。

「呉服屋ならありますよ」


 青蘭はすぐさま食いつく。よっぽど龍郎のTシャツを着たくないらしい。心外だ。


「呉服屋?」

「はい。今はもう閉店してしまっていますが、以前の商品の残りがあるんです。島の住民が頼めば、安く譲ってくれるので、わたしがお願いしてみましょうか?」

「よろしく頼む」


 高飛車な青蘭が『よろしく頼む』だなんて、神妙な顔をして言うので、なんだかおかしくなった。しかし、呉服屋と言えば洋服ではなく着物か反物だが、青蘭はちゃんとわかっているのだろうか?


 たぶん車は通らないだろう細い道をクネクネと歩いていく。舗装もアスファルトではなく、小石まじりのコンクリートのようなものだ。両側を民家の塀がふさいでいて、まるで迷路だ。


「すごい複雑な道ですね」

「平地の少ない島ですから。広い道を作る余裕はないですよ。呉服屋さん、見えてきました。あれです」


 花影が指さすのは、これはまた古風な商家だ。木造中二階のある町屋建築。古びて読めなくなった大きな木の看板が軒下にかかっている。ガラス戸はすすけて、なかが見えない。


 うん、絶対なんかいる、と、龍郎は確信した。

 しかし、花影はそんなこと感じもしないのか、なんのちゅうちょもなく引き戸をあけた。


「こんにちは。蝶野ちょうのさん。いらっしゃいますか?」


 すると、しばらくして、なかから男が現れた。

「うわぁ」と思わず声が出てしまうくらい、いい男だ。青蘭ほどではないにしろ、まっすぐ通った鼻筋と切長の涼しげな双眸の、かなりの美形だ。しかも、今どき和服をキレイに着こなして、長い黒髪を組紐でしばっている。そのせいで中性的に見える。


「やあ、どうも。何かご用?」


 背が高い。龍郎よりちょっと上から見おろしてくる。着物だからわかりにくいが、たぶん、ぬいだら、けっこうな筋肉量だろう。


(悪魔……だよな?)


 もうふつうの人間でないことは、ひとめでわかった。ただ、悪魔とは言いきれない何かがある。


「この人たち、服が欲しいらしいんです。坂本さん、おばあちゃんが入院されてて、休業中だから。呉服を見せてあげてもらえますか?」

「ぜひ、どうぞ」


 役目は果たしたとばかりに、花影は去っていく。帰り道がわからなくなりそうな不安はあったが、ひきとめるわけにもいかない。花影には花影の仕事がある。


 それより、目の前の男だ。

 悪魔とは言いきれないが、これは人ではない。


「服が欲しいのは君?」


 そう言って、青蘭の細いあごをクイッと片手でつかむ。


「いいね。和服が似合いそうだ。君のためなら無料でいいよ」


 そう言って、青蘭の手をひいて、なかへつれこもうとする。

 あわてて龍郎は割りこんだ。


「ちょっと待った!」

「あれれ。彼氏かな?」

「彼氏……じゃないけど、つれです。勝手につれていかないでください」

「ふうん。まあ、君もいっしょでいいよ。二人とも入りなさい」


 赤い唇でニイッと笑う。一瞬、牙が見えた。いや、八重歯かもしれない。


 青蘭を見ると、なぜか赤くなっていた。白い頬が桃色に染まって、可愛いのなんの。


「青蘭」

「えっ? なんですか?」

「顔、赤いよ」

「えっ? そ、そんなわけないでしょ?」


 つんとあごをそらして、なかへ入っていく。まさか、青蘭が面食いだったとは。


 家屋のなかは閑散としていた。片づけは行きとどいている。ほこりもたまっていない。しかし、生活臭が感じられない。調度品がまるでないのだ。ただ、あちこちに猫は丸くなっていた。


「おいで。こっち、こっち」


 美男の呉服屋は手招きしながら、式台をあがる。

 玄関は土間で、入ってすぐに広い座敷がある。その奥の壁が背の高い棚になっていた。反物がいくらか残っている。しかし、今日は反物を買いにきたわけではない。


「あの、青蘭は今すぐ着れる服が必要なんです。反物じゃ意味ないんですが」

「わかってるよ。ちゃんと仕立てた振袖がある」

「振袖……」


 振袖。それは今でこそ成人式くらいにしか着ないが、かつては未婚女性の晴れ着だった。さらに江戸時代なら、裕福な家庭の娘の常服であり、特殊な例だが、場合によっては元服前の少年が着ることもあった。

 でも、現代日本では、まず普段着に着ることはない代物だ。


「あの、ふつうの浴衣とかないんですか?」

「ないわけじゃないが、そんなのつまんないだろ?」

「いや、あの利便性が……」


 すると、青蘭が上の空で言う。

「ボク、振袖でもいいな」

「……」


 あからさまに青蘭のようすがおかしい。恋人の剣崎がいるというのに、さらに浮気までするのか?


「じゃあ、こっちにどうぞ」


 蝶野は奥座敷へむかっていく。妖しい気配が満ち満ちている。

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