第6話 猫病院 その二



 牙をむいた猫顔の医師たちは、メスやドリルを手に襲いかかってくる。

 龍郎は右手の指で輪を作り、浄化の玉を放つ。吸いこまれるように猫たちの右目にめりこんだ。ニャアッ、フギャーッと声をあげて、三体の化け物たちは光の粒になった。低級な悪魔だ。さして強くない。


「青蘭——」


 しかし、かけよってみると、手術台に拘束されていたのは、青蘭ではなかった。青蘭とは似ても似つかぬ、ごつい長身の男。剣崎だ。


「なんだ。あなたですか。青蘭はどこに?」


 ガッカリしつつ、いちおう剣崎を台に固定しているベルトをとく。お礼を言われるものと思ったのに、剣崎は龍郎を罵倒してくる。


「言っとくがな。いくら悪魔退治の力があるからって、嬢ちゃんはおまえなんかになびかないぞ? おれの恋人に手を出したら、ただじゃすまさないからな」

「……」


 いや、青蘭はおれの恋人だと言ったところで納得はしてくれないだろう。ここでは現状、剣崎のほうが青蘭のペアなのだ。


 それにしても、あからさまに脅迫してくるとは思わなかった。年齢が同じくらいなので、以前の世界で龍郎を悩ませたライバル、フレデリック神父のような相手を想定していたのだが、かなり性格は違う。


(こう考えると、フレデリック神父は大人だったな。紳士というか)


 うまい解決方法があるのだろうか?

 青蘭一人に対して、恋人を主張する男が二人。争わずにすむわけがない。


 とは言え、こっちだって、ひきさがる気はなかった。


「選ぶのは青蘭だ」


 強い語調で言い放つと、剣崎はチッと舌打ちをついた。そのまま、手術台をおりて、部屋をとびだしていく。

 龍郎も負けてはいられないので、すぐさま追った。


「待てよ。青蘭がどこにいるのか知ってるのか?」

「診察室だろ。あそこで待ってたら、急に腕がチクリとして、意識がなくなった。気づいたら台の上だ」


 剣崎は走りながら叫んでいる。たしかに身体能力は高い。龍郎もけっこう運動は得意だが、全力で走っていても、どんどん差がひらいていく。


 それにしても、妙だ。この廊下、こんなに長かっただろうか。走っても走っても、さきが見えない。


「剣崎さん。ちょっと待ってください。どうも、おかしい。ただ走っても進めないみたいだ」


 返事はなかったものの、剣崎は立ちどまった。自分でも妙だと感じたのだろう。


「どういうことだ? この病院、こんなに広かったか?」

「いや、二階に部屋数は三つだった。でも、今は……」


 言うまでもないので手で示す。今はドアが等間隔に十以上もならんでいる。しかも、廊下のさきは暗くなって見渡せない。空間が歪んでいる。


「困ったな。あのときといっしょだ」


 思わずというように、剣崎はつぶやく。少し途方に暮れたようにも見える。


「あのとき?」


 剣崎はしぶっていたが、オカルトに対して自分が無力であるという自覚はあるのか、しかたなさそうに打ちあける。


「八年前だ。おれはSATの隊員だった。少女の誘拐事件が発生したというので、おれの所属する隊が極秘で出動した」

「誘拐で? 特殊部隊がそんなことで出動するんですか?」

「もちろん、最初は捜査一課があつかっていたさ。彼らの捜査によって、少女の囚われている場所が明らかになった。だが、それが少々、やっかいな連中だった」

「連中……グループでの犯行だったんですね?」

「きなくさいウワサの絶えない新興のカルト教団だ」


 少女、誘拐、カルト教団——聞けば聞くほど、イヤな予感が強くなる。


「それって、もしかして……」

「被害者は青蘭さまだ。彼女の父は世界的な大富豪だからな。初めは身代金目的だろうと考えられていた。だが、いっこうに金銭の要求はなく、殺人予告ともとれる不快な手紙が届いた。人質の命を優先するために、特殊部隊で乗りこむことになったんだ」


 なるほど。それだったのだ。遅すぎた、今じゃない、アイツが来ると青蘭が言っていたのは。

 きっとトラウマになっているのだ。


「それで、ぶじに救出したんですよね?」


 念を押すと、ますます剣崎はしぶい顔つきになる。


「ぶじと言えるのかどうか。事前に内通者を得て、間取りを調べて行ったのに、いざ侵入すると、奇妙なことが頻発した。異様に広く、なかなか奥まで到達できなかった。ようやく最奥についたときには、青蘭さまはすでに……」

「すでに、なんだ? 何があったんだ?」


 答えはなかった。

 剣崎は仏頂面で歩きだす。

 しかし、なんとなくだが想像はついた。カルト教団にさらわれて何かがあった。そのときのことを青蘭はひじょうに恐れている。おそらく、邪教の神に捧げられたのだと。


(くそッ。なんでそんなことになったんだ。おれがそばにいたら、絶対に守ったのに)


 悔やんでも、それは過去のことだ。今さらどうにもできない。それよりも、今現在の青蘭を助けなければ。


 長い廊下を歩いていくが、いっこうに終わりが見えない。階段がどこにも見あたらない。


 すると、どこか近くから泣き声が聞こえてくる。子どものようだ。


 龍郎は耳をすました。

 病室のなかから、かすかに、シクシク、シクシクと声がする。


(ここだ)


 龍郎は、そっとドアをひらいた。

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