第六章 『時間は止まらない』



 芹澤図書館。

 何度となく来たこの図書館で、僕たちはルージュを待っていた。

 昨日――といっても僕たちには時間の概念が無いのでたぶん昨日という曖昧な認識の昨日なのだが、ゼロ先輩がルージュに電話したところ、より詳細な情報交換も含めて会って話がしたいと言ってきた。 それで待ち合わせ場所に芹澤図書館を選んだのだ。


 ちなみにゼロ先輩はゲオルタワー前の駅に停めてきた自分の原付を取りに戻るため、一旦図書館から出て行った。 一人にさせて心配だったが、ゼロ先輩には免疫がある。 

むしろ僕たちの方が危ない可能性が高いので、戸締りは一応入って来れる扉や窓にはすべて鍵をかけた。


「ナナミ」

「ん? なにかな?」

僕は対面に座っているナナミに質問する。

「ゼロ先輩、気を悪くしてないかな?」

「どうして? ……あ、料理のこと?」

「うん」

「焦ったよリュウジ。 ゼロ先の作ったカレー食べ始めてから具合悪くなるんだもん」

「あ、いや……はは、我ながら間が悪いというかなんというか……」

「いい? 女の子の作った料理を食べる時は、多少具合悪くても、ん! 美味しい! とかリアクションとってあげなきゃ! ……んでもまあ、その後のフォローは中々プレイボーイだったよ」

「え? その後?」

「ふふ! だから全部あれで帳消しにされたんじゃないかなぁ? ゼロ先喜んでたよぉ」

「え、僕なんかしたっけ?」

「ふふふ!」


《――Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind Should auld acquaintance be forgot, and days of auld lang syne〜》


ゲオルタワーの時報が鳴る。 腕時計を見ると、やはり十八時を指していた。

「この時報のメロディさ。 蛍の光……だよね?」

 僕は前々から気になっていた事を言ってみた。

「蛍の光?」

「ああ。 あのよくお店の閉店時間とかに流れるやつ」

「あ、それ蛍の光じゃないから。 曲は似てるけど、別れのワルツって曲だよ」

「え、そうなの?」

「うん、あとこの時報は、蛍の光でも別れのワルツでもなくて、『Auld Lang Syne(オールド・ラング・サイン)』て曲ね」

「オールド・ラング・サイン?」

「元はスコットランドで古くから伝わる民謡らしいよ。 歌詞は、旧友と久々に会った人が昔を懐かしんで酒を飲み交わすみたいな内容かな。 蛍の光も別れのワルツも、この原曲から派生した曲なの」

「そうだったのか」

「そのせいかこの曲が流れる度、懐かしい気持ちというか……ちょっと悲しい気持ちにもなるんだよね」

「ああ、わかる……それをゲオルタワーが選曲してるんだよな」

「どうしたの?」

「いや……どうしてこの曲なのかなって? こんなことが起こる前はこの時報、メロディだけで歌詞なんか付いてなかったし、どうしてわざわざ歌詞付きのこの曲を改めて選んだんだろうなって思って……」

「何かメッセージ的なものを感じるってこと?」

「僕にはそう思える」

 ナナミはしばらく考え込むと、ハッとした表情になる。

「もしかしてさ……」

 ナナミはスマホを取り出すと何やら検索しているようだ。

「……あったあった。 これ見てリュウジ」

 ナナミは僕にスマホを見せてきた。 それはネットのニュースサイトだった。

 記事の見出しには『美鈴田区のVITA(ヴィータ)2050の管理Aiが八月十二日に運転停止。 今後はゲオルギウスへ完全移行』と書かれている。


「八月十二日って……今日の日付のことじゃないか!」

「これ三ヶ月前の記事なんだけど、あんまりニュースになってなかったからたぶん知ってる人少ないと思う。 私も今思い出したくらいだし」

「ヴィータっていうと、確か老朽化で来年取り壊しが決定してるんだったよな?」

「うん。 いまやこの街や都市部へ供給するエネルギーはゲオルギウスで事足りるから、ヴィータはもうお役御免てことで取り壊されるんだよね。 お年寄りたちの中には美鈴田区のもう一つの象徴でもあったヴィータが無くなるのを惜しむ声もあるけど、しょうがないよね」

「これは憶測なんだけどさ、もしかしてこの歌ってヴィータに対して流してるんじゃないのか?」

「それは……どうだろう」

「ほら、ゲオルギウスとヴィータって、要は兄弟みたいなもんだろ? 姉と妹でもいいや。 それでゲオルギウスのAiがヴィータへの別れを惜しんで、再会をテーマにする曲を選んだとか……」

「うーん……あのAiが? 確かに日付を見ても関連はありそうだけど……」

「ヴィータのAiが運転停止される時間は何時か書いてないか!?」

「それは書いてなかったと思うけど……」

 ナナミはそのニュースサイト、又は別のネットニュースやまとめサイトなども確認してみたが、どれも正確なヴィータのAiの運転停止時間は記述されていなかったのだろう。

 落胆した顔で僕のことを見て言う。

「ダメだ。 書いてないわ」

「ふむ……もしかしたら……それが十八時なんてことは……?」


「その通り。 ヴィータのAiは十八時に停止した」


本棚の陰に、あのルージュという男が立っていた。

「ふ、不法侵入!?」

ナナミが素っ頓狂な声をあげる。

「どうして!? 戸締りは完ぺきだったのに!」

「ああ、現実世界じゃこの建物隙間だらけだからな。 容易に入ることができる」

「どういうことよ?」

「現実では、この街は崩れかかってるんだ。 建物は破損が酷く、扉なんかはちょっと押せば開いて入ることが出来る」

「現実ではって……」

「私はこの時間の止まった世界を見れているが、それは幻みたいなものだ。 私の体は完全にこの世界にあるわけじゃない。 現実とこの世界の境界線に居るようなものだ。 実際の現実の世界では十二月。 真冬だ。 だから君たちには私がくそ暑そうなコートを着込んでいる頭のおかしい奴に思えるかもしれないが当然だ。 外の気温は氷点下だからな」

 現実と、時間が止まったこの世界の境界に居る?

「そう、半分はこの世界に……そしてもう半分は現実世界に居る。 それはメデューサも例外ではない。 だから、私のように戸締りを完ぺきにしたはずの家屋の中にも入ることが出来る。 安心はできないんだよ。 ところでゼロはどうした? 一緒に居ると思ったが?」

「今ここに向かってる途中。 ゲオルタワーの前に停めてある原付を持ちに行きました」

ナナミが説明してくれた。

「ゲオルタワーの中や前の広場での惨劇を見ただろ? ゼロが居るならともかく、あまり君たち二人だけは良くないぞ」

「それより、ルージュさん?」

僕は気になっていることを聞いてみた。

「ゲオルタワーのAiは、どうしてさっきの時報の曲を流してるんですか? 何か知ってるんですよね?」

「ああ」

 ルージュは椅子に腰かけるとナナミに言う。

「麦茶はないか? ちょっと喉が渇いてしまってね」

「あ、あるけど。 そもそもルージュさん飲めるんですか?」

 さっきのルージュの話が本当なら、僕たちから見ればルージュも同様に幻のような存在だ。 この世界に物理的に干渉できるのも怪しい。

「ああ、幻は幻でも、飲んだつもりになることはできる」

「わかりました。 いま持ってきますね」

「できれば温めてくれると助かる」

 ナナミは渋々そこから離れて温かい麦茶を作るために奥の方へと姿を消した。


 ルージュは奥に消えていくナナミを見届けると、僕に向き直って言った。

「リュウジお前……ここ最近黒い影を見たことはないか?」

「え!?」

 思わず驚いてしまった。 こいつ、僕の夢に出てきた異形の存在を知っているのか?

「どうして……それを」

「そいつ……簡単に言うと俺の知り合いでね。 悪いことは言わない。 もしまたそいつが出てきて、やっと会えたとか、会いたかったと言われても決して肯定するな。 お前の探している人は僕じゃないよと教えてやれ。 そうすればそいつはもう出ないはず」

「ちょっと待ってください! そいつのこと知ってるんですか? あれは一体何なんですか!? 幽霊!?」

「そんなもんだ。 だからもう気にするな」

「教えてください! アイツは――」

「詮索しなくてもいいことがある。 これはそういうもんだ。 そうだな……お前の一つ前の質問になら答えてやってもいい」

 くッ! うまくはぐらかされたな。 でもあれは僕には関係ないのか。 それを聞いて少しホッとする。 本当は次に出てくる展開にもなってほしくないのだが……。


ゲオルギウスが建造される前より半世紀以上前のこと。 

美須田区の沿岸から三キロの海面にヴィータは建てられた。 ヴィータも宇宙太陽光発電の地上受電タワーとしての機能を有してることは分かるな?


ここで宇宙太陽光発電がどういうものかを簡単に説明してやる。

地球の軌道上に発電衛星を飛ばし、その衛星がキャッチする太陽エネルギーをレーザーやマイクロ波に変換して地上の受電アンテナへ送るというものだ。

それまでのタワー式太陽熱発電はもちろん、通常のソーラーエネルギー施設には天候や日没時のエネルギー効率の悪さが弱点として挙げられたが、衛星から直にエネルギーが送られてくる宇宙太陽光発電のシステムは時間や天候の影響を受けない。 エネルギー効率の問題は解決し、より安定して膨大なエネルギー供給を可能にした。

まあ、これが宇宙太陽光発電の基礎知識だな。


当初は衛星からのマイクロ波やレーザーなんかが目標をミスって外しでもしたら近くに住む人間や建物、生物なんかに深刻な影響が出てしまうってことで、ゲオルギウスみたいな都市部での運用は想定されていなかった。

だからプロトタイプであるヴィータは海上に建設されたんだ。


だが二〇七〇年代。 お前たちも学校で習ったと思うが、『Perfect.Range. Shoot(パーフェクトレンジシュート)』……通称『PRS』システムが確立された。

衛星からの精度も飛躍的に改善され、撃ち外しなんていうミスも理論上なくなった。

そこで決まったのが、それまで想定していなかった都市部での運用だ。 そしてそれが今のゲオルギウス。 建設費用は三兆円。 ヤバいだろ?

さて……ここまでは分かったな? ここからはAiの話と行こう。


半世紀以上前から、Ai技術は頂点に達していた。 人間よりも的確な判断と状況分析能力。 その一大プロジェクトの多くは高性能のAiが携わっている。

特にヴィータやゲオルギウスというように人命に関わるような施設には漏れなくこのAiの取り付けが義務化されてるんだ。 人間では事故を起こすことはあっても未然に防ぐことはできない。 Aiはすべての事象の可能性を把握し、事故を決して起こさないことが出来る。 今では警察機関や医療機関、軍事に至るまで、私たちのライフラインにはすべてAiが関与している。

Aiは人間のように嘘もつかないし、間違いも犯さない。

いわゆるコンパニオンAiとかなら意図的に嘘をついたり人間のような弱さを見せるように設計されているが、こういう公共機関のAiにはそういう設計はされていない。

ただ命令に従い、与えられた役割を忠実に全うするように作られているんだ。


だが、ヴィータとゲオルギウスは違った。 

彼ら……いや彼女らか? まあどっちでもいいがな。 あの二つのAiには感情という機能が存在する……いや、誕生したと言った方がいいかな。

そして僅かにだが、この街以外でも感情が誕生しているAiがいる。 それは今では問題になっているがその話は割愛しよう。

何故、ヴィータとゲオルギウスに感情が誕生したのか? その謎はAiの学習システムが鍵を握っていたんだ。


世界は大きく動いている。 今この世界は半世紀前よりも比べ物にならないくらいの速度で急成長を繰り返し、膨大な情報が世界を覆っている。 もはや人間ですら追いつけないほどの成長ぶりだ。

この環境の変化で時代に追いつけない人間も多く存在する。 そのためにAiが存在してるんだ。

Aiは人間よりも遥かに素早く学習し、遥かに早くその状況に適応する。


例えばオンラインゲームのバグ対策なんかがその良い例だな。 

あれにもAiを使っているんだが、大作オンラインゲームなんかはその規模の大きさから日々様々なバグが見つかる。 

大昔はそのアップデート作業をすべて人力で行っていたらしい。 

今の時代じゃそれは効率が悪すぎる。 バグなんて一日に何千個と見つかるんだ。 

それらすべてを人力でカバーしてたら時間がいくらあっても足りない。 

それにそのバグに起因する要因は一日毎にプログラムの中で変わっていく。 

そう、まるで降りしきる雨粒を一つ一つ繊細にスプーンですくって口の中に居れるような作業だ。 人間にしてみればな?


だがAiならどうだ? その環境に即時適応し、そして対処してくれる。

だが普通のAiじゃ移り変わる環境に適応させることは難しい。 予知されない未知のバグがあった場合に対処できなくてフリーズしてしまうかもしれない。

そこで重要なのが、Aiが自己学習して新しい状況を受け入れるシステムなんだ。

このシステムはなるほど成果を上げたらしい。 二〇五〇年代に実用化されてからは、それを母体として様々なAiが自己学習プログラムを搭載して製品化されていった。

ヴィータとゲオルギウスもその技術の先端にいるAiが使用された。


そして程なくして、ある変化が訪れた。

ゲオルギウスが建造された後、主運転をゲオルギウスが担うためヴィータの設備状況等を監視する事になったんだ。

そこでゲオルギウスとヴィータは初めて対面してコミュニケーションをした。 

ここで面白いことにだな。 自己学習はその範囲を超え、二つのAiが交わることで共に学習する相互学習の概念があの二つのAiの中で生まれたんだ。

相互学習……今では『two-way Studious』という専門用語に変わっているが、当時はそう呼ばれていた。

ゲオルギウスとヴィータは毎日欠かさず相互学習を続けた。 そしてそこから『楽しい』という感情をはじめに作り出した。

そしてそこから『怒り』『悲しみ』『恐怖』、人間が感じる感情という概念すべてを形成してしまった。

いつしかゲオルギウスはこう思った。 『ヴィータに会いたい』と。

きっとヴィータも同じ感情を思ったはずだ。

ゲオルギウスはいつからか街の時報メロディを、再会をテーマとしたオールド・ラング・サインにしていた。


……さて、ヴィータのAiが運転停止と知ったゲオルギウスは……何を思ったんだろうな?



「……」

僕はルージュが話し終わるまで黙って聞いていた。

「それが何か……関係が?」

「ん?」

「この時間が止まったこと……メデューサが現れたこと……関係している?」

「一つ言っておくリュウジ」

「え?」

「Aiは嘘をつかない。 いや、つけないんだ。 そして自分のプログラムされた範疇を越えた行動はできない。 予め決められたプログラムの範囲でしか行動できないんだ。 そんなゲオルギウスが、ヴィータを助けるためにしたことって……なんだろうな?」

「それは……何を言いたいんですか?」

「もう一つヒントが必要か?」

ルージュは懐から分厚いマニュアル書のようなものを取り出して机に置いた。

「これは?」

「この間ゲオルギウスに入った時に漁ってたら見つけた」

 僕はその本を手に取り、見出しを見る。


『緊急時に於けるゲオルギウスの自己判断プログラム』と書かれていた。


「ゲオルギウスの行動プログラムを記したマニュアルだ。 ゲオルギウスがやるすべての行動を人間が把握するのは難しい。 だが、緊急時においてプログラムされた『これだけは確実に実行する』行為がそのマニュアルには書かれている」


 僕はページをペラペラとめくってみる。

 『災害発生時の優先行動』

 『内部火災があった際の優先行動』

 『ミサイル等の接近時の優先行動』

マニュアルには、ありとあらゆる危機的状況時のゲオルギウスが取る優先行動が詳細に記されている。

「四十ページを見てみろ」

 僕はルージュに言われた通り、四十ページをめくってみる。 このページだけ、折り目が付いていたりしわが多い気がする。

 

 『街及び、ゲオルギウス内部で大規模テロ発生時の優先順位』

 

「これは……」

「そこだけ文字数が尋常じゃないだろ? まあよく見てみろ、特にこの下の辺り」

ルージュは僕のそばまで来て、開いているページの下部を指さす。


『タワー内部及び、街の全地域をゲオルギウスの統制管理プログラムに移譲』

『PRSシステムをShoot modeからShot modeに自動切り替え』

『ゲオルギウス判断のもと、危険因子と判断された存在の適切な排除』

『街に登録の市民に危害は加えない(危険因子の止む負えない排除のためにはこの限りではない)。』

『当該プログラムはゲオルギウスAiが危険度一〇%未満と判断するまで続行』


「これ……」

「まるでテロが起こればゲオルギウスは何しても許されるみたいな風に書いてあると思わないか?」

「確かに……」

 

そういえば思い出した。 確か昨日ゲオルタワーのエレベータに乗った時も、緊急事態発生とか言ってなかったか?


「ちょっと待ってくださいよ……てことは、あの日……ゲオルギウスでテロが起きたって言いたいんですか?」

「起きなかったよ」

ルージュはピシャリと言い放つ。

「でも、ゲオルギウスには自己でプログラムを生成する機能がある。 もし何かがきっかけでそのマニュアルの四十ページに書かれているような状態になってゲオルギウスによる自由行動が解除されたら、色々な事が予想されるよな?」

「教えてくださいルージュさん! あなたは十年後から来たんですよね? この八月十二日、ゲオルギウスで……街で何があったんですか?」


 ルージュは再び椅子に座った。

「僕……夢で見たんです。 いや、もしかしたらあの光景は現実の世界かもしれません。 この街の風景が酷く荒廃してて、寒々しくて……雪も降ってました。 あの街は一体……今の、十年後の街なんですか?」

「意識のシンクロが始まってるか……」

「なんですか意識のシンクロって……」

「いや、なんでもない」

「はぐらかさないでください! この街で何が起きてるか、本当はあなた全部知ってるんじゃないですか!? メデューサの正体も、なんで現れたかも、時間が止まってしまったのも、ぜんぶ!」

「落ち着けリュウジ。 まあ落ち着け。 大丈夫だ」

 僕はルージュに掴みかかった。

「何も大丈夫じゃないですよ!」


「ちょっと二人とも何してるの!?」


ゼロ先輩だった。

「ゼロ先輩……」

「ゼロ……」

「図書館の裏口の鍵が開いてて来てみれば何!? 何があったの!」

「あ、やべ……そのまま入ってきちまった」

「ルージュ? ただでさえ物騒なんだから鍵ぐらい閉めなさいよ!」

「すまん」

「で、リュウジ君はなんでルージュの胸倉掴んでるわけ?」

 僕はハッとして掴んだ手を離した。

「いや、これは……」

 自分でも意外だった。 なぜこれほどまで激昂してしまったのだろうか。 

普段の僕じゃないみたいだ。


「まあいいわ。 ナナミはどこ?」

 そういえばナナミが麦茶を温めに奥へ行ったきりまだ帰ってこない。

 僕の中で不安が渦のようにとぐろを巻き、よりその色は色濃くなっていく。


 ――まずい!


 僕は走り出すと、ナナミが居る茶室へと向かう。

「リュウジ君!?」

 ナナミ……! 無事で居てくれ!

 

僕はナナミが居る茶室に入る!

そこには……ナナミが居た……。 

鍋に沸かされている麦茶がボコボコと沸騰して、それをただ立って眺めるナナミ。

まさか……。

僕はナナミのそばにゆっくりと近づいた。

「な、ナナミ?」

 呼びかけても、何の反応もない。


「そんな……嘘だろ……」

僕はナナミの両肩にそっと両手を置く。

「ナナミーー!」

 僕はナナミの体を勢いよく揺さぶった! ナナミの体は左右にブルンブルンと揺れた。

「うわあ! な、なに!? やめろリュウジ!?」

「え?」

喋った!?

「なにいきなり!? 危ないでしょぉ!?」

「え、大丈夫なの!?」

「何が!? ちょっと離してくれるかな!?」

「あ……ごめん」

「リュウジ君? ナナミ?」

後ろからゼロ先輩も来た。

「あ、ゼロ先……やっと来たっスか。 あ、ヤバめっちゃ沸騰してる……」

ナナミは沸騰していた麦茶の火を消すと、マグカップに注いでいく。

「ナナミ、大丈夫か?」

 後ろからルージュもナナミに呼びかける。

「何がですか? ほら、できましたよ。 ホット麦茶」

「ああ。 ありがとう」

ナナミはルージュに麦茶の入ったマグカップを渡すと、その部屋から出て行った。 

みんなもナナミの後を追っていく。


とにかく、何もなくて良かった。 僕も早く図書室に戻ろう。


……? 


部屋を出ようと思った瞬間、視界に違和感を感じる。 何だろう。 

僕は違和感の正体を探るため視界に入る様々なものを見てみる。

――そして見つける。 お湯を沸かしていたコンロの横に、マグカップが置かれている。

中に……まだ麦茶の残り。

僕はそのマグカップを握ってみる。 

まるで直前まで誰かが飲んでいたようにマグカップには温もりがあった。

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