第16話 月光

「それでですね~、ククルちゃんって子が作るぬいぐるみが凄く上手で……」

「それがこのぬいぐるみ?」

「これはククルちゃんのお姉さんが作ったんですよ。髪が長くて綺麗で、素敵な女性でした!」

「へぇ~、俺も会いたいなぁ」

「だ、駄目ですよ! ステラは近づいちゃ駄目です! 絶対!」

「ええ……」


 眩いほどの月光が窓から貫いて、二人が落ち着く宿の部屋へと降り注がれた。

 旅の疲れを癒しながら今日一日の出来事を語らう二人の間には、ゆるやかな時間が流れている。


「——そういえば、あの子どもにどんな勉強を教えてたの? 魔術のことは流石に言えないでしょ」

「あの子は『神学』に興味があったようなのでそれについて少し。とても頭のいい子でしたよ。基礎から発展までバッチリでした! まあ、僕が教え上手だからというのもあるかもしれませんがね!」


 鼻を高くして、ナギは胸を張った。


「へえ。ナギはなんでも知ってるんだねぇ」

「うへへ、それほどでもありますけど~……」

「それならさ、今度俺にも魔術のこと教えてよ。やっぱりただ走って殴るだけじゃ物足りない気がしてさ」

「おお! なんなら今すぐ教えましょうか! 実は神学は魔術の基礎とも言われているんです。ちょっとした座学ならすぐにでも!」

「やる気満々だねナギ……今日は疲れたから、少しだけね。少しだけ……」




 ——しかし、ナギの座学はその後二時間にも及んだ。ステラはナギの想定よりも理解力に乏しかったようで、神のなんたるか、祈りのなんたるか、魔術のなんたるかを伝えるのにかなりの労力を割いた。


「だ~か~ら! 確かに神は実在しませんよ!? でも本当に居ると思って祈るのが大事なんですよ!」

「なんだよそれー! どっかには居てくれないと困るだろ! ふわっとしすぎなんだって!」

「うむむ……! 例えば、例えばですよ! 枯れた大地に降った恵みの雨とか、ぞろ目で揃ったサイコロとか、お金に困ってるときにたまたま500ベラドを拾ったとか! それくらいでいいんです。そういう些細な幸運に神の存在を感じようって話ですよ!」

「些細なこと、幸運……」

「魔術でも同じですよ! 自分の力だからって当たり前に出来ると思っていても、本当は魔力と自然の仕組みが噛み合って、奇跡的に出来ていることなんですから。つまり、祈りの思いが強い人が良き魔術師になれるんです! 昔々の魔術師達は、星をかたどった陣に祈りを込めて魔術を行っていたと言います。すなわち——」


 ナギは窓を勢いよく開けて、満天の星空を指さした。


「『星に願いを』ッ!」


 夜の月と、煌々と空に遊ぶ星達。それらはナギの指さしに気付いたのか、一層その輝きを強めている……かのように見える。

 だが、魔術に疎すぎるステラにはその有難さを理解できなかった。胡散臭そうに眺めて、右から左へとナギの説明を聞き逃すだけである。


「嘘だ……まさかステラがここまで馬鹿だなんて……」

「酷いぞ、今のは完全な悪口だ! 俺だって真面目にやってるんだからなー!」

「そ、そもそもですよ! どうしてステラは魔術師なんて名乗ってるんですか。ハナから技の一つも使えないのに」


 ナギの質問にステラがたじろいだ。


「そ、そりゃあ……これでも一応、師匠の存在をなんとなく覚えてるからさ。俺には魔術を教えてくれる師匠が居たんだ。その人に拾われて、何年かを共にした。それだけは確実に憶えているさ。——顔と名前はスキルの代償で忘れちゃったけど……」


 ナギはキャラバンで彼と会話を交わした時、挨拶として互いの師匠の名を告げたのを思い出す。その後にスキル『最速』を使い過ぎた代償で記憶を無くしてしまったので、今のステラには無い記憶だ。

 挨拶代わりに師匠の名を明かし合うはずだったその場で、ナギはカリプソ・トンプソンという魔女の名を出し、一方のステラは「忘れた!」と言って答えなかった。


「自称最速の魔術師ステラ・テオドーシスの師匠……果たしてその人も本当に魔術師なんですかね?」

「んなっ! 失礼だぞ! 俺の師匠はきっと凄い魔術師なんだよ。大魔女的な、たぶん半端ない、ものすっごい魔術師……」

「ステラ? どうしたんですか」


 記憶を掘り返すようにして、ステラが少しずつ身をかがめた。あと少しで何かを思い出せそうな、そんなもどかしい感覚がすぐそこにあるという風に、とても苦しそうな表情をしている。

 その時脳裡にうっすらと浮かぶのは、過負荷の代償、デメリットの『記憶抹消』でも消えなかった過去の記憶たち。


『故郷、友、かけっこ、星……いや、あれは——』


「……太陽」

「太陽? 太陽がどうかしたんですか」

「いや、ちょっと思い出しただけだ。昔の記憶だよ。幼い頃に見た、光輝く景色……」

「あーそういえば最初にそんなこと言ってましたっけ。掴みどころのないヘンな話でしたけど。でも、そう何度も思い出すってことはもしかしたらよっぽど重要なことなんじゃないんですか?」

「うぐぐ……も~駄目だ! これ以上思い出せない! ぐああ~~っ!」



 ベッドにへたり込み、ステラは溶ける様な声を上げた。二時間以上にも及ぶ座学もとい口喧嘩は、元々疲れていた彼に更なる疲労を与えていたようだ。今にも寝てしまいそうな彼の様子を見て、ナギも自身の眠気をようやく自覚する。


「それじゃあ授業の続きはまた今度にしましょう。次はもう少し分かりやすくしますから……」

「うん……そうだねぇ……」


 やがて、ステラはゆっくりと眠りの世界に誘われる。寝息が少しずつ部屋の中に響いてくるのを聞き届けると、ナギは彼を起こさないよう小さな声で呟いた。


「おやすみなさい、ステラ」



 ズズズ、ズズズ……


 何かを引きずる音が聞こえる。ナギは微睡の中でその音を認識した後、続いて尻辺りの衣服が地面と擦れていることに気が付いた。


「はっ! こ、これは一体!」

「お目覚めですか、旅人さん」


 目を覚まして最初に聞いたその声の主は、工場長の男であった。辺りは真っ暗で、自分達が眠りに落ちてまだ数時間と経っていない事が分かる。

 男はステラとナギの首根っこをそれぞれ片手で掴んで、引きずりながら運んでいた。ナギは即座に抵抗しようとしたが、手足が縄で縛られており身動きが取れない。


「……ギ! ナギ……!」

「……! ステラ、起きてたんですね……!」

「寝たフリだ、寝たフリ作戦だよ……! これで隙を突くんだ!」

「丸聞こえですよ、お二人とも」

「うげっ!」

「まあまあ。そう身構えないでください。我々の豊穣祭に招待するだけですから」

「豊穣祭ってこんな物騒なお祭りだったかなあ」

「それも見ればわかりますよ」


 引きずられていた為、見上げる形でしか男の顔を覗くことができなかったが、ステラはふと疑問を抱く。


「そういやオジさん、名前は?」

「ターレムと申します。何を今更?」

「お祭りに招待してくれるんだ。名前くらい聞いても良いだろ? 俺達はステラとナギ。よろしく」

「ちょっと! これがそんな呑気な状況に見えますか! 僕達たった今誘拐されてるんですよ!?」

「面白いお方だ。しかし生憎、私達はあなた方を。何せ蘇らせてもらった身ですから。生前の記憶、情報という限られた範囲でしか会話ができないのです」

「ど、どういうことですか……?」


 しかし、困惑するナギとは別に、ステラはどこか腑に落ちた表情をしていた。少しして目的地についたのか。男は掴んでいた首根っこを手放して二人の縄を解いた。


「いいの? このまま逃げちゃうよ?」

「どうぞお構いなく。どうせ周囲は結界が張られており逃げられません。わざわざ縛ったのは、この工場まで安全にご案内がしたかったからですよ」


 立ち上がって二人が向き直ると、正面には入り口が閉ざされた工場が在った。佇まいはさながら眠った怪物であり、その大口から中に入れば二度とは戻ってこれないような、そう思わせる雰囲気を醸していた。


「この建物は、1970年、機械工業で栄える小さな町『オルディンガータウン』で唯一の工場です」

「あえて指摘するけどさ……今は2022年だよ」

「ああ、失礼。あなた方にとってはそうなのですね。しかし、我々の世界はこの中だけだ。この空間だけは1970年なのですよ」

「……ステラ、周りの様子が変です。何かが、この近くに大量にいます」


 その感覚は非常に奇妙だった。鳴き声も足音もしないのに、存在だけは感じられる。


「このようなことになってしまい、本当に申し訳ない」


 ターレムは粛々と謝った。そして、弁解のような内容の言葉を続ける。


「我々はあの方に蘇らせて頂いた、ただのなのです。なのでこの行動の意思の殆どはによるもの。騙してしまうような結果になり、心苦しい限りです」

「ゴースト……! ぼったく……いや、ベラ爺が言ってたモンスターですよ!」

「……ターレムさん。一体俺達に何をする気なんだ?」

「心苦しいですよ。ええ。私達はあの事を悔いています。平和なオルディンガータウンでは誰一人、彼女を救うことが出来なかった」

「彼女?」


 ターレムが工場の中へと進む。暗闇の中で彼は振り返ってステラの疑問に答えた。


に……この田舎町は一人の少女を死に追いやった。少女はその出自から、魔術についてかなりの素質があったのです。なので、少女の『親』を嫌う者や子ども達から、残酷なまでに偏見の目を向けられておりました。忌々しい、あの子どもは魔女だ、ヘンな子だ、とね」


 羅列されたその言葉の一つに、ナギは強い心当たりがあった。冷や汗が頬を伝って落ちる。闇が蠢く気がした。


「だから、少女はその果てに、あの禁忌の魔術『ネクロマンス』に手を出してしまったのです。あの恐ろしい魔術を……ああ!」

「『ネクロマンス』……禁忌の闇魔術の一つ。遥か昔に禁じられて以降、歴史からほぼ抹消されかけている幻の術ですよ」

「知ってるのか、ナギ」

「大学の禁書リストに載っていたので、記憶に残っています。でも、才能があるからって誰でも扱えるような術じゃないですよ。相当な恨みつらみ、憎悪の念が無いと、こんなこと……!」


 二人がターレムの話に恐々としていたその時。ぎいぃ、と何かが開かれる音がした。それは『はいるな!』と書かれた鉄の扉から発したものだ。

 ひたひたと皮膚が地面を叩く。暗がりにうっすらと輪郭が生まれ、何者かがそこから出てくるのだと二人は察した。


「罪は目に見えないモノ。だから、どれだけ優しく思えても本当のことは分からない」


 満月に相応しい、聞き心地の良い声がする。


「神は眼に見えないモノ。だから、どれだけ素晴らしく思えても本当のことは分からない」


 その声色は微笑を携えていた。少女の声が語っている。


「五十年前。私は不遇に耐え兼ねて自らの命を断とうとした」

「君は……!」

「でもあの人が助けてくれたのよ。を名乗る人が私の目の前に現れて、禁忌の魔術を教えてくれた。彼女は私に味方だと言ってくれたから、その言葉を信じて、この町でネクロマンスを発動したの」


 ひた、ひた、と裸足の少女が姿を表す。魔女然とした黒いローブに、ニヒルな笑みを浮かべた可憐な顔。その黒髪とおかっぱ頭はナギにとって印象的だったので、すぐに思い出すことができた。


「けれど、そのすぐ後に『タツガシラ』の連中が私を封印したわ。だから今夜は貴方達の手を借りて封印を解くの。旅人を惑わす為に用意した結界ももう要らない。外に出て月光を浴び、思いっきり暴れてやるわ」


 うふふ、と繊細な笑い声が零れると、少女の眼が二人を見つめた。


「初めましてステラ・テオドーシス、そしてごきげんようナギお姉ちゃん。私はアズ・オルディンガー。この町を操る『魔女』よ」

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