第15話 ナギと少女
「はぁ、はぁっ! ああぁ、づかれだ~~!」
「へへ、お姉ちゃんおそ~い!」
大粒の汗が額を流れ、頬を伝い、あご先から弾むように落ちていく。生来運動が苦手なナギは、子ども達に誘われてかけっこに興じるも、自身の体力不足を痛感する羽目に会っていた。
「くっそぉ~~、スキルが使えれば追いつけるのに……」
「スキル? なにそれ」
「な、なんでもないですよ! えへ、えへへ」
魔術師であるということ。この町でそれを明かすのはあまり歓迎されるものではないと、二人が最初に察したことである。
機械工業で発展した町では魔術師のような、大掛かりな工程などをたった一人でやってのける存在は疎ましく見えるものだ。もしこの町で過去に魔術師絡みの因縁が残っているのだとしたら、その憎悪が自分達に向けられてもおかしくはない。
それでも、共に駆ける子ども達は底抜けに明るく素直である。大人たちは朗らかに笑い、汗水を垂らして一日の労働をこなしている。誰も彼もが幸せそうで、きっと順風満帆とはこのことを言うのだろう。
そんな平和な町『オルディンガータウン』では余所者の自分達も手厚く歓迎される。その中で唯一、魔術師という事実が懸念になり得るのだ。まだあくまで疑惑の段階だが、それならば初めから口に出さないのが吉と言えるだろう。
迂闊に口を滑らすまいと、ナギは襟を正した。
「もっと遊ぼうよ、お姉ちゃん!」
「でも、もう夕暮れ時ですからねえ。早く帰らないとお母さんが怒っちゃいますよ~!」
「わ、ほんとだ!」
一人の子どもがそそくさと踵を返したかと思うと、脱兎の如くその場から走り去った。それに釣られるようにして、他の子どもも大急ぎで帰路についてゆく。
「ん?」
その時、ナギは森の木々の間に子どもの影を見た。はぐれた子どもか、あるいは迷子だろうかと思い、急いでその影を目で追う。
「お姉ちゃんどうしたの?」
「誰かはぐれてますね。あの子はお友達ですか?」
「ん~……友達じゃない」
「ヘンな奴」
「ヘンな子!」
「なっ……こら! そういうこと言っちゃ駄目ですよ! と、とりあえず僕が行きますから、君達は先に帰っててください」
子ども達は言われた通り帰路に戻り、悪びれもなく背中を見せて帰っていった。その内何人かが放った「ばいばい」という声が掻き消えた頃、ナギは木々の間で揺れるその人影にゆっくり近付く。
「みい~つけた!」
「きゃっ!」
ナギが木陰に飛びつくと、繊細な声が小さく弾んだ。覗いてみると、そこに居たのはおかっぱ頭をした黒髪の少女だった。線の細い可憐な顔立ちに、立ち振る舞いが非常に大人しい。
すると、少女はナギの様子からそれが遊びだと分かったのか、木を間に挟んでちらりと顔を覗かせた。まるで遊びの続きを望んでいるかのように。
「えい!」
「ふふ、こっちだよ」
「中々すばしっこいですね……とりゃ!」
「ふふっ!」
「うむむ……とおっ!」
ナギは踏み込んだ方向で身体を転換させ、フェイントをかけて木の反対側に飛びつく。少女はそれにまんまとかかり、ナギの腕の中に捕まってしまった。
「ああ、捕まっちゃった」
「ふう! 僕の勝ちですね、ええと——」
「あ……えっと、『アズ』。私の名前」
「アズちゃんですね。僕はナギ・トルーサーです! そろそろ暗くなりますから、皆と一緒に帰りましょう」
「で、でも……」
アズが躊躇したように後ずさりした。
「私は皆と違うから」
「違う? そんなことないですよ。アズちゃんは普通の女の子じゃないですか。早くおうちに帰りましょう? ほら——」
しかし、それでも少女の様子は尋常ではなかった。ナギにはそれが先程の子ども達の反応と関係しているのだと理解できた。恐らく「ヘンな子」だと指をさされていたのを気にしているのだろうと。
返事を待つナギに対し、アズが弱気な声色で言った。
「ナギお姉ちゃんも、ここの人とは違うわ」
「えっ? そ、そりゃあ僕は旅人ですから……」
「じゃあどんな旅人? 職業は?」
「うぇ!? え、えーっと……」
自分は魔術師だと明かすのは憚られた。言うべきか否か。ナギが頭を悩ませ目を泳がせていたその時、突如、その隙を突くようにしてアズが走り出した。
「どこに行くんですか!」
「工場!」
思わず訊ねたナギに振り返ると、少女はそれを指さして答えた。
その指先が向いたところでは、工場が徐々に夕闇に飲まれようとしている。間もなく日が暮れ、夜が訪れるだろう。
いつの間にかアズは再び駆けだして草むらの中を走り抜けた。道なき道を危うげなく通る様は、間違いなく土地勘に優れたこの町の人間だと断言できる。
であれば、何が皆と違うのだろうか。一体何が彼女とそれ以外の子ども達の間に壁を作っているのか。ナギには皆目見当もつかない。
街頭がぽつぽつと灯り始める。暖かな光がナギの居るところにも届いた。このままでは真っ暗になってしまう。そう思うと彼は足元がおぼろげなまま、少女の後を追いかけるしかなかった。
☆
ステラが工場の入り口を覗くと、そこではまだベルトコンベアがけたたましい機械音をあげながら、沢山の部品を運んでいた。
工場内は列を為したコンベアが幾つも並んでおり、一目見ただけでも圧倒される壮観さだ。ステラは中に入ってじりじりと先を進む。
「あれ……? 一つだけ動いていないコンベアがある」
「おやおや、旅人さん。ようこそオルディンガータウンの機械工場へ。どうかされましたか?」
工場長らしき装いをした男が、工場の物陰から現れた。
「あのレーンだけ動いていないんだ」
「ああ、あれなら昼頃からあの調子で。現在修理工を呼んでいるところです」
「ふぅん……ここでは何を作ってるんだい」
「ここでは『神意の針』と言う機械のパーツを作っているのですよ。クレルモンの裁判所で実装される予定なのです」
「神意……ねえ」
「我々もどういう仕組みか詳細までは知らされていないのですが、どうやら人の思考を読み解き、その人が真実を話しているか否かを判別できるのですよ。はは、胡散臭いでしょう」
「だねぇ。魔術でも組みこまれ——」
しまった、とステラが口を塞ぐ。しかし男は聞いていなかったのか話は続いた。
「元々は魔電報という名前の無線設備を作っていたのですが、小さい部品しか作れないのがこの工場の欠点でしてね。技術革新の波に中々乗れず……おや、どうかされましたか?」
「い、いやいや! なんでもないよ。そうか、不景気だねぇ、しょうがないよね~」
「は、はぁ……?」
カタン、コトン、カラン……
列を為すベルトコンベアの奥深く。暗闇がかかったその影の中で何かが動く気配がした。
目を凝らすと、子どもくらいの大きさの人影がコンベアの間を横切るのが見えた。ステラはそれが先程まで自分が追っていたものだと悟る。
「誰かいるのか?」
「おや旅人さん。どうかしたのですか」
「向こうに子どもが居るんだ。コンベアはまだ動いているし危ないだろ」
「しかし……誰も見えませんがね」
その言葉に構わず、ステラはベルトコンベアの物陰を手前から順番に覗いた。
一つ目、二つ目、三つ目……すれ違わないよう、一つずつ丁寧に確認していく。
「もう暗いから、帰りなよ~……」
「旅人さん、そろそろ時間ですので機械を止めますね」
四つ目、五つ目……。がこん、とコンベアの駆動音が止み、物音がはっきりと聞こえるようになった。
カツ、コツ……。何か固いものがコンベアのそこら中にぶつかる。人が物陰を行き来する音だった。
その音は徐々にステラの下に迫り、大きくなっていき……。
「わあっ!」
「うおっぷ! ——って、ナギじゃないか! 何してたのさ、こんな所で……」
コンベアの物陰から勢いよく迫ってきたのは、戒杖をそこらにカツカツとぶつけて屈みながら進むナギだった。彼のほうも何かを探していたのか、辺りを落ち着かない様子で見渡している。
「女の子見ませんでしたか? 工場の方に行ったんですけど……」
「俺も人影を追ってここまで来たんだ。けど、今は気配もないけど……」
「お二人とも。そろそろ工場を閉じますので見学はこのあたりで終わりましょう」
「でも——」
「女の子なら町に降りたと思いますよ。ええきっと、そうなのでしょう」
「……そうですか」
「ナギ、あれって……」
『はいるな!』
男の背後にはドアがあり、子どもの粗雑な字でそう大きく書かれていた。それは鋼鉄の作りに、何かを閉じ込めるような重厚な佇まいが相まって強烈な威圧感を放っている。
しかし最も奇妙なことには、そこまでの存在感を醸すドアに対して二人は今の今まで全く気が付かなかったのだ。
「工場長さん、これ——」
「そこは立ち入り禁止ですよ。書いてあるでしょう?」
「……分かったよ。ナギ、そろそろ帰ろう」
「はい……ん?」
男の頑ななその様子に二人は折れるしかなかった。しかしナギが最後に工場の中を振り返った時、コンベアの一つがぎぃぎぃ音を立てているのに気付く。
「あのコンベアだけ動いてますよ。他のは止まっているのに」
「ああ。壊れているのですよ。電源を落とせばそれだけ動いて、電源を付ければそれだけ止まる。扱いづらいものです」
「直さないんですか」
「昼頃から壊れまして。それからずっと魔電報を送っているのですがなかなか町に届かないのですよ」
「はっ……それなら僕が送りますよ! 僕の『トルーサー』の名前を使えば、クレルモンの局にもきちんと届くはずです!」
「そ、そうなのですか。いや、しかし……」
「遠慮しないでください。一刻も早く修理屋さんが来るように連絡しますからね!」
ナギが押しつけがましく宣言すると、今度は男のほうがナギの厚意に折れた。
この町の人々は困りごとがあればあちらの方から解決してもらおうと尋ねてくるが、この時の男の対応はステラには奥手に見えた。
「ステラ、そろそろ宿に戻りましょうか」
「え? ああ、そうだね。工場長さんも今日は見学させてくれてありがとう。勉強になったよ」
苦い顔のまま男は「はぁ」と会釈をした。その表情こそ何かに困っている様子だったが、ステラはあえてナギの厚意を止めることはせず、宿屋へと向かった。
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