第9話 基地の仲間達

「ジャミアは何か隠し事をしていると思う。それが気になるんだよな~」

「そ、そうですね」

「そりゃ盗賊は勿論撃退するよ? でもあんなに羽振りよくされちゃ不安になるからさ……やっぱり魔術師が嫌いなことと関係があるのかなぁ。でも嫌いなら羽振り良くしないよな……」

「ええ、そう思います……」


『ステラは時々鋭い。『最速』で走り回るせいで目が良いからなのか、人のこともよく見ている。観察している。誰も気付かないような感情の機微に気付いてくれる』


 ジャミアから依頼され、一週間基地内に滞在することになった一行。

 二人は現在月光が差し込む客室の中、ジャミアの行動の真意について語っていた。しかし、ナギの方は考え事に囚われてずっと上の空である。


『だからこそ、キャラバンでも僕の悩み事を見抜いていたし、記憶を失っても僕の味方で居てくれたんだ。きっと皆に好かれるタイプ。――でも、そんなステラが他の人に親切にしてる所を見るのは、なんか……』


「うああ~~! なんかモヤモヤするぅ~~……」

「なんの話? ってか聞いてる?」

「こ、こっちの話です! ふん!」

「えぇ……」


 二人がやりとりをしていると、コンコン、と軽いノック音が戸外から響いた。「どうぞ~」とステラが気の抜けた返事をすると、その扉は遠慮がちに開かれる。


「えっと、貴方は確か……」

「どうも。ここの調査員のシーファです。ほら、魔術を見せて下さったでしょう? あの時の——」


 現れたのは、ジャミアとは対照的なまでに物静かで、おっとりとした佇まいの女性。彼女がその薄いピンクの長髪を揺らす度に、部屋の中に花の香りが満ちていく。

 その匂いについつい惚けてしまった二人に構わず、シーファは手に持った盆を見せた。


「折角のお客さんなのに、ばたばたしていてろくにおもてなしも出来なかったですから……甘味はお好きですか? ココアとお菓子を持ってきたのですが……」

「やったぁ! 俺甘いもの大好きなんだよね~っ!」

「あ、コラー!」

「うぎぃっ!」


 ステラがまるで彼女に飛び掛かるようにして盆に食いつく。すると、それにナギは勘違いを働かせてつい咄嗟のスキル『調速』を発動させた。


「い、いきなり女性に、と、と、飛びつくなんて……! ってあれ?」


 ナギの『調速』はステラの身体から速さを減らし、それにより彼は空中でものの見事に強制停止させられていたのだ。ワイヤーにでも縛られたかのように、彼は身動き一つ取れないでいる。

 間抜けな姿勢のまま、ステラは悲しそうな眼で訴えた。一方でシーファは何が起こっているのか全く理解できていない様子だ。


「酷いよナギぃ~、お菓子食べようとしただけなのに……」

「す、ステラさん? これは一体何が起きているのですか……?」

「あっあはは……えっと~……」



 その後、状況を説明するために魔術やスキルについてかいつまんでシーファに話した所、彼女は眼を輝かせながら話に食い入った。

 大学時代、ジャミアに憧れて同じ仕事の道を選んだというシーファは、彼女のことを「先輩」と呼びながら今も慕っている。それから今日まで長く調査員として活動していた彼女にとって、外の世界の話はなんでも真新しく、興味深かった。


「――そして、僕がヴァンドーに『調速』を付与して地平線まで走らせたんです!」

「まあ! 意地悪なんですね、ナギさんって」

「俺が言わなきゃ止めてなかったでしょ、アレ」

「えへへ……」


 楽し気な会話が過ぎて、ふとナギは抱いていた疑問を思い出した。


「……そういえば、どうしてこの基地が盗賊に狙われているんですか。基地が目当てなら無理矢理乗っ取ればいいのに」

「確かに。嫌がらせばかり受けてるって言ってたね。もしかして『人』が目当てなんじゃないかな? 奴隷を売り買いする商人も居るって聞くし」

「な、何故って言われると……それは私にも分からないです。もしかしたらジャミア先輩が……」

「あのジャミアが奴らの狙いなの?」

「い、いや! もしかしたらですよ? 何の根拠もないですけど……でもジャミア先輩が絶対に基地は渡さないって、いつも死守してくれているので私たちも出来る限り応援したいと思ってます。それは確かです。まあ、先輩以外戦えないんですけどね……」

「でも彼女って——」


 ステラはジャミアについての詳細を尋ねた。聞くに、彼女は魔術師としても随一の才能を持っており、本来大学では魔術学を学ぶつもりだったという。魔術嫌いとあれば想像のつかない一面だが、その才能は地雷原などに遺憾なく発揮されている。


「でも待ってください。そもそもジャミアさんって何者なんですか。ちょっとやそっとかじった程度じゃ魔術と爆弾兵器を組み合わせるなんてこと出来ないですよ、普通」

「先輩——ジャミア・ロックスは、ロックス家という魔術師一家の生まれなんです。生まれた頃から魔術師として育てられてきました。血筋、知識、才能、環境……どれをとっても一人前になって当然って感じで……彼女自身も、子どもの頃は魔術師を強く夢見ていました。でも、後になって魔術師と同じくらい成りたいものが出来たんです」

「それが生物学者、か……」

「はい。当然魔術師の道を歩んで欲しいと願う両親とは激しく対立して、魔術の道は諦めてしまいました。お二人にはきつく当たっているように見えますけど、そういう背景があったので、魔術に関して複雑な思いを抱いているんです。——あの、これって本人にとってはあんまり良い思い出じゃ無いと思うので、先輩には私が言ったこと内緒にしていてくださいね……?」

「ああ、分かってるよ」


 談話はその後も続いた。ステラは場の空気を変えようと再び自分の魔術を披露したが、相変わらず小さな火や僅かな水滴、そよ風や静電気を発するくらいで、それらはまさに手品のようだった。

 ナギが意地悪そうにステラをからかい、シーファは仲の良い二人を見て微笑む。空気は一変し、やがて会話に笑いが混じると、盆の上の菓子はいつの間にか無くなっていた。


 ——夜の風が吹き、部屋のカーテンを揺らめかせる。運ばれた空気の冷たさは、夜が一体どれだけ更けてしまったのかを教えてくれた。


「あら、話し込んじゃいましたね。そろそろお開きにしましょうか」

「そうだねぇ。俺も眠たくなってきちゃったよ……」


 二人が食器や盆の片付けを手伝おうと動き出したその時、シーファが何か言いたげにして落ち着かない様子を見せた。


「どうしたんですか、シーファさん?」

「えっとね……本当は今晩、ちょっとしたお願いごとがしたくて尋ねに来たんですけど、言いづらくて」

「頼み事なら任せてください。次に『鷹の鉤爪』が来るまで一週間お世話になるんですから、遠慮しないでくださいよ」


 シーファは「それじゃあ」と顔を上げると、その綺麗な瞳でおずおずと切り出した。


「大したことじゃないんです。ただ、お二人に『ジャミア先輩の魔術嫌いをどうにか改めさせてほしい』な、って……」

「ど、どうして僕たちに?」

「貴方達が言うと逆効果かもって思うでしょうけど私はその逆で、変えられると思うんです」

「無理にそんなことする必要ないと思うけどなぁ。もしかして君も彼女の親同様、魔術の道へ進んで欲しいってクチかい?」

「……いいえ、全てジャミア先輩を思ってのことです。――彼女は今立ち止まっています。自分でもどう向き合えば良いのか分かっていないんです。地雷原に術式を組み込むのも、自前の銃に魔術武装を施すのも、私の目からは未練を抱いているように感じてなりません」

「応援は良い事ですけど、ジャミアさんが望んでいないことを僕たちがするのは……」

「これ以上迷っている先輩を見たくないんです。彼女のしがらみを取り除く為に、どうか……」


 二人は鷹の鉤爪を撃退させた後の、ジャミアの様子を思い出す。羽振りよく衣食住を提供しながらも、彼女の表情は曇っていた。ステラが大声で勝利を宣言した時はわずかに笑ってみせたが、空元気だと言われればそれまでだ。

 ――二人は思った。彼女の心には迷いがある。気前の良さは基地を手放す前触れだと予見したステラの不安も、先のシーファの話を聞けば少しずつ現実味が増してくる。


「分かったよ。それならこの最速の魔術師ステラ・テオドーシスと――」

「え!? えっと、ちょ、調速の魔術師ナギ・トルーサーにお任せください!」

「まぁ! ありがとうございます!」


 自分達に何が出来るかは分からない。しかし、頼まれたとなれば邪険にすることは出来ず、であればやれるだけのことをやろう、と二人はどんと胸を叩いて言い切った。



 ジャミア・ロックスから『アームルート』での雑務を請け負った翌日。

 ステラは早速倉庫の荷物整理を手伝っていた。ギラついた日光に晒されない屋内はとても快適で、ついついサボりがちになっている。


「銃やら火薬やらが沢山……盗賊対策なのかな」

「よぉ魔術師、サボりか?」

「うひょわ!?」


 倉庫の入り口から褐色の巨体を見せたのは、調査員の一人であるバーモントだった。いかめしい図体に似合わず、丁寧に荷物の隙間を通り抜けるとステラの仕事を手伝い始める。


「昨日の魔術……ありゃあ凄かったぜ。ジャミアの奴以外のは見たことなかったが、あんなに綺麗なもんもあるんだな」

「そりゃどうも。本人にも伝えとくよ」


 自分の魔術については触れられなかったのを少し気にしながら、ステラはふとジャミアの魔術について疑問を抱いた。


「あれ? 彼女が君たちの前で魔術を使うことはあるの」

「盗賊の撃退の時くらいだけどな。なんせ炎や爆発ばかりだからよ。俺はてっきり魔術ってえのは過激なもんばかりだと思ってたぜ」

「出力が高くなればなるほど威力が上がるからね。魔術を知らない君の目でも過激に見えるのなら、それだけ彼女の術が優れているってことなのかもね」

「そうかい。そりゃ部下として誇らしいね」

「ってか、そういう君は戦わないのか? 見たところ屈強そうだけど……」

「ハッハ! 俺はインテリでな。この筋肉は飾りさ」


 白い歯と逞しい上腕二頭筋を見せて、バーモントは笑った。あまり説得力は無いが、ステラはあえて突っ込むことはしなかった。


「そういえばジャミアはこの時間に何してるの? 朝から見かけないけど」

「アイツは研究熱心でな。一人で砂漠に赴いて調査活動をしているよ」

「君達は一緒に行かないのか」

「そりゃ行くさ。だがアイツは俺達が休んでる間も働いている間もずっと調査と研究なんだ。それだけ仕事熱心なのか、単に生物調査が好きなのか、それとも気でも紛らわせてんのか……」


 バーモントは思い当たる節があるように言葉尻を濁すので、気になったステラは少し考えてから尋ねる。


「やっぱり君もジャミアについて思うことがあるのかい」

「うん? な、何の話だ?」


 その時初めて、シーファからの頼まれごとを明かした。彼女からの「魔術師嫌い、ひいては魔術の道の悩みを解決して欲しい」という依頼はとても抽象的で難しいものだったが、それでもこの基地に滞在する調査員全員が共通の感覚を抱いていたようだ。ステラがそのことを話すと、バーモントは項垂れながら喋り始めた。


「俺は……どっちでも良い。好きなように振る舞えばいいさ。ロックス家は厄介な連中だが、それでもジャミアの選んだ道なら必ず応援してくれるだろう」

「ふうん。いかにも知ってる風だね」

「あっ……はは! 想像で言ったまでだ。詳しくは知らねえ。ま、俺はこの基地に終末が訪れるその時まで黙々と仕事をするまでよ!」


 白い歯を見せながら、バーモントは豪快に笑ってみせた。そして幾つかの荷物をその逞しい両腕で抱えると、そそくさと倉庫から出ていった。



 ――アームルートの見張り塔、ジャミア・ロックスの書斎にて。

 ナギは部屋の片づけを頼まれており、書類や書物を本棚から引き抜いては、言われた通りにとある作業を行っていた。

 それは『書類の文字情報等を読み込んで魔術回路に組み入れる』という、所謂『データ化』の作業だった。


「ええっと、オイカワさん。これはどうやって扱うんでしたっけ……」

「そこにある鏡をジャミアさんが作った魔力内包のインクで浸して、少し乾かしてから写したいページと鏡面を合わせるんだ」


 特殊な色彩を放つ玉虫色のインクが入った壺を指さすと、眼鏡に白衣を纏った青年の調査員、オイカワはテキパキと自分の作業に戻っていった。


「本当にこんなもので書いている内容が保存されるんですか?」

「勿論! その機械はジャミアさんが発明した傑作だよ。ちなみにインクは強い衝撃を与えると爆発しちゃうから気を付けてね」

「ははっ、面白い冗談ですね。そんなこと起きる訳……」


 ナギはそう言って一笑に付そうとしたが、オイカワが一つも顔色を変えなかったのを見て、すぅっと血の気が引いてしまう。


「――そういえばシーファから聞いたよ。ジャミアさんを説得するんだって?」

「ええ……どうすればいいか分からないですけど、なんか、僕たちが適任らしくて」

「それじゃあ彼女の身の上話も聞いたんだ。まあ僕も詳しいことはあんまり知らないんだけど……」


 ジャミアの抱える悩みも、オイカワ含め基地の調査員全員がそれなりに把握しているようだった。

 魔術師を知らないオイカワに、ナギは自身の知り得る限りの『魔術師界隈の諸事情』を説明する。


「その、魔術師って基本的に偏屈で、理屈っぽくて、プライドが高い生き物ですから……」

「そ、そうなのかい?」

「そのうえ権威主義的で、ムカつくし、融通きかないし、ケチだし……っ!」

「なんか、個人的な意見も入ってない……?」

「ごほんっ! とにかく、ジャミアさんの親もそういうタイプの魔術師だったのかもしれません。僕も大学にいた頃は息苦しくて仕方ありませんでしたから……」

「えっと……そういや確か今は二十歳はたちなんだっけ」

「は! そうですよ! 見た目は子どもでもれっきとした『オトナ』なんですからね!」

「そんなに念押ししなくても信じるよ。確かスキルの代償効果なんだってね」


 ――『スキル』。それは魔術を極めたものが授かる超常的な能力であり、魔力を使わずに発揮させることができる。

 その能力の種類は多種多様であり、魔術の基礎となる火・水・風・雷・光・闇の六属性に関するものもあれば、ステラやナギの速さを底上げさせるスキルのように、想像のつかない超能力じみたものも存在する。

 およそ二十年前に突如発見された異能――『スキル』は、魔術界に更なる発展と神秘性を与えることとなる。ナギが大学時代に感じた魔術師の陰険な性質は、そうした界隈の大きな前進から生じた『驕り』によるところが大きかった。


「スキルというものは使用しすぎると過負荷で代償効果が発生するんです。僕の場合は『成長率低減』……つまり、その、将来的に背が伸びなくなるってことなんですが……」

「ちなみに、スキルって奴を授かったのはいつなんだい?」

「……十は、いや十七歳……」

「それってスキル関係なく元から背が――」

「あーー! そういえばジャミアさんってどんなスキルなんですかね!? 聞いたところ凄く優秀らしいのでもしかしたらもう授かっているのかも! 何か知りませんかねオイカワさん! ね!」

「あ、はは……僕はスキルとかよく分からないから知らないかな。いつも爆発ばっかり起きてるからその片付けを手伝っていたくらいだね……」

「そ~ですかぁ! それは仕方ないですね、うん! ……うん?」


 誤魔化すようにして作業効率を上げ、追求の隙を与えないようにしたナギだったが、ふと自身の視界に映ったそれを気に掛ける。

 それはオイカワが手を付けていた辺り――物が多く詰まった木箱であった。中には研究や調査をするのならばこれからも活躍をしそうな器具の類、何かの生物のはく製等が丁寧に詰め込まれている。


「ソレ、一体どうするんですか?」

「ん? ああ……ここら辺の器具は借り物だからね。そろそろ返却しようかと思って」

「そんな……! 僕たちちゃんと盗賊を撃退しますよ? ここでまだお仕事が出来るのになんで……」

「大丈夫大丈夫、これらのものは返却期限が近いから返すだけだよ。別にこの『アームルート』を去ろうって訳じゃないさ。ただ……うちはからね。色んな所から借りてやりくりしてるんだよ。運営元の大学は、魔術に関係のないことはあんまりお金を出してくれないから……」

「……」

「ああ、ごめん! お客さんに手伝わせた上にこんな話まで聞かせちゃって……そろそろ休憩にしようか!」


 気まずそうにした彼を慮って、オイカワは途中の作業を切り上げるとコーヒーの準備を始めた。苦いものが好きではないナギだったが、その親切の前では何も言わなかった。

 そうして休憩の時間に入ると、ナギは改まって質問する。


「ジャミアさんのこと、どう思っていますか?」

「じゃ、ジャミアさんを!? ぼ、僕は別に、良い上司だなーって……はは」


 頬を赤らめてよそよそしくなったオイカワだったが、ナギはそれには触れずに続ける。


「さっき聞いた限りだと、ここは余裕もないのに備蓄を報酬にして僕達を雇ってるんですよね。そんな彼女の振る舞いには、正直僕も違和感を感じてしまいます」

「あ、ああそのことね……確かにあの人は優柔不断というか、判断に困ったらとんでもないことをしたり、僕ら調査員じゃ想像もつかない方法で事件を解決させるから……」

「はは……問題児、なんですね」

「その為に僕やシーファ、バーモントが支えてあげるんだよ。僕らはあの人の大切な仲間だからね」

「でも、不安じゃないんですか? もしここが消えてしまったらとか、大切な居場所が無くなったらと思うと……怖くないんですか? 彼女の破滅的な振る舞いはそれに近付くものだと思うんです。なのに皆、不思議と余裕そうな感じがして……」

「ううむ……その様子だと、君も自分の居場所について悩んでたことがあるのかな」

「あっ、えっと……」


 ナギはその脳裡にステラを浮かべた。今は彼の隣が自分の居場所だ。もし彼に救われていなかったら今頃自分は……? いつか彼は自分の側から離れるのではないか……? そんなところまで思考を巡らせると、ナギは昨晩抱いていた不安の正体をようやく掴む。


「誰しも居場所はある。でも偶然が折り重なってそこを離れることがあったのなら、その時は、もうそこは自分の居場所じゃなかったってだけのことさ」

「……どういうことですか」

「そこがどれだけ居心地が良くても、いつかは離れる時が来る。だったらそれまでの間は楽しく過ごそうよ。それに、ジャミアさんならきっと良い方向に転んでくれるさ」

「……」


 眼鏡をくいっと持ち上げると、オイカワは先に休憩を終えて仕事場に戻った。ナギは一人座り込んで、虚空を見つめる。


『基地の皆とジャミアさん……良い信頼関係だ。じゃあ僕とステラはどうなんだ。ステラには明確な目的が無いからと僕の旅に付き合わせている。でも、実際にステラは僕のことをどう思っているんだろう……?』


 苦くて飲めないコーヒーは、その白い湯気をくゆらせては空中に消えるのを繰り返す。両手に収まるマグカップが、ただ物寂しい手の平をほんのりと温めていた。



 基地での暮らしはあっという間に過ぎ、気付けば一週間が経過した。ジャミアが初めに告げた約束の時刻、夕暮れ時まであと少しだ。時間になれば盗賊『鷹の鉤爪』が再び基地を陥れようとやってくるだろう。

 ステラとナギは盗賊を完膚なきまでに懲らしめた後、ジャミアを説得して基地での暮らしを続けるよう提案するつもりだ。

 なにせ迷う時間は多い方が良い。彼女の決断を急かし、判断を鈍らせる要因を排除して、今はゆっくり腰を落ち着かせる時間を作ろうというのが二人の考えだった。


「……でも、やっぱりまだ気になることがあります」


 陽は傾いて、辺りを朱色に染めようとする。ステラの裾を引きながらナギが言葉を零した。


「俺もだよ。ジャミアが俺達にしている隠し事は、なんとなく全貌が見えた。両親とのしがらみを越える為に苦労しているけど、それを俺達客人に悟られたくないんだろう」

「僕達が想像しているよりも根深い問題でしょうね」

「だけどそれが分かった今、今度は調査員の三人が怪しく見えて仕方ない。彼らも何かを隠しているよ」

「僕もそう思います……」

「けど、あんな美人シーファの頼みも断れないからねぇ。やるしかないよな~」

「……何惚けてるんですか? 突き落としますよ?」

「なんで!?」


 二人はアームルートの見張り塔で夕日に照らされていた。砂漠の風が一切をなびかせて事件の訪れを予感させる。鷹は風と共に遊んでおり、自由に砂漠の空を羽ばたいていた。


 ――その時、見張り塔の中から慌ただしい足音が聞こえてくる。その音は徐々に二人に近づいたかと思うと、次に汗だくの白衣の青年が飛び出した。


「ふ、二人とも! ジャミアさん見てない!?」

「どうしたんですかオイカワさん。凄い汗……」


 見張り塔の下層から駆けあがってきたのは、眼鏡と髪を乱したオイカワだった。彼は塔のてっぺんから身を乗り出して周辺を一望した後「居ない……」と小さく呟いた。


「な、何がですか?」

「ジャミアさんが、ジャミアさんが行方不明なんだ! 今朝一人で調査に行ったきり帰って来ていないんだよ!」

「なんだって?」


 普段のオイカワからは想像もつかないその慌て様に二人はことの重大さを感じ取る。砂漠を良く知る彼女ならば大した問題にならないかと思えたが、ここには様々な脅威が蔓延っているのだ。

 過酷な自然環境、狡猾無慈悲なモンスター、そして——


「盗賊……まさか、ジャミアは『鷹の鉤爪』達に攫われたんじゃ」

「そんなまさか! がそんなことをする訳……」

「えっ?」

「うん?」

「……あっ」


 ふと漏れ出たその言葉には、奇妙な違和感があった。向き直った二人に冷や汗を垂らすと、オイカワは不安げな笑みと共に眼を泳がせる。


「どういうことですか、オイカワさん?」

「あはは……しまったな」

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