⑨ マルス、無様に敗北する


【マルス視点】



「わざわざご足労いただいたのだ。イスに掛けたまえ。貴殿を歓迎するよ」


 そいつは不敵な笑みを浮かべながら優雅な足取りで俺の横を通りすぎる。だが、俺にえられた目は笑ってなかった。


 ゾッとするほど冷たい視線だった。骨の芯まで凍りつくような圧を感じるぜ。


「どうしたのかね? 座りたまえよ」


 とても敵う相手じゃねぇ。


 Cランクの魔物と1対1で戦うならレベル30は必要だ。


 それが推奨されているボーダーライン。


 つーか、そういう理屈を抜きにして、肌感覚で分からされちまってるんだ。


 自分が喰われる側の生き物だってことをよぉ。


 ヘビににらまれたカエルの心境ってヤツだ。


 立ち向かうだなんて選択肢は頭ん中から真っ先に消え去ったぜ。


 俺の脳内を占めてんのは、どうやったら五体満足で逃げ切れるかってことだけだ。


 背中にジットリと嫌な汗をかきつつ、俺は考えを巡らせる。


 頭の中でシミュレーションして、最適な手段を導き出そうと躍起やっきになる。


 その間にも、じりじりとり足で後退した。


 少しでもこの場から離れようという努力だ。


「おやおや? どうも貴殿は、吾輩わがはいに歓迎されたくなさそうな顔をしているな」


 ノーブルヴァンパイアから笑みが消える。


「吾輩がもてなそうというのに、無礼ではないか」


 低い声ですごまれ、心臓が止まりそうになる。


「礼儀を知らぬ者には、相応の罰を与えねばなるまい」


 ついにそいつは牙をいた。


「ちょうどいい。貴殿には我が偉大なるあるじへの供物となっていただこう」

「っ!?」


 速い! Cランクの魔物にふさわしい俊敏さだ!


 またたく間に肉薄された。


 そいつは俺の首を片手で締め、持ち上げた。


 ちくしょう! とんでもねぇ怪力だ! やっぱ能力値が違いすぎる! 歯が立たねぇ!


「脆い首だな。少々、力を込めただけで軋みを上げている。加減を誤れば折れてしまいそうだ。だが、ここで殺すわけにはいかない。我があるじは若い男の生き血でなければ口にしようとしないのでな」

「っ!?」


 若い男の生き血って……おい、さっきからこいつが言ってるあるじってのは、まさか【セレナーデ】のことか!? 魔王軍幹部で最凶最悪の!?


 人間の男を拷問してたっぷりといたぶって楽しんだあとに体中の血を吸いつくして殺してる残虐なヤツじゃねぇか!


「ふむ。面倒だが、このまま気絶させるとしよう」


 じょ、冗談じゃねぇ!


 ありとあらゆる苦痛を味わわされた挙句に死ぬなんざまっぴらごめんだぜ!


 俺は、空いている方の手を腰に提げた道具袋に突っ込む。


 円筒形のびんを取り出し、瞬時にフタを歯で噛みちぎるように開け、中身をぶちまけてやった。


「ギャアアアアアア!」


 飛散した液体が顔にかかると、ノーブルヴァンパイアは苦鳴を上げた。


 たまらず、俺の首をつかんでいた手を緩める。


「ゲホッ、ゲホッ! ……へっ、どうだ!? 聖水のお味はよぉ!?」


 こっちはヴァンパイアの弱点を知り尽くしてんだ。


 テメェらに対して効果覿面こうかてきめんなアイテムは一通りそろえてきたっつの。


 くくっ、ペチャクチャと俺の前で独り言をつぶやきやがってよぉ。


 そんな隙をさらしてっからこうなるんだぜ。はんっ、ざまみろ。


 っと、グズグズしてるヒマはねぇな。とっととズラかろう。


 Dランクのヴァンパイアと違って、こいつは強靭だ。


 聖水を一発ぶっかけたぐれぇじゃ目くらましにしかならねぇだろ。


 今のうちに全力ダッシュだ。


「おのれ、小癪こしゃくな小僧めっ! よくも吾輩の美しい顔に傷をつけてくれたな! 絶対に捕まえてやる! 逃げられると思うなよぉ!」


 地獄の底から発せられているような怨嗟えんさのこもった声が坑道の壁に反響する。


 ひぃぃぃ、おっかねぇ! チビッちまいそうだ。


 てか、少しチビ……ゲフンゲフン!


 と、とにかく必死に走らねぇと! 捕まったらお終いだ!


 俺は足がちぎれても構わないってくらいの覚悟で疾駆しっくした。


 出口までの最短ルートを駆け抜けていく。


「はぁっ、はぁっ! つ、次の三叉路さんさろは左で、その次の分かれ道を右に進んでいけば外に出られる! そうすりゃ助かる!」


 外に出ちまえばこっちのもんだ。


 なんせ、今は昼間だ。ノーブルヴァンパイアは日光の下だと弱体化するからな。すべての能力値がガクッと下がるんだ。追いつけねぇだろ。


 俺は後ろを振り返る。


 ヤツの姿は見えねぇ。


 どうやら、このまま逃げ切れそうだぜ。


 くくっ、なんだよ。拍子抜けだな。案外、余裕だったじゃねぇかよ。


 ビビッて損したぜ。


 やがて、分かれ道を右折した俺は安堵し、口角をつり上げた。


「うっし、このまま直進していきゃあ外だ!」

「遅かったではないか」

「ふぇっ!?」


 前方から声がして、俺は驚いた。上擦うわずった悲鳴が口からこぼれる。


「待ちくたびれたぞ。おかげでのどがカラカラだ」


 声の主は、出口から射しこむ光を遮るように立ちふさがっていた。


「だが、安心したまえ。吾輩は男の血など飲まんよ」


 遅かった? 待ちくたびれた?


 ……こ、こいつまさか!?


 すぐに追いつけたくせに、わざわざ遠回りしてまで出口付近で俺が来るのを待ち構えてやがったな!?


 俺が、もうすぐ助かるって安心してるところに現れて、絶望の底へ叩き落とすために!


 な、なんて趣味の悪いヤツだ!


 悪趣味なのは調度品だけにしとけよ、この野郎!


 と、怒鳴りつけてやろうとしたが、俺の口は動かなかった。


「あ……ああ……」


 膝が震える。息がつまる。声がうまく出せねぇ。


 体の底から湧いてくる怒りが、すぐに恐怖に呑まれて沈んでいく。


 自分の置かれてる状況がどうしようもねぇことを理解しちまってんだ。


 こいつを退かさねぇと外には出られねぇが、それは絶対に不可能だ。


 こいつにはもう、さっきと同じような手は通用しねぇだろ。


 もう一度こいつが油断してくれるはずねぇ。


 俺の心を諦念ていねんと恐怖が支配していく。


 とたんに、全身がわなわなと震えだした。


 やがて体から力がフッと抜け、カクンと膝が折れた。


 地面にペタリと座り込む。


 俺は、微動だにできなくなった。


 にわかに、股ぐらに生温かい感覚が広がっていく。


 視線を落として確認してみると、横に落ちている松明に照らされた地面に黄色い液体が広がっていた。


 ああ、俺……漏らしちまったのかよ。


「おやおや、こんなところで粗相をするとは。貴殿には礼儀作法というものが徹底的に欠落しているようだ。その辺の畜生にも劣っているのではないか? まことに、軽蔑に値するよ」


 心が打ちのめされているところに、さらに追い打ちをかけるようにノーブルヴァンパイアが口端をゆるめた。


「しかし、人間の恐怖に歪んだ表情というのは心を湧き立たせられるものだ。おそらく、貴殿らが絵画や工芸品を愛でる感情と似ているのだろう。……ふふっ、せいぜいそうやって情けない顔をさらして、我が主を楽しませてくれたまえよ。体中の血を吸いつくされ、干からびて息絶える最期の瞬間までね。フハハハハハハ!」


 人を心の底から見下しているような嘲笑ちょうしょうが耳に届いてくる。


 圧倒的な恐怖に加え、心の芯をえぐるような侮蔑の言葉を投げつけられ、恥ずかしさとみじめさで胸が押し潰された。



 ピチャッ



 ふいに、地面に広がる汚水に水滴が落ちて弾けたような音がした。


 自分の頬に生温かいものが伝う感覚がある。


「うぅ、ひっく……うわああああああん!」


 涙腺が決壊した。


 俺の瞳からボロボロと途切れることなく雫が溢れてきた。


 俺の泣き声が、しきりに狭い坑道の壁にこだました。







======================




 最後までお読みいただきありがとうございました。いかがでしたでしょうか?


「期待できそう」「面白い」「続きが読みたい」などと感じていただけましたら、フォロー&★★★(星3つ)の評価にて応援してほしいです。


 フォロー&星をいただけると喜びで筆がはかどります。最後まで書ききるモチベーションに繋がります。


 レビューを書かなくても星だけの評価を入れられて簡単なので、ぜひお願いします。下記リンクからどうぞ↓

  https://kakuyomu.jp/works/16817330649072270631#reviews


※ノーブルヴァンパイアに捕まってしまったマルス! このまま魔王軍幹部・セレナーデの餌食になってしまうのか!? 


 それは㉑まで読めば分かります。今後とも変わらぬお引き立てのほど、お願い申し上げます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る