第14話

アッケにとられながら、オレももう一度クッションに腰を落とした。

「カミラは、その、……オズワルド先生とよく会ってるのかい?」


「ええ、昔から、いろいろお世話になってるわ」


「は? 昔から……?」


「昔、アンタが悪さばっかりして、町の人からしょっちゅう家に苦情がきてたから。そのたびに、オズワルド先生に相談して助けていただいてたのよ」


「は? そんなこと、ぜんぜん知らなかった。なんていうか、……ゴメン」


「いいわよ、いまさら。……アンタのおかげで、オズワルドの優しさを知ることができんだもの」


「は? はぁ? は?……」

この数分の間に、間の抜けたトンキョウな声をオレは何度あげたろう?


カミラは、涼しげなアイスブルーの瞳で上目づかいにオレの顔を見つめながら、イタズラな妖精よろしく、ふふっと謎めいた含み笑いをもらした。

ネをあげて視線をそらしたオレは、救いを求めるようにオズワルドを見た。


町のハイスクールで生徒たちに鬼軍曹とアダ名されていた厳格な数学教師は、面長の端正な白皙に相変わらず受難者めいた憂いをかすかにただよわせながら、さすがに少しバツが悪そうに、怜悧な眉根を寄せていた。


「あ、あのさぁ、オズワルド先生……」


「なにかな、ラスティ?」


「オズワルド先生って、今もあの町にいるの? なんていうか、その、家族とか、……奥さんとかと一緒に?」


「いいや、ラスティ。妻とは3年ほど前に離婚してね。それからすぐ、知人を介してアッパーウェストにある私立の小学校に呼ばれて、そこで校長をしているよ。さいわい子供もなかったから、1人身で気楽に故郷を出てこられた」


沈鬱なくらいに落ち着いた低い声。

この声が淡々とリズミカルに難解な公式を唱えると、きまってオレは心地よい睡魔に誘われてしまい、鬼軍曹と化した同じ人物の怒声で目を覚ましたものだった。


オレは、しかし、この時ばかりは眠気のカケラも吹き飛んでいた。

「じゃあ、オズワルド先生も、今はニューヨークに住んで……」

そう聞きかけたとき、


「まあ、コナーったら。バカなマネはおやめなさい!」

カミラがトウトツに場違いな声をあげてさえぎった。


つられて自分の隣の甥っコをかえりみると、こいつ、何を考えているのか、ハラに抱えたクッションの角を口に入れて、ガジガジとしつこく噛み続けていやがった。


「そんなことしてると、小学校に入る前に総入れ歯になっちまうぜ?」

と、オレは、クッションを取り上げて、コナーの頭上にブラ下げた。


コナーは、ピョンピョンと腰を浮かせてジャンプすると、短い指の先でクッションをどうにか奪い返すや、ギュッと大事に両手で抱きかかえた。

それから、宝物を隠すかのようにチッコいカラダを丸く屈めながらソファに深く腰かけて、子供らしいカン高い声で訴えた。

「だって、上の歯がグラグラしてすごく気持ち悪いんだもの! こんなの早く抜いてしまいたいの、ボクは」


「どれ、オレが見てやるよ」

オレが言うと、コナーは、わりと素直に顔を上に上げて、「あーん」と大きく口を開けた。


なるほど、向かって左の上の歯が1本、無垢なピンク色の歯茎にかろうじてつながっている状態で、しかも、その下からは別の糸切り歯がニョッキリと伸びかけていた。

「スゴいなオマエ、もう新しい歯が生えてきてるぞ。それも、ナイフみたいに鋭く先がとがったやつ」


「ほんほぉー!?」

何がうれしいのか、コナーは、メガネごしの大きな暗灰色の目をキラキラと見開いた。

生意気に見えても、まだまだ子供だ。可愛いヤツめ。


「よしよし、古い歯はオレが引っこ抜いてやる」

と、オレは、コナーの小さな口の中に指を2本だけ突っ込んで、抜けかけの歯の先端をつかんだ。

「一瞬だけガマンしろよ?」


コナーは、さすがに少しおじけづいたか、両目をシッカリと閉じながら、クッションを抱きしめた両腕をいっそう強くしぼって身がまえた。


オレは、間髪を入れずにグイッと歯を引き抜いたが、その瞬間、コナーが思いっきり歯を食いしばりやがった。


「……ッテェーっ!」

さすがに悲鳴が出ちまった。


コナーは、驚いて口を開けた。

そのスキにオレは、急いで自分の手を取り戻す。


チッポケな白い戦利品をつかみ取った二指の先端に、子供の歯型がシッカリ刻まれているばかりか、ジワジワと血がにじみ出していた。


「ご、ごめんなさい! ボク、思わず……」

と、コナーは、小さな肩をすくめた。


そんなコナーのアタマをくしゃくしゃとカキ撫でてから、シャツのスソで指をぬぐい、オレは、カラカラと笑ってみせた。

「派手に噛みつきやがって。ちびっ子オオカミめ!」

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