第10話

人狼に噛みつかれたら、オレ自身も人狼になり果てる。

それだけは死んでもゴメンだ。


オレは、思いっきり尻を前にスライドさせ、滑り台の要領で床の上にスルリと逃げ落ちた。


両手の下に押さえつけていた支えを急に失った格好になったニックは、イキオイ余ってソファの背もたれの上に頭を突っ伏した。


オレは急いで立ち上がって振り向きざまにソファの端を踏み越えたのを助走にして、そのまま広間を走り抜けようとした。

そのとき、思いがけず、突き当たりのドアが向こう側から大きく開け放たれた。


「…………!?」


毛足の長い絨毯の上を颯爽と滑り込んできたのは、高級客室専任の執事係の制服を端麗に着こなした男だった。


男の顔を見た瞬間、オレは場違いに歓声をあげた。


「ルディ! よかった、無事で……」


言いかけて、ハッと気付いた。純白の手袋をはめた端正な彼の手に光る拳銃に。


「キミこそ、無事でよかった、ラスティ。人のままでいてくれて……」

ふわふわのアッシュブロンドに縁取られた綺麗な白皙に、笑顔のお手本を披露しながら、ルディは、鼓膜をくすぐるような甘く柔らかい声で言って、拳銃を持った腕を真っすぐ前に上げた。

「……天国に、まだ間に合う」


今度のそれは、オモチャの水鉄砲じゃない。

ベレッタM84……洗練された黒衣の暗殺者にふさわしいシルバーモデルのオートマチック。


人外を駆除するための道具じゃない。

人間を殺傷するための武器だ。


「ルディ……!?」

オレは、あわてて立ち止まった。

フラリとヒザが折れかかったのは、だが、その反動のせいじゃなく、ショックのせいだった。


――「穢れなきまま」に殺す……ルディは、そう言っていた。

すでに真後ろには、熱風のような魔獣の荒々しい呼吸が、オレのウナジをヒリつかせる距離に迫っている。


オレが「穢れなきまま」でいられるのは、あと数十秒? いや、数秒?

その前にルディは、きっと、オレを殺す。


「汝はチリなればチリにかえるべきなり。父と子と聖霊の御名において……」

天使ともみまごう聖域の執行人は、胸の前で優雅に十字を切りながら歌うようにつぶやいて、銃口をピタリと定めた。

「……アーメン」


ヒキガネとともに、かわいた銃声が吹き抜けにとどろいた。

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