第9話

リコッタside


「なかなか波乱のお茶会だったようだね、リコ?」


 レイモンド王子──レイが含みのある笑顔で話しかけてくる。ゆったりした服装に身を包んだ彼は、応接間のソファに半ば横たわっている。公的な場では決して見せない、婚約者であるリコッタしか知らない彼のリラックスした姿だ。


「そう、ですわね。予想外の展開でしたが、興味深い成果はありました」


 つい先程まで、この部屋には彼女がいた。

 リコッタの運命を左右するかもしれない、彼女が。



◆ ◆ ◆



 予知夢を見た朝には、リコッタは行動を開始していた。

 魔法学園に在籍している者、これから入学する者を調べ、夢で見た姿に該当する学生を洗い出す。公爵家としても入学準備として学生の背後関係を調査していたので、結果はすぐに出た。

 該当者、なし。

 夢の中の少女は魔法学園の制服を着ていたが、単にそのような姿を象っていたというだけだろうか。そもそも人であるのかも疑わしいのだから、見つからなかったこと自体に驚きはなかった。再度魔法学園に照会をかけ、リコッタは王都を後にした。

 パラキウセス系が治めていた南部州から1名、仔細不明の新入生が入学するという情報がもたらされたのは入学式後のことだった。



◆ ◆ ◆



 入学式当日。

 レイのエスコートを受けて講堂に入ると、彼女はいた。

 ほのかに光を放つような姿で隅に座る彼女は、非現実的すぎて最初は自分だけに見えているのではないかと疑った。彼女にだけ従者がいないのも不自然に見えた。だが、それにしては講話にいちいち頷き、拍手を送る姿は生々しい。

 入学式後に学園の事務官が彼女に近付き、従者として振る舞い始めたのを見て、ようやく彼女が現実の存在だと受け入れられた。彼女自身の従者は何らかのトラブルでこの場に来ることができなかったのだろうか。臨時で代理を頼むのはそう不思議なことではない。

 1年生の講堂に移動してからは、レイと共にクルセウス系の学生の挨拶を受けた。当たり障りのない会話を続けながら、彼女の様子を窺う。彼女はこちらに与するでもなくパラキウセス系に属するでもなく、もう一人の女子学生と離れて座っていた。あれは豪商チェリー家のハンナだったか。クルセウス系の学生だったはずだが、こちらの輪に加わるつもりはないらしい。

 思っていたよりも早々に講堂を後にした彼女の情報を得るためにハンナに話しかけてみたが、彼女も名前くらいしか知らないと言っていた。

 マリー・クライン。

 全く聞き覚えのない家名と名。だが、それでも彼女を象る輪郭は少しだけはっきりしたように思えた。


 翌日、講義が終わった後に直接マリーと話すことができた。

 学校に通ったことがないという話にはリコッタも驚かされたが、同時にここまで情報が確認できなかったことに納得する。パラキウセス系の情報操作もあったのだろう。

 同時に、マリーのよく動く表情と声に惹きつけられた。感情を読まれぬよう教育されている貴族にはあり得ない素直さが、リコッタには新鮮だった。

 夢で見た、冷徹な視線を向けてきた人物と同一とは思えない。予知夢は起こり得る未来の姿。必ずそうなるというものではなく、道標であると言われてはいるが、それにしても印象が違いすぎる。

 パラキウセス系の横槍はあったものの、無事にお茶会に誘うことはできた。何にせよ、どこにも属さぬマリーをこちらに引き込む必要はある。ハンナも含めて、貴重な魔法使いをパラキウセス系に奪われるわけにはいかない。早急に動いた方が良いだろう。

 レイの承諾を得て、お茶会は直近の休日に行うことになった。


 お茶会当日。

 制服で現れたマリーには驚いたが、ぽつぽつと入ってきている情報によれば南部の何の後ろ盾もない平民出身ということだったので、そういうものかと納得する。

 マリーは不思議だ。

 何の教育も受けていないはずだが、講義の内容は理解できているようだ。ぎこちないが、基本的な所作はできている。寮内で何やら下働きのようなことをしていたらしいが、こうしているとそれなりの市民レベルに見える。今もお茶会の場に合うように表情を作っているようだが、何かを口にする度に目を見開いているのが非常に分かりやすい。

 早目にこちら側に取り込もうと動いた時に、それは起きた。

 公爵家主催の場で客人に粗相をするという醜態。そしてマリーが見せつけた魔力。

 戦闘訓練を受けた魔法使いであっても、あの一瞬で魔法を発動させることなど不可能だ。護身のために一定の術式を定めた魔道具を作成することはあるが、触れたものを無差別に吹き飛ばすような内容であって、ポットは破壊せずに熱と水分だけを除去するような限定的で複雑な操作を設定することなどない。

 そしてそれだけの魔法を発動させたというのに、マリーは疲れた様子すら見せなかった。汗一つ見せず、何事もなかったかのように侍女を気遣う。並みの魔力量であれば、立っているのも辛くなるはずなのに。

 お茶会に参加していた全員が、彼女の力に息を呑む。マリーを着替えの為と理由を付けて館内に移動させると、残った者には口外無用と念を押した。ここにいるのは派閥の者なので問題はないだろうが、立場をはっきりさせていないハンナは要注意だろう。パラキウセスがどこまでマリーの情報を押さえているのか分からない中で、今日の情報が渡るのは避けたい。


 マリーは、間違いなく夢の中の少女だ。これほどの魔力量を持つ者が、平民の中に突然産まれるはずがない。背後をもう一度洗い直す必要がある。


 招待客が全て帰り、着替えて寮に戻るマリーを見送ると、リコッタはソファに崩れ落ちた。ここまで疲れるお茶会は初めてだ。だが、成果はあった。レイへの言付けを侍女に託すと、彼女は再び動き始めた。



◆ ◆ ◆



「すぐには信じがたい話ではあるけど、リコの目は確かだったということかな」


 レイのグレーの目がじっとリコッタを見つめる。

 お茶会の情報を共有したいと申し出ると、レイはすぐにやって来た。婚約してから既に5年。リコッタの言外に込めた意図を、彼も正確に汲み取ることができるようになっている。

 魔力を持つにも関わらず表舞台には一切現れず、王子が入学するタイミングで唐突に魔法学園に入学してきた少女。何の教育も受けていないと言いながら、講義を理解し周囲と合わせられる程度の教養はある。王家としても背後関係を疑うのは当然だ。

 魔力を持つ平民というだけなら、囲い込んで相応の待遇を与えれば良い。だが対立する貴族や他国が送り込んだ密偵であるなら、懐で泳がせて魔力を利用しつつその意図を探っていく必要がある。

 そして精霊であるなら──


 リコッタはレイの瞳を見つめ返し、唇を弧の形に引き上げた。幼い頃から躾けられた、優雅に本心を隠す微笑みだ。

 予知夢のことは誰にも、レイにも話していない。リコッタ自身にもまだ予知夢なのかどうか確信が持てないのもあるが、予知能力発現という影響力のあるカードをいつ切るか、という駆け引きのためでもある。

 予知能力を持つ者はソーレス公爵家を、ひいては王国全体を動かすことができる。リコッタの立場も、その婚約者であるレイとの関係も大きく変わる。

 マリー・クライン。

 彼女とどのような関係を築くのかが、人生を変えることになるだろう。


「マリーは私が後見いたします。それだけの価値があると判断いたしました」


 笑みの表情を作ったまま、レイに告げる。同じように笑みを作って、レイは頷いた。心の奥底で何を考えているのかはともかく、リコッタの方針は承認されたということだ。

 彼女に殺される未来を変え、自分の力に変えてみせる。

 ソーレス家は王家の導き手。王家を前に出しながら、その陰で着実に実権を握ってきた。その血が確実に自分の中にも流れているのを、リコッタは感じていた。

 マリーには私物のドレスを与え、学園に帰した。公爵家の刺繍が入ったドレスに身を包んだ彼女を見れば、誰の目にもソーレス公爵家の手が入ったことは明らかだ。パラキウセス系貴族達への強い牽制になる。

 テーブルの上に置かれたカップに手を伸ばし、一口含む。柑橘の果汁と香草の香りが広がる。カップに視線を落としながら、マリーの姿を思い浮かべる。

 魔法によって巻き上げられた髪を光輪のように靡かせ、長い睫毛を伏せた姿は宗教画のようだった。

 精霊は至上の力を地上にもたらすとも魂を冥府に送るともいう。マリーはどちらだろうか。カップに映るリコッタの姿は揺れていた。

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