第7話

 学園の朝は早い。

 というかこの世界の朝は早い。

 基本的に日が沈んだら全ての仕事が終わるので、朝は日の出から動き出すことになる。下働きの人たちは、空が白み始めたら水汲みや火おこしで動き回っている。

 ということで日の出と同時にメラニーさんがやってきた。ベッドから出ると洗面の準備ができていて、顔を洗うと着替えを手伝ってくれる。正直一人でもできるが、上流階級としては何でもかんでも自分でやるのははしたないことらしい。慣れた手つきで着付けてくれるのに任せる。

 着替えが終わると朝食だ。今日はスープっぽい白い汁に肉と野菜と硬いパンみたいなのが浮いているもの。この世界の食事は不味いというほどではないがおいしくはない。食糧事情とか設定考えてなかったとはいえ、ここはなんちゃって中世のお約束で柔らかいパンとか出てきてほしかった。

 メラニーさんは給仕として付いていてくれるのだが、給仕されるほどの食事でもないのでお願いして他の仕事をしていてもらう。さっとベッド周りの片付けや水汲みの指示に動き出す彼女の動きには無駄がない。さすがダイアナさんの紹介。

 朝食を片付ける頃には鐘が鳴る。この魔法学園の予鈴にあたる鐘で、だいたい1時間くらいすると講義開始を知らせる2度目の鐘が鳴る。今のところ用意するものといっても鞄の中に最低限の筆記用具くらいなので、特にすることがない。


「講義の時って、だいたいどれくらい前に集まるものなんですか?」

「…私は学生ではないので詳しいことは分かりませんが、皆様早めに講堂に集まって話し合いをされている印象ですね。講義前後は社交の時間でもありますし」


 どちらかというと身分の低い方から順に講堂に入るようです、と付け加えられて、入学式を思い出す。王子様と公爵令嬢、一番最後に入ってきてたもんね。私は最底辺なので早めに講堂に入っておくに越したことはないようだ。


 メラニーさんに鞄を持ってもらい、講堂に向かう。魔法学園は建物が密集していて、寮と小講堂は1分もかからない距離だ。

 講堂内にはもうハンナさんがいた。昨日と同じ端の席に座っている。私に気付くと立ち上がって礼をとってくれるので、見よう見まねで礼を返す。…そういえば私、お辞儀の仕方も知らないんだ。マリーも正式な作法なんてなんとなく程度にしか知らない。昨日もものすごく失礼な事とか無自覚にしてた?

 ハンナさんの隣に腰掛ける。机の上には本が広げられていた。あーいいね文学美少女。


「おはようございます。本を読んでいたんですね」

「ええ。父から会計諸法の学習は怠らないようにと厳しく言われておりまして」


 あ、ちょっと方向性が違った。


「昨日はマリー様がお帰りになってから、リコッタ様がこちらまでいらして。マリー様のことを気にしていらっしゃいましたよ」

「気にして?」

「ええ。どんな方なのか、どこから来たのかと。私もまだあまり存じ上げませんでしたので、お名前をお伝えするくらいしかできませんでしたが」


 公爵令嬢、やっぱりこっちを見てたか。


「何でしょう?リコッタ様は私に用事があったんでしょうか」

「どうでしょうか。見知らぬ方がいたので気になった、というだけかも知れませんけれど」


 あまり関わらない方がいいんだろうけど、向こうから積極的に動き出すパターンだろうか。

 他の学生も講堂に集まりだした。誰かが入ってくる都度立ち上がって礼をとる。まあ確かに身分順に入ってこないと偉い人に何度も立ったり座ったりさせることになっちゃうね、これ。

 最後に王子様が公爵令嬢をエスコートして入ってきた。講堂内にいる全員がざっと立ち上がって迎える中、悠然と演壇前の自席に進んでいく。

 一瞬公爵令嬢と目が合ったが、すぐに逸らされた。2人が席に着くのとほぼ同時に、いかにも魔法使いという感じの髭をたくわえたおじいちゃん教授が入ってくる。

 講義開始の鐘が鳴った。


 最初の講義は魔法概論みたいな内容だった。

 魔法とは何か。魔法がどのように役立っているのか。魔法使いは社会の中でどのような地位を占めているのか。

 ゲームを作るときにそこまで細かい設定はしていなかったが、この世界では魔法は科学の根幹になっているらしい。魔法使いは魔法をぶつけあって戦う人、みたいに思っていたら全然違った。まあ言われてみればエネルギーを自在に操れるんだから、たとえば火魔法を溶接や冶金に使えば真梨の世界並みの高度な温度制御も可能だ。物質を細かく動かすのも究極まで行けば分子単位になる。魔法を基礎とした高度な技術と基礎科学の発展のおかげで、基礎研究の水準は中世というより現代に近い。すでに物質は原子から成るという概念はあり、周期表も不完全だが作成されている。魔法使いが低出力の雷を持続的に生み出すところから、電気の物理的性質についても解明されている。一点ものの部品なら魔法で作成できるので、王都にはオーパーツみたいな機械類があるらしい。魔法使いが電池代わりになることで、ここ魔法学園と王都を繋ぐ無線通信機を動かすことができるそうだ。

 ただ魔法で達成できた成果を産業に落とし込むのが難しいので、全体の底上げはまだまだらしい。絶対数の少ない魔法使いだけが作れる物があるとなれば、産業面でも魔法使いは重要な存在になる。やたらと魔法使いが優遇される理由が分かった。というか私が考えた世界のはずなのにこの世界のこと知らなすぎじゃなかろうか私。


 講義は基本的に教授が話し、学生から質問があればそれに答えるという形で進む。黒板はあるがそれを使うでもなく、メモをとっている学生も少ない。隣のハンナさんも特にメモを取るでもなく話を聞いているだけだ。テキストがあるわけでもないし、こっちの講義スタイルはこんな感じなんだろうか。

 午前は休憩を挟みつつ、同じ教授がずっと話していた。正午に合図の鐘が鳴り、今日の講義は終了だ。特にまとめる必要もないような筆記用具をまとめてメラニーさんに渡す。

 ハンナさんも帰り支度をしていたので、気になったことを聞いてみた。


「あの、講義というのはだいたいこんな感じなのでしょうか。学校に通うのが初めてで、よく分からなくて」

「学校に通うのが初めて」


 目をまんまるくしておうむ返しにするハンナさんもかわいいなあ。


「ええ。私は魔力があると分かったのが遅かったので、王都の学校には通っていないのです。田舎だったもので、今まで学校のようなものに通う機会がなくて」


 真梨の時には大学まで通ってたけどね。


「まあ、そうだったのですね。では今日のお話は難しかったのでは?」

「初めて聞くようなお話しばかりで興味深かったです」

「私は今まで習ってきたことのおさらいのような内容でしたから、復習のような感覚で聞いておりました」


 ああ、それで皆ノートも取らずに聞いてるだけだったのか。

 ハンナさんによると、王都の学園でも基本的には同じような講義スタイルで、試験はないらしい。なので講義内容を全く理解していなくても卒業はできるが、教授から有利な推薦をもらいたいならその講義については必死に取り組む必要があるとのこと。あと目に余るほどの学業不振者は卒業証明にその旨がはっきり記載されてしまうので、貴族の子弟は面子にかけて最低限の学習はするそうだ。

 ハンナさんには読み書きの基礎から心配されたが、その辺は問題ない。マリーの時には読めなかった入学許可書が、真梨が混ざってからは普通に読めている。計算や自然科学的な話なら、大学受験の水準を超える内容でなければ大丈夫なはずだ。

 それにしてもマリーはあのまま入学していたら文字は読めない計算はできない講義内容はちんぷんかんぷんの無理ゲーだったのではなかろうか。いくら明るく天真爛漫でも心が折れそうだ。こんなクソゲー作ったの誰だよ私だよ。ごめんマリー。


「それでマリー様のお顔に覚えがなかったのですね。魔法使いは数が少ないので交流会で顔を合わせる機会もあるのですが、一度もお見かけしなかったなと不思議に思っていました」

「ああ、皆様顔見知りのようだったのはその──」

「少しよろしいかしら」


 さらりと流れる赤い髪が視界に飛び込んでくる。私の机の前に立ち、見下ろす赤い眼。

 ゲームの悪役、リコッタ・ソーレス公爵令嬢が、ついに接触してきた。




 公爵令嬢に話しかけられて、ハンナさんが慌てて立ち上がる。それにつられて私も立ち上がった。


「初めまして、マリー・クラインと申します。よろしくお願いいたします」

「リコッタ・ソーレス・クルセウスです。以後お見知りおきを」


 お辞儀一つが美しく、そしてなんともいえない迫力がある。隣のハンナさんはちょっと引き攣った笑顔で固まっている。最大派閥の女子トップから絡まれたら緊張するよね。


「入学式の時から気になっておりましたのよ。他の方は王都でお会いしたことがあるのに、マリー様だけ記憶に無かったものですから」

「あ、今ちょうどその話をしていたところだったんです。ねえハンナ様」

「はい!?はい」


 少しづつ遠ざかろうとしていたハンナさんを逃すまいと話に巻き込む。ごめんねハンナさん、私たぶんこの人とは相性最悪なんだ。

 さっきまでハンナさんと話していた私の事情を改めて説明する。学校に通っていないと聞いて、公爵令嬢もやはり驚いた顔をしていた。


「そう。それで…」


 すうっと目が細められる。何だか怖いんですけど。


「こうして巡り会えたのも何かの縁でしょうし、これからも仲良くできたらと思っておりますの。よろしくお願いいたしますわね、マリー様?」

「ええ、よろしくお願いいたします。…リコッタ様」


 今のところは敵意は感じないが、なんだろう。警戒?されている感じはする。ゲーム上では「田舎者の平民風情が気安く話しかけないでいただけるかしら」という態度だったので、そこからすれば自分から話しかけてくるというのはかなり軟化している。

 そもそも私とリコちが作りあげたのは提出期限に間に合わせるためのやっつけに近い未完成版で、そこからもっと肉付けしてキャラを増やして…と構想はあっても全体像が出来上がっていない代物だ。話を膨らませていくうえで初期のストーリーを改変することもあるだろうし、私の知っている展開とはまた違うのかもしてない。ストーリー担当は私のはずなんだけどな。


「──よろしいかしら?マリー様」

「ぁえっ、はい!」


 考え事してて公爵令嬢の話を聞き飛ばしていた。隣のハンナさんは凍り付いた笑顔のままで頷いている。あれ、何の話?


「では正式な日取りが決まりましたらお伝えいたします。ささやかなお茶会ですので、ぜひ気楽に参加してくださいませ」


 お茶会のお誘いだったよ。公爵令嬢、こんなにグイグイくるキャラ設定じゃなかったよね?いやまだお茶会の席で「こんなことも分からないの?これだから田舎者は」ってなる展開かもしれないし。先が読めない。


「おや、もう約束を取り付けるとは手が早い。さすがはソーレス公爵家、というところでしょうか」


 横から突然声をかけられて振り向くと、銀髪碧眼の美少年が立っていた。

 薄暗い講堂内でもきらきらと光の粒を纏ったようなさらさらの髪を後ろで一つに括り、中性的で端正な顔立ちにはまだ幼さが残る。身長はマリーよりも低いくらいだろうか。ぶっちゃけた表現ならショタ系である。

 確か王子様グループとは反対側の席に座っていたから、パラなんとかの人だろう。その中でも演壇に近い所に座っていたので、グループ内でも高い地位にいるということだ。王道王子様と対立するグループのショタっ子。攻略キャラに加えるなら絶対候補に入りそうな人だ。


「突然お声がけして申し訳ない。僕はアービング・チュリー・パラキウセス。以後お見知りおきを」

「マリー・クラインです。よろしくお願いいたします」


 公爵令嬢が露骨に嫌そうな顔をしているのが怖い。そういう顔をしていると悪役令嬢という言葉がよく似合う。


「先を越されてしまったようだけれど、僕達も新入生の親睦会を考えているんだ。君達にも参加してもらえると嬉しい」

「あー…えっと?」


 この場合どう答えるのが正解なんだろう。どちらにも参加してもいいものなのか、それともそれは公爵令嬢側からは裏切り行為とみなされるのか。ハンナさんは…あ、ずっと凍り付いた笑顔のままだ。どっちとも距離をとりたかったはずなのにごめんなさい。

 メラニーさんを振り返ると、ゆっくりと首を縦に振っている。どちらにも参加して良いということだと判断して返事を返す。


「ありがとうございます。私も参加して良いのでしたらぜひ、アービング様」

「ありがとう。ああ、僕のことはアーシュと。親しい者は皆そう呼んでいる」

「では、アーシュ…様」


 アーシュたんとか呼びそうになったのを堪える。何この子かわいい。これ攻略対象で確定だ。心の中ではアーシュたんと呼ばせてもらおう。

 にっこり微笑むアーシュたんに頬を緩めていると、こほん、と公爵令嬢が咳払いをした。不機嫌がそのまま態度に出ている。


「あら、私とのお茶会の約束が先でしてよ。お忘れにならないで」

「大丈夫、僕達も日程が重ならないようにするよ。リコッタ様にも参加してもらえたら嬉しいのだけれど」

「考えておきますわ」


 ツーン、という擬音が聞こえてきそうな態度の公爵令嬢にもアーシュたんは笑顔を崩さない。ハンナさん、笑顔のまま青ざめてるけど大丈夫かな。


「おや、なんだか楽しそうだね。何の相談かな?」


 落ち着いた爽やかな声が響く。少し癖のある黒髪を揺らして、王子様までやってきた。何というかリコち渾身のキャラデザを神キャストで実写化!という感じだ。さすがメイン攻略対象、オーラがある。


「俺も自己紹介させてもらっていいかな?レイモンド・アイザックス・クルセウス。よろしく」

「マリー・クラインです。よろしくお願いいたします」


 何度目かになる自己紹介を繰り返す。こうしてみると最初に自己紹介の時間があった真梨の頃の学校って効率良かったんだな。知らない人の前で何か喋らなきゃいけないのって嫌いだったけど、ちゃんと意味があったんだ。


「今、マリー様を私達のお茶会にお誘いしておりましたの。ねえ?」

「はい、誘っていただいてありがとうございます」

「僕達の親睦会にもね。楽しみだね」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 なんだろうこの感じ。両陣営の間に挟まれて圧がすごい。


「そう。マリーは人気者だね」


 そしていきなり呼び捨てですか王子様。いや王子様だから誰かに敬称をつける必要なんてないのか?


「じゃあリコ、そろそろ行こうか。今日は叔父上と約束がある」

「ええ、そうですわね。ではマリー様、ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう?」


 挨拶に慣れなすぎて疑問形になってしまった。ハンナさんがギギギ、という音が聞こえてきそうなお辞儀をしている。なんかもう本当にごめんなさい。


「僕も今日は失礼するよ。またね、マリー」


 アーシュたんも可憐な微笑みを浮かべて去っていく。あれ、こっちにも呼び捨てにされてる?この世界ではそういうもの?


「マリー様!」


 ハンナさんががっちり腕を掴んでくる。


「あの、一緒に参加しましょうね?やっぱりどちらかだけにします、はやめてくださいね?約束ですからね?」


 涙目でぷるぷる震えながらお願いされてしまった。ごめんね、私がゲームのヒロインである限り平穏な日々はやってこないと思うよ。



◆ ◆ ◆



 午後ダイアナさんに確認すると、両方の派閥の会に参加すること自体は今のところは問題ないとのことだった。ただ、早目に立場をはっきりさせないと余計な争いに巻き込まれる可能性があるらしい。

 あとアーシュたんは新入生のパラキウセス系筆頭で、東方を基盤とする侯爵家の御曹司だそうだ。第3王子で臣下に下る可能性のある王子様よりも、考え方次第では立場が上になる。アーシュたんさんとお呼びすべき?

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