第6話

ダイアナside


 学園に通う。

 ずっと憧れていた。

 結局叶うこともなかったが。


 学園卒業は貴族身分の最低限の箔付けだ。卒業までに必要な費用を負担できるだけの財力が家にあるのだと、周囲に示すことができる。職を得るにしても縁を結ぶにしても、学歴は最初に問われる要素になる。

 王都の貴族といっても、名ばかりの下級文官の家では全ての子を王立学園に進学させられるほどの財力はない。2人の兄はなんとか費用を工面したが、女の私は最初から対象外だった。魔力があれば全てを国が負担してくれるが、私にはそんな特別な才能は無かった。

 いちばん上の姉は持参金を用意できるのでまともな結婚ができるだろうが、その下になるとどうなるか分からない。持参金を用意できなければ、どこかの訳ありの男の後妻にでも収まるか、この家で使用人のように一生を過ごすかだ。最低限の教養がなければ働くこともできない。全てを諦めた目をして家事に追われている2番目の姉のようにはなりたくなかった。


 下の兄が学園に入学するとき、私は必死に頼みこんで兄の鞄持ちに収まった。学園では学生が自分で荷物を持ち運ぶことはない。誰かしら人を雇うよりは安上がりだと、両親も認めてくれた。

 8歳だった私には重たい鞄だったが、この立場なら兄と一緒に教室に入れる。兄の後ろに

控えながら、私は学園の全てを吸収しようと努力した。文字や計算は家に帰ってから地面に棒で書いて復習した。地理や歴史で聞いた話を何度も頭の中で繰り返し、記憶に刻みつけた。他の学生に付き従う使用人を見て、これはと思う人の動きを真似てみた。

 10歳になる頃には、午前の講義時間や休日の隙間を縫って、兄に探し物を頼まれているふりをして図書室に出入りするようになった。本を持ち出すことはできないが、閲覧するだけなら可能だ。知識が少しでも将来を開く力になればと、日々のわずかな時間を見繕って、授業では深く触れない科学を中心に、法学や会計の本も読み漁った。

 下の兄よりは、きっと私の方が優秀だったと思う。でも、正式に学園を卒業するのは兄で、私はただ鞄を持ってそれについて回っていただけ。兄が卒業してしまえば、私が学園の中に入る理由もなくなる。卒業証明と紹介状がなければ身分に相応しい職を探すことすらできない現実が、私を打ちのめした。


 その求人を見かけたのは、きっと運命だったのだ。

 はるか北方の地での雑務係。経験不問。年齢不問。条件は書字と計算ができること。住み込みで、貴族にしては少ないが通常の下働きよりは高い給金。

 図書室の一角に貼り出してあったそれを見て、私はすぐに署名のあった教授の部屋を訪ねた。私を見て不審そうに眉を顰めた教授は、それでも「この書類をまとめてみて」と課題を与えてくれた。

 教授の私的な会計書類らしいそれは大した分量ではなかったので、すぐに帳簿を整理して提出した。ぱらり、と書類を確認すると、静かな目を私に向ける。


「簿記を勉強しているようですね」

「はい。独学ですが」

「書字も美しい。失礼ながら学園の生徒ではないようですが?」

「兄が5年次に通っております。私は…従者として兄と共に講義を受けておりました」

「年齢は?」

「13歳になります」


 ふむ、と書類を机に置くと、教授はそのままじっと私を見つめた。私も目を逸らさずにまっすぐに見返す。


「いいでしょう。私が紹介状を書きます。あなたの名前と家門をここに記入してください」


 この時の気持ちをどう表現したものだろうか。

 うれしいというよりも、信じられないという感情の方が強かった。どうせ駄目だろうと思っていた。最初から諦めていたのに、諦めきれずに手を出しただけのはずだった。


「よろしいのですか?」


 紹介状を書くということは、私の保証人になるということだ。私が何か損害を与えるようなことをすれば、教授にも責任が及ぶことになる。


「あなたは条件に合致しています。むしろ求める条件以上の能力を示しました。それに、」


 教授は優しく微笑んだ。


「その目。心地よい意志の力を感じる、とても良い目ですよ」



◆ ◆ ◆



 北に旅立つにあたって、両親の説得はすんなり進んだ。元々飼い殺しにするしかない四女など、労働力としてもそこまであてにされていない。自活してくれるなら喜ばしいことだ。

 魔法学園では紹介状のおかげできちんと貴族身分として扱われた。部屋と食事を与えられ、給金も下働きの数倍は出る。仕事はさほど難しくもない経理事務が主で、大抵は午前中の執務時間内に終わった。

 家事の類は下働きに任せることができる。空いた時間は教授陣の事務手続きを手伝ったりして稼ぎを増やすことができた。それに職員として図書室を利用することができる。王都にいた時では考えられない、理想郷のような場所だった。


 3年もすると、私は出入りする商人との交渉も任されるようになっていた。賄賂を要求するわけでもなく、適正価格であれば良しとする私は商人としてもやりやすい相手だったようだ。通用門横の詰所の一つを事務室として使えるようになり、給金も上がった。

 ある少女が目につくようになったのはその頃だ。仕事の合間に講堂の窓から中の様子を窺う目には覚えがあった。

 知識への憧憬。未来への野心。

 心地よい目、と評してくれたのは、あんな目だったろうか。

 まだ8歳の少女は、母親に連れられて雑用をしていた。子守り代わりに連れてきて仕事を

させ、ある程度仕事を覚えたら下働きとして正式に採用されるのを狙う。学園の下働きはここでは比較的安全で給金も良い仕事だ。母親が保証人であれば採用もされやすい。


「文字を覚えたいのですか?」


 いきなり声をかけられた少女は、身を震わせて逃げようとした。仕事をさぼっているのを見咎められたと思ったのだろう。怖がられないように微笑む。


「少しなら教えて差し上げます。仕事の手伝いはしていただきますが」


 ──専任の下働きを雇うのも悪くはないでしょう。仕事は手に余るほどではないにしても、忙しくはなってきましたし。


 その少女、メラニーを私専任の下働きとして雇う話は、メラニーの母親にも歓迎された。通常の下働きに比べれば安い給金ではあるが、8歳の子供が受け取る金額としては破格だ。拒否されようはずもない。

 メラニーに下働きとして仕事をさせつつ、身の回りの世話をする使用人としての仕事も一つずつ教えていく。昼食が終われば基本的な読み書き計算の勉強だ。ペンの持ち方から始まる退屈な講義を、メラニーは飽きもせずに集中して取り組んだ。

 1年もすると、書類を日付の順に整理するくらいのことはできるようになっていた。事務室に出入りする商人の顔と名前を覚え、用件を言付けるような雑用も任せられる。まだ10歳に満たない少女としては十分な働きぶりだった。

 労に報いたいと白いエプロンとスカーフを贈ったら耳を真っ赤にして喜んでくれた。服の上から身に付ければ、少しは使用人っぽい見た目になる。学生に付く使用人たちの動きを真似ようとしているのを見て、過去の自分を思い出す。


 ──こうして誰かを育てるというのもいいかもしれません。


 ただあの家から離れたいとここまで来た。この先のことは何も考えていなかったけれど。

 午後の穏やかな時間を事務室で過ごす。ゆっくりとお茶を飲みながら、教授から頼まれた研究室の事務を片付けていく。メラニーも事務室の机の端で、書き損じの紙にペンで字を書く練習をしている。

 課題として渡した有名な詩の書き取りをしているメラニーを見やる。

 この魔法学園での仕事は気に入っている。こうしてやる気のある子を見ているのも楽しい。いずれは正式な使用人として登用できるくらいまで育ってくれれば、彼女の人生も変わるだろうか。



◆ ◆ ◆


 さらに3年が経った。

 メラニーは下働きの扱いではあるが、私の助手としてよく働いてくれている。

 渡す給金とは別に、使用人としての給金との差額を彼女のために積み立てている。今渡したところで全部親のものになってしまうだろうから、彼女が自分の人生を選んだ時にまとめて渡してあげたい。

 専任の下働きも去年から一人増やした。9歳の男の子で、トニー。干し草のような髪ときらきらした焦茶の目を持つ、物怖じしない子だ。やはり親に連れられて出入りしていた子で、将来は海に出る商人になりたいそうだ。読み書き計算を教えてもらえる機会などそうそうあるはずもなく、私の話に大喜びで乗ってきた。メラニーも先輩として、厳しく仕事を教え込んでいる。活発でへこたれない彼は、静かだった事務室を一気に賑やかな場所にしてくれた。色々なところに潜り込んでは噂話をお土産として語ってくれるので、私も今ではなかなかの裏事情通だ。


 そんな日々が続いたある秋の日に、彼女はやってきた。

 通用門を叩く音に覗き窓から外を窺うと、制服を着た少女が立っていた。通用門側に学生が来ることなどほとんどないが、基本貴族の学生を待たせることはできない。門を開くと深々と礼をされた。


「マリー・クラインと申します。この度魔法学園に入学することとなりました。よろしくお願いいたします」


 精霊のような、と表現するのも陳腐なくらいに美しい少女だった。

 秋の日差しに輝く金糸の髪。青い宝石のような瞳。微笑む口元に目が吸い寄せられる。気圧されてこちらも礼を取ることしかできない。ただ一人の少女に、私は完全に呑まれていた。

 …ただ一人?


「…お一人で?」


 問いかけると、目の前の精霊は不思議そうに首を傾げた。こちらも思わず不作法に首を傾げてしまう。

 魔法学園に入学する、と言っていたので、使用人か護衛が同伴していて当然のはずだが誰もいない。傍には彼女の荷物らしきものが積まれている。

 とにかく中へ、と案内すると彼女は自分で荷物を抱え上げた。何がなんだか分からない。この魔法学園の制服を着て、自分で荷物を運ぶ者など初めて見た。

 私の事務室で、改めて入学許可書の確認をする。許可書は本物。確かにマリー・クラインなる人物を魔法学園に入学させる旨が書かれている。許可書をメラニーに渡し、学園長事務室に届けるよう指示すると、精霊の見た目の少女に改めて身分の確認を行う。

 王国の南方で生まれ育った彼女は、はるか南からここまで、荷馬車と駅馬車を乗り継ぎえっちらおっちらやって来たらしい。宿が無料で良かったと語る無邪気な笑顔は可憐だが、何を言っているのか。魔法学園に入学するのなら、自分専用に馬車をあつらえてまっすぐにここまで来ることができたはずだ。許可書は王命。地方貴族は面子にかけて学生に不自由な思いをさせることはない。

 そういえば、彼女の出身地はこの春にパラキウセス系からクルセウス系に長官が変わった州だったように記憶している。派閥間の嫌がらせか、支配者交代時の情報伝達不足かは分からないが、彼女の入学の話が引き継がれずに抜け落ちていたということだろうか。


 メラニーが寮の鍵を持って戻ってきたので、少女…マリー様を案内しようと席を立つと、彼女はまた自分で荷物を抱え上げた。慌ててトニーを呼び、荷物を運ばせる。

 寮への道すがら話していて、この精霊の見た目の少女がかなり…いや全く貴族社会の常識を理解していないことを把握した。メラニーの方がまだ貴族らしく振る舞うことができるだろう。ここで生活していくことができるのかと不安になるが、本人はにこにこと可憐に微笑むばかりだ。


 ──私が色々と手助けしていくしかないでしょうか。


 貴族とは名ばかりの下級貴族の、王都の学園に通うこともできなかった私。魔法使いの卵に何かを教えるなどおこがましい事かもしれないが、マリー様はあまりにも無防備だ。

 ここで出会うことが、何かの運命だったのかもしれない。そう思うと、なぜかしっくりきた。正式な入学まであと5日。ここでの生活について、そしてこれからの生活について、少しでも理解してもらうためにどうしたら良いだろうか。


 ──まずは使用人の選定からですね。


 身の回りを任せられる者なしに、貴族としての生活は成り立たない。

 メラニーはどうだろうか。立ち居振る舞いは身についているし、一人立ちの訓練としても良いだろう。それに正式に学生の使用人となれば、私ではなく魔法学園から給金が出ることになる。下働きの仕事はトニーに任せられるようになっているし、午後の時間をうまく使えば今まで通り私の助手をしながら学んでいくことができるだろう。

 これからの段取りを考えながら事務室に戻る。澄み渡る秋空が、いつも以上に眩しく感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る